NHKアナウンサーがパラリンピックの審判を目指すわけ
アナウンサーの髙木優吾です。
仙台局ではニュースやリポート制作を担当しながら、大相撲期間中には東京や大阪などで放送を行っています。力士の思いに寄り添い、見ている人の心に触れるような熱のある放送を目指しています。
そんな私が大相撲以外にも情熱を傾けている、あるスポーツがあります。
それが「ゴールボール」というパラスポーツです。ゴールボールは、目隠しをして、鈴の音を頼りにボールをゴールに入れ合います。
東京パラリンピックでは、女子の日本代表が銅メダルを獲得したことでも話題になりました。
私、自分で言うのもなんですが、日本で一番ゴールボールに詳しく、アツいアナウンサーです。
なぜ、私がここまでパラスポーツに情熱を傾けているのか。 スポーツとしての魅力、競技する選手やサポートする人たちの魅力がたくさん詰まったゴールボールへの思いをお伝えしたいと思います。
ゴールボールとの出会い
私がゴールボールと出会ったのは2017年。
当時は滋賀県にある大津放送局にいました。東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まっていたこともあり、NHKでは特にパラリンピック競技への理解や普及を目的とした企画が数多く放送されていました。
ある日、「日本のゴールボール草創期を支えた元日本代表が滋賀県にいる」という記事を目にしました。当時の私はゴールボールという競技の名前は聞いたことがありましたが、どんなスポーツなのかは全く知りませんでした。
ただ、記事内の「競技の発展を支えた人物が今も地元で普及活動」といった情報に興味がわきました。「 そんなレジェンドが滋賀県で活動しているならば、一度会いに行きたい!」と思ったのです。
そのレジェンドこそが、私がゴールボールにのめり込むきっかけとなった方でした。 滋賀県守山市在住の西村秀樹さんです。西村さん自身も視覚に障害があります。
西村さんに取材のお願いをすると、「まずはチームの練習に来てください。ゴールボールを体験するのが一番」という言葉。そこでチームの練習にお邪魔することにしました。
ゴールボールのボールは、バスケットボールと同じ大きさですが、重さは2倍。投げるときはボーリング球を転がすようなイメージです。ボールを止めるときには体を横に寝かせ、手や足を使って止めます。
初めて体験したときの様子、心の声を再現実況すると…
ゴールが決まった瞬間の興奮や喜びはこれまで経験したことのないものでした。
ゴールボールは音を頼りにする競技なので、基本的に試合中は声を出してはいけません。ゴールの瞬間、静寂が一瞬でうねりのような歓声に変わるのです。「すごく面白い!」と一気にのめり込みました。
西村さんからは「髙木さん、一緒にゴールボールを盛り上げましょう」という言葉。この一言が私を突き動かしました。「こんな面白いスポーツをもっとみんなに知ってもらいたい」と思ったのです。
そのために、 放送やイベントでゴールボールの企画を実現したい。まずは、もっとゴールボールを深く知ろうと思い、ボランティアとして地域の大会や体験会のサポートをしていくことにしました。
NHK初のゴールボール生中継
ゴールボールに関わる中で、日本代表が滋賀県で合宿を行うという話が飛び込んできました。しかも、トルコや中国、ロシアといった世界ランキングでも上位の強豪国が来日し、東京パラリンピックに向けて、日本代表と強化試合をするというのです。
(2022年12月現在 日本は世界ランキング2位、トルコは世界ランキング1位)
トップレベルのプレーを日本で見られる機会はめったにありません。そのときの私は、「強化試合を生中継すれば、多くの人がゴールボールを知るきっかけになる」と考えました。すぐに局の上司や後輩に相談しました。東京パラリンピックを前にパラスポーツを浸透させたい思いがNHK内にあり、熱意も通じて周りも後押ししてくれることになりました。
さらに、日本ゴールボール協会にも足を運び、企画の意図を説明しました。その結果、来日する強豪国の中でも、リオ大会で金メダルを獲得したトルコとの試合が、NHK初のゴールボール生中継に決まったのです。
しかし、NHK内でもまだパラスポーツの認知度が低く、同僚には「どんな競技があるのか分からない」、「競技の名前はよく聞くけど、ルールが分からない」、「選手のことをよく知らない」という声もありました。
せっかく決まった生中継をより良い形で実現すべく、同僚に声をかけ、身近なところにパラスポーツのファンを増やす企画で周りの機運を高めることに。
そこで、局内でパラリンピック勉強会を複数回開催しました。パラリンピックの歴史や意義を振り返り、ある日には現役の選手を招いてお話ししていただきました。
その結果、さまざまな部署から「一緒に盛り上げていきましょう」という言葉をかけてもらえるようになりました。大津局が一丸となり、企画をより良いものにしようとするパワーが一気に生まれたのです。
試合を有観客にすることや、会場ではパラリンピック競技を体験してもらうというイベント要素を加えるアイデアも出てきました。さらに、パラリンピック選手によるトークショーも行い、選手を身近に感じてもらう企画も思いついたのは、局内で協力してくれるメンバーがいたからでした。
初のゴールボール実況に挑む
いよいよゴールボールの生中継とイベント当日。およそ500人が会場に訪れました。
生中継をする日本対トルコの試合では、私がルール解説や世界トップレベルの技について実況することになりました。
NHK初の生中継だったこともあり、マニュアルはありません。すべてが手探りです。私が大相撲の実況や ゴールボールに携わった経験を最大限生かすべく、3つのことを心がけました。
また、副音声では別のアナウンサーが目の見えない人に向けた実況も実施。ここではラジオ中継のように目の前で起こるプレーをすべて描写し、誰でも楽しめる放送を目指しました。
日本は残念ながら敗れてしまったものの、競技の迫力や魅力が少しでもみなさんに伝わったかと思います。
もっとゴールボールを支えたい
生中継とイベントがきっかけで、ゴールボールの代表選手やスタッフとも知り合うことができました。
そこでは、みなさんがパラリンピックという舞台に人生をかけている姿を目の当たりにしました。本業の仕事がある中でも、休暇を利用して、ゴールボールの練習や大会に足を運び、日本代表が活躍するための努力をしているのです。
そこで私は、「もっとゴールボールをサポートしていきたい 」と感じるようになりました。
放送でゴールボールを盛り上げることに加え、私自身のライフワークとしても、みなさんの力になりたいと思いました。ゴールボールに関わるみなさんが、競技を何一つ知らなかった私を快く迎えてくれ、丁寧に指導してくれたことも大きかったです。
協力したいことを伝えると、 日本ゴールボール協会の育成や体験会チームに加えてもらうことになりました。そこでは、ゴールボールを始める人を増やす取り組みを行っています。NHK内でも許可を得たうえで、休日を利用して活動に参加しています。
その1つが「チャレンジゴールボール大会」です。初心者やゴールボールをやってみたい個人や企業がチームを作り、視覚に障害がある人もない人も気軽に参加できる大会をサポートしています。私も全国の大会に参加し、スタッフの1人として運営を担っています。会場設営やルールの説明、プレーのコツなどを伝えるのが主な役割です。
去年は北海道・東北大会として、今、住んでいる宮城県で大会を開催しました。20人以上が集まり、「楽しかった」「またやってみたい」という声が多くありました。ゴールボールのファンが少しでも増えたと思うと、こうした活動を続けていくことの大切さを感じています。
東京パラリンピックでも実況!
こうしてゴールボールの普及に関わるようになって、およそ5年。いよいよ東京パラリンピックの開催が近づいてきました。
選手や関係者がパラリンピックに向けて努力する姿を見てきたからこそ、その舞台で活躍する様子を実況したい!と強く思うようになりました。
これまでの取り組みを局内でもアピールし、私自身も日本代表の練習を取材するなどして競技の知識を増やした結果 、中継メンバーの1人として、ゴールボールの実況ができることになりました。
担当したのは 男子日本代表の試合。初出場だった男子チームはなんと決勝トーナメントまで進出し、世界を驚かせた快進撃を伝えることができたのです。
放送では、大津局での経験を軸に、選手たちがこの試合にかけてきた思いを言葉に乗せました。
男子代表が強豪国に次々と勝って喜ぶ姿では、「この強さは本物です!」という実況が思わず出てきました。これも日本選手の努力を取材し、身近に感じていたからだと思います。
夢はパラリンピックの舞台に立つこと
今、新たな目標があります。それは、「パラリンピックの舞台に立つこと」です。選手としてではなく、「審判」としてです。
審判の方を取材する中で、印象的だった言葉があります。
「審判は目が見えない選手たちを助けて、プレーしやすくするわけではない。目の見えない選手たちに“分かりやすく伝える”ことが役割だ。審判の笛や声は、目の見えない選手が自分のプレーを振り返るための情報だ」という言葉です。
その審判としての心構えは、アナウンサーという仕事にも共通する部分です。審判という立場なら、もっと私自身の持ち味を生かせると考えました。
今は月に1回程度、休日に練習会へと足を運んで審判の経験を積んでいます。ルールも複雑で、目の見えない選手たちに向けて分かりやすく声を出すことも求められています。
パラリンピックの審判をするためには、競技の知識だけではなく、英語力も必要になってきます。試験を受け、国際資格をとることが求められています。受験生のような気持ちです。
審判としてのチャレンジと同様、放送を通してパラスポーツの魅力や意義を伝えることに、これからも力を注いでいきたいです。東京パラリンピックが終わった後だからこそ、より大切だと感じています。
パラスポーツの普及や認知拡大を通し、障害のある人たちが少しでも生きやすい世の中にしていきたい。誰もがその役割を担えると信じて、私ができることをこれからも続けていきたいと思います 。