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育ちがいい、頭のいい母親の犯した末路

母親は頭がいい。

母親の話によると、小学生の頃に先生に「私立の中学校に行かないか?」と勧誘されたらしい(勧誘という表現が合っているのかは分からない)。

母は何を言われているかわからず、公立へ通ったのだが、高校受験シーズンに先生に県でも頭のいい高校を試しに受けてみないかと提案され、受けたところ受かったとか。
母の両親も受かるとは思っておらず驚いていたらしい。

受かった高校に進学が決まり、もちろん進学校だったためほとんどの人が大学に行っていたらしいが、母は就職を選択した。それがすごいと思った。
私は流されやすい性分で、周りが大学に行くなら自分も行ったけど、母は大学進学は選択しなかった。どうしてから訊いたところ、姉たちが高校を出たら就職していたから自分もそうするもんだと思っていたことと、大学に行って別に勉強したいものがなかったから、と言っていた。
私だって、姉が大学に行ったから行ったけど、別に勉強したいから行ったわけではなかった。
だからすごいなと思った。

母は自分の芯をしっかり持っている。
そのおかけで私たち姉弟はここまで丈夫に育ったし、甘えさせて貰えることもなく育った。

そう、甘えされてもらないところが問題だった。

私の弟は重度の自閉症で、読み書き、喋ることは出来ない。
そんな弟で母は精一杯だったんだと思う。
私は正直母から十分な愛情は貰えていなかったんだなぁと過去を振り返って思う。

母は頭がいい。私は頭が悪い。
だから私の気持ちを汲み取ろうとすることはあまりしてくれなかった。
簡単に言うなら典型的なメンヘラの言うことがよく分からないような感じだった。

私はよく母に「あんたは2歳から反抗期だからね」と言われていた。
そう、私は結構昔から親に反抗していた。
イヤイヤ期から卒業が出来ていないらしい。

例えば、2歳の頃、家に帰りたくなくて道路に寝転がってイヤイヤ言っていたり、何に対してもイヤ!しか言わないような、本当に典型的な子どもだった。
母はそんな私に苦労したらしく、でも賢く育てていた。

夜中に泣き喚くと、普通は「静かにしなさい!」と言うことが多いと思うが、
母は「もっと泣け!隣ん家まで聞こえないよ!もっと大きく!なんで泣かないの!?泣きたいんでしょ!ほら泣け!」
私も最初の方は対抗するが、母の煽りに勝てず、疲れ果てて泣くのをやめるのだった。
母の思惑通りになってしまったのだった。

私は昔、人の目をとても気にしていた。それで決めきれないことや迷ってしまうこと、決断できないものが多かった。
歳を重ねている母はそれが耐えられず私によく早く決めろとよく怒鳴っていた。

母に相談しても全然話を聞いてくれなかった。
話した後に返ってくるのは、「私はまずそんなことしない」とか「私は」そんなことで悩まない」とか自分本位で考えることが多かった。
だからといってすべてが自分本位で考えてはおらず、意外と人の立場になって考えていることもあるため、その葛藤に私は悩まされていた。

高校の頃、またもや反抗期が来た。
気を引きたくて、母と喧嘩したときのことだった。
私はとてもネガティブで、母に「私はお母さんとお父さんの短所を引き継いたから、生まれなきゃ良かった」と酷いことを言った。
母は「ふーん、それでも長所があるから凄いよね」と返した。
娘の酷い言葉を振り回されずピシャリと言い返してしまうから本当に立派なものだ。

思春期ということもあり、別に死にたくもないのに「死にたい」と言ったら、

「死ぬのはあんたの勝手だけど、人の迷惑を掛けないように死んでね。だからまず家を汚すのはやめてね。家が汚れるから。だからと言って公共の場所を使うのもやめてね。誰かが片付けないといけないから。それと、道路に飛び出したり人身事故で死ぬのはやめてね。車汚れたり電車止まらせたら皆に迷惑だから。山や海に遭難するのもダメ。捜索願出して色んな人に探してもらわないといけなくなるから。死ぬなら自分で後始末出来るものにしてね。ほらないじゃん。できないよ」

母は人の迷惑のかからないように死ぬことは出来ないと教えてれた。
私は絶望に感じた。
自分がただ死んだだけでこんなにも迷惑がられることがショックすぎた。
こうなったら何言っても母には届かないんだなと私が諦めたくらい、母は口喧嘩が強かった。勝てたことは一度もなく毎度悔しさを噛み締めるはがりだった。

ここで一つ知ったのは、頭が良くて、環境のいい家庭で育ったと思われる母に、私の気持ちが分からないことが判明したことだった。
よく頭の良さデ理解出来ることが分かれると言うけれど、まさにそれを実体験した。
母は自分で考えてちゃんと行動できる人間であるため、私がどうして考えないで行動できないのかが分からなかった。
分からないことがある度に「言っている意味が分からない。こうすればいいじゃん」と言われるばかりで、それも以前に書いた『孤独』を余計に感じさせているのではないかと思った。

高校の頃の私は心理学を少し学んでいた。
と言っても本で読んだり、ネットから拾ったものが多かったのでそれが正しいかは謎だが、とりあえず少し知識は持っていた。
当時は鬱が浸透していない頃だった。
私は自分が明らかに何かの症状を持っているという確信があった。
そりゃあ、こんな過酷な人生過ごしていたねぇ。
だから母に精神科に連れて行って欲しいと頼んだ。
でも母は冗談かと勘違いしたらしく「やめてよ〜。大したことないって。大丈夫だよ」と私を宥めるばかりで聞いてくれなかった。
その時、姉が鬱になるなんて思いもしていなかっただろう。
母も自閉症の息子だけで精一杯で、思いたくなかったのかもしれない。
そう思ってしまうよな。私も否定できない。

我が家は問題児(児って言える歳じゃないけど)ばかりいて、母親を困らせていたのかもしれない。ゴメンな。でも、それらは私たちが形成してしまったものなんやで。

ここまで私の過去を語ってきて、何が言いたいのかと言うと、健常者も時には危険だということ。健常者だからと言って人を傷つけているのかもしれないこと、それを知って欲しいと思った。

これも一時期、私はカウンセリングを受けてから気づいたことだったので、身近にいる人ほど疑いもしないことが原因だったりするから、少しでも気になることがあるのならカウンセリングに行ったら何かすっきりするかもしれない。

まぁ、こう偉く言っているか、今は行けてないんだけど。

やはり医者との相性もあるから合わないなと思ったら人を変えるなり病院を変えるなりしたらいいと思う。

なぜか人にアドバイスした形で終わってしまったけど、そういう意見もあると参考になれたら嬉しく思う。

今回はここまで。
最後までご精読ありがとうございました。
またの機会に。

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