いつだって一期一会、同じ海は二度とない。10年間で700回潜水したカメラマンが語る潜水撮影の世界
「まるで宇宙みたいだ」
2022年6月、私はサウジアラビア沖の紅海、水深800メートルで撮影をしていました。あたりは真っ暗で照明がなければ何も見えません。
「宇宙より行きにくい」とも評される深海の世界。
さまざまな業務があるNHKにおいても、深海での潜水撮影はかなり特殊な部類の業務です。
NHKには「潜水班」という潜水撮影の専門チームがあり、約100名のカメラマンやアナウンサーが、日々潜水業務に従事しています。
私はこの潜水班に所属しており、主に「ダーウィンが来た!」をはじめとする自然番組を多く担当しています。
この潜水班、訓練は大変だし、知床の流氷の下にも潜るし、ロケは長期にわたります。
一歩間違えば、死に直結するような体力的にも精神的にも追い詰められる現場ばかりです。
そう聞くと、「なんでそこまでして潜るの?」と思う人もいると思います。
潜水撮影の魅力は、「人がふだん行けない場所、見られない世界を間近で見て感じることができる。そしてそれを映像で伝えることができる」ことです。そして私は、そこに大きなやりがいを感じています。
今回は私たち潜水班のカメラマンがどんな仕事をしているのかをご紹介したいと思います。
はじまりは、すべて自分で撮影したいという思い
私が潜水班を志したのは初任地の鳥取放送局のときのこと。
入局4年目でとても悔しい経験をしたのがきっかけです。
川を題材にした番組を自ら企画して制作していたのですが、自分がカメラマンであるにもかかわらず、大事なシーンである水際での撮影が行えませんでした。
水際での業務は危険を伴うため、NHKでは、「全身を水に没して行う業務」は潜水班に所属し一定のスキルを有しないと行うことができないためです。そのときは該当シーンだけ別のカメラマンに代わりに撮影してもらうことになりました。
私は、「これからのカメラマン人生において、海や川沿いで暮らす人々の生活、水中に広がる無限の世界は、自分で撮りたくても撮れないのか…」と、悔しさを感じました。
「そんな縛りは受けたくない。どんなものでも自分で撮影して伝えたい」、そう強く思った時、悩むことなく、業務として潜水を行うために必要な「潜水士」という国家資格を取得し、誰もが過酷だと言う潜水班のドアをたたいていました。
泳ぐのをやめてしまいたい…過酷な研修
「潜水士」を取得したからといってすぐに潜水カメラマンになれる訳ではありません。局内でも“知る人ぞ知る”NHK潜水班は、研修が過酷なことでも有名です。通常業務をこなしつつ2年間で3度の研修を重ねるのですが、第一関門の研修期間には「地獄」と付くようなカリキュラム をクリアしなければなりません。
例えば“地獄鍋”と呼ばれる研修では、5キロの重りを抱えて10分間の立ち泳ぎをします。フィンをつけた足を動かし続けないと沈んでいくので、浮き沈みする姿がまるで鍋に入れられた具のようだと、この名がつけられています。
足を動かし続けると息が上がって苦しくなり、一方で、足を止めるとすぐに沈み、呼吸ができなくなる。「泳ぐのをやめてしまいたい…」、そんな己との葛藤に勝てた者だけが、この研修をクリアすることができるのです。
研修を通して、参加者は体力的・精神的に鍛え上げられていきます。
私自身も、屈強な先輩たちの指導のもと、仲間と励まし合いながら、なんとか2年間の研修を終えることがきました。
ただ、地獄のカリキュラムをこなしてようやく現場に出られるようになっても、すぐに現場で活躍できるわけではありません。研修が明けてすぐは必要最低限のスキルしか有していないので、一人前と呼ばれるまでには多くの期間と現場経験が必要になります。
私は潜水班に所属して約10年経ち、これまで700回以上潜水してきて、ようやく思い通りの撮影ができるようになってきました。
紅海で深海800メートルの世界を撮影
実は、空気の入ったタンクで潜水業務ができるのは水深40メートルまでと法令で決まっています。(国内の業務で潜れる深度と使用する空気は「改正高気圧作業安全衛生規則」で定められています)
しかし、海の世界はもっと深くまで広がっており、特に水深200メートルより深い深海は、まだまだ謎に包まれた領域です。その領域には潜水艇に乗って行くしかありません。私たちは、その未知の世界を解明しようと深海の撮影にもチャレンジしています。
まず調査船に乗って沖へ向かい、海上で潜水艇に乗り換えます。そして、潜水艇の外側に取り付けたカメラを中からリモートで操作して、深海生物の撮影を行うのです。
最近、特に力を入れているのが高画質で高精細な映像が撮れる8Kカメラでの深海撮影です。光が届かない暗黒の世界を8Kカメラで鮮明に撮影しようとしています。
私は昨年、まだ解明されていないことが多い紅海の深海撮影をするために、サウジアラビアに向かいました。
乗船したのは「OceanXplorer(オーシャンエクスプローラー)号」という世界中の海を研究している最新鋭の調査船。総トン数約5400トンの超巨大な母船には、先ほどご紹介した潜水艇のほかにもヘリコプターや小型船が搭載されており、海洋でサンプルしたものをすぐに解析できるように、さまざまな研究設備が完備されていました。
なによりも、まるで「エ●ァンゲリオン」の内部のようなミッションコントロールルームには驚かされました。私もこれまで小型船や大型の蟹漁船、フェリーなどさまざまな船に乗り、撮影を行ってきましたが、ここまでスケールの大きな船に乗るのは初めての経験でした。
深海調査に使用する潜水艇がこちらです。海の中をよく観察できるように、ほぼ全面が30センチを超える厚さの球状のアクリルで覆われています。
世界で最も厳しい安全基準と言われるアメリカの「ABS安全基準」もクリアしたこの潜水艇。耐圧性能はなんと水深1000メートルで、実に陸上の100倍以上の水圧にも耐え、8時間を超える長時間の調査が可能です。
この潜水艇に搭載するカメラは、私たちが一から開発を行いました。
そもそも8K撮影できる深海システムが存在しなかったため、撮影するためのシステム開発からスタート。
8Kの高精細な画質を深海用のカメラで実現するのは簡単ではなく、また、その高精細な映像を膨大な信号数で処理するためのシステム開発は難航を極めましたが、2年の歳月をかけて、なんとかシステム開発を完成させることができました。
いよいよ、深海に向かいます。潜水艇は3人乗りで、カメラマン、パイロット、研究者が乗り込みます。
潜水艇の中は、非常に狭く座った位置からほぼ動けません。1回潜るとおよそ8時間は調査を続けることになりますが、トイレがないため潜る前は水分が多いものは控え、利尿作用があるコーヒーは飲まないようにしていました。
また、カメラのコントローラーが膝の上にあるため足を崩すこともできず、密閉空間で身動きができない状態で長時間撮影を行うのは、なかなか大変でした。
さらに8Kの収録システムが足元にあるため、そこから発せられる熱が潜水艇内にこもります。普通の海は水深が深くなるにしたがって水温が下がるため、潜水艇内は少し寒いくらいだと聞きますが、紅海は深度に応じて温度が下がっていかない世界的に見ても特殊な海であるため、半ばサウナのような状況になっていました。
そんな過酷な環境での撮影でしたが、初めて見た深海は冒頭でも述べたように「まるで宇宙のよう」でした。
太陽光が届かない深海は、表層と違って生態系が異なり、生物はもちろんですが風景も一変します。
神秘的なこの空間をどう撮影すれば、伝えることができるか、これまでの経験をフル活用して、深海の撮影に挑みました。
こちらの番組は2023年夏放送に向けてNHKスペシャル版の編集を行っている最中です。またシリーズ「Deep Ocean」は以前放送されたものがVRコンテンツになっています。
流氷の下を潜る最も過酷な研修
さまざまな業務を経験してきましたが、それを下支えしているのは訓練の積み重ねです。
潜水班では、研修期間が明けて実際の業務に出るようになってからも、スキル維持と向上のために定期的に訓練を行います。その中でも特に過酷な環境で行うのが、北海道羅臼の流氷の下でマイナス1℃の海に潜る寒冷地研修です。寒さ対策のため、ふだんの潜水時よりも重装備で潜ります。
ふだん入っている海の感覚との違いに緊張と不安が入り混じりながら、私は氷点下の海に入水しました。潜って最初に感じたのは、「寒い」よりも「痛い」という感覚。できるだけ肌が露出しないようにしますが、それでも直接海水に接してしまう顔のような部分には刺すような痛みがあり、潜った後は赤く腫れあがります。
防寒のためフードや手袋もふだんより分厚いものを使用するため、動きづらく細かい作業ができません。低水温では思考がどんどん低下し、ふだん当たり前に考えられることができなくなっていきます。
特に危険なのが、機材が凍りついてしまうことです。ダイバーは空気が入ったタンクを背負っているのですが、その空気を吸い込むための装置が凍り付いてしまうと、呼吸ができなくなってしまう可能性もあるのです。
なぜ、そこまで危険な研修を行わなければならないのか?
それは、研修を通じて自身をより過酷な状況に追い込むことで、撮影に集中するための「余裕」を確保することができるようになるからです。
この極限の海に潜ることができたら、他の海での潜水撮影はもはや”楽”に感じることができ、その分安全に気を配ったり撮影の内容にこだわることができる。そう言い聞かせて極寒の海に潜ります。
その研修の集大成が、流氷が漂う海の中からの水中中継です。
陸空海をつないで三次元中継を行いました。
中継に必要な水中スタッフは、カメラマン1人、照明2人、ケーブル管理2人、安全管理1人の計6名。
その他にも陸上にリポーターやドローンオペレーターがスタンバイし中継に備えます。
水中では言葉が発せないため、ジェスチャーでのやり取りをします。そのため、チームワークが非常に重要なポイントとなってきます。
中継で紹介するのは、世界最大のタコである「ミズダコ」、そして卵を抱えて必死に子育てをする「オニカジカ」です。
水中にいられる時間は限られるため、本番の時間を逆算して潜りはじめます。
スタート地点にスタンバイするのは本番予定時間の10分前。
陸上の中継に比べて、準備時間もわずかしかありません。
しかも、潮の流れや光の入り方、海の様子は刻一刻と変化しており、「リハーサル通り」にはいきません。この時も、本番直前に太陽の入り方が変わりはじめました。
一緒に潜っている照明担当に「壁方向に強めに当ててほしい」と、ジェスチャーで伝えます。すると、すかさず「こんな感じですか?」と照明の当て方を変えてくれます。
潜水撮影の裏側には、そんな言葉を介さない瞬時のやり取りがあるのです。
いざ本番。カメラに中継中の映像が表示されるので、撮影する私だけには中継が始まったことがわかります。
ただ、一緒に潜っている他のスタッフにはそれがわからないので、ハンドサインで中継が始まったことを伝えます。あとは、撮影するカメラマンの動きに合わせて、まるで一つの生命体かのように全員が動いていきます。
個性が強いカメラマンの集まりですが、全員が同じ方向を向いて業務を進めるときのチームワークは、唯一無二。そう再認識した中継でした。
放送で紹介した水中の映像と、水中カメラマンの体験ができるVRコンテンツ(360度カメラで撮影)はこちら。
この時、あらためて「いつだって一期一会、同じ海は二度とない。その時あるもの感じたものを、切り取っていくしかない」と、潜水撮影の奥深さを身にしみて感じました。
機材が凍るような流氷の海に潜る人は少ないと思います。そんな海でも懸命に生きる命の営みがきちんとあるということ、それを伝えることができるということ。それは何事にも代えられないやりがいです。
そんな現場に日々立っている私ですが、昨年秋に外部インストラクターの資格を取得し、ダイビングの指導が行える立場になりました。NHK内では、この資格をとったことにより、生徒側から指導する講師側に変わることになります。
無限の可能性が広がる水中の世界。これからは、潜水班として受け継いできたスキルや伝統を、後輩たちに伝えていきたいと考えています。また、自分自身もまだ見ぬ世界に出会えることを楽しみに、そしてその映像を視聴者の皆様へ届けられるよう日々精進してまいります!
潜水カメラマン 髙村 幸平