ドライブ・マイ・カーを、観た。
余韻を勢いのまま、日記として残す。
9月28日、待望の映画を観た。『ドライブ・マイ・カー』。
私が村上春樹を愛読するきっかけとなった、短篇集『女のいない男たち』の第一篇が原作とあって、それはそれは楽しみで仕方なかった。
しかし、私の住む地方はなかなか上映が始まらず、というか上映している映画館が見つからず(なぜ!?)このご時世で県外に行くことも憚られるので、劇場での鑑賞は半ば諦めていた。
いつかアマプラ、もしくはDVDレンタルが始まるまで涙をのんで待とう…
そう思っていたとき!
9月も終わりを迎えようとしているこのタイミングで、近所の映画館で上映が急に始まっていることが分かった(私が知らなかっただけで少し前から始まってたのかもしれん)
しかも9月末上映終了予定!もっと長くやれよ!ひょえ~~~~~
ということで、光速で予約をし、念願叶って観ることができた。
〜拙い感想〜
予告編を観た時からうすうす感じていましたが、とんでもなく良作でした。
観た人たちが言ってる感想と一緒になってしまうけど端的に言うと、
・179分という長尺を感じさせない
・配役が完璧
・サーブ&煙草かっけぇ…
でした。
自分のボキャブラリーの貧しさに悲しくなる。
特に時間のことにはびっくりだった。
原作は割とあっさりと終わっているし(短篇だし)、話自体のボリュームから考えて179分の映画が作れるとはとても思えなかった。
しかし作れてた…余裕で…
なんならもっと見ていたい、終わった後に若干のロスを感じたくらいだった。
もちろん179分の間の時間を盛り上げるために原作にはないオリジナル要素をいくつか加えてはいたけど、それもこの映画の「テーマ」のようなものや、伝えたいことを引き立たせるスパイスとなって、何一つ無駄なところがなかった。
完璧に原作通りでないことを少し不満に思うファンの人ももしかしたらいるかもしれないけれど、小説とは別に、映画には映画のテーマがあっていいと思う。
原作をそっくりそのまま映像化しようとしても、テキストで表現できる空気感を映像の上に容易く写しこむことは当然できない。
映画は小説よりも一層、そのテーマをくっきり分かりやすく提示して、限られた尺の中で、物語の動きやセリフを組み立てていかなくてはならない。
そう思うとまた「映画作りってタイヘンだなあ…」とかいう薄っぺらい感想に行きついてしまうわけだけど(笑)、でも本当にそうだ。
あと驚いたのは、短篇集『女のいない男たち』内にある、ドライブ・マイ・カーとは別の短編『シェエラザード』の要素まで映画の中に入っていたこと。
すごい…この1本に2つの話の映像化が実現されているじゃねえか…と感動でウズウズした。
やつめうなぎってめちゃくちゃ気持ち悪いな……(画像貼ろうと思ったけど普通に閲覧注意レベルなのでやめる)
配役に関しては、西島秀俊は言わずもがな、
三浦透子!
が良すぎて、目線の移し方、声、淡々とした態度、本当にすべてが渡利みさきそのものでこれも感動。
でかい犬と煙草似合いすぎ。
個人的に劇中で着てたグレーのジャケットすらもかっこよく思えて、今年絶対同じようなやつ買って着ようと決めた。単純野郎...
ゴミ処理工場行って、パラパラ落ちるゴミ見ながら「雪みたいじゃないですか?」って言うシーンが個人的に良かった。
故郷の北海道を重ねていたりしたんだろうか。
あと、観る前は役の中で、高槻の役だけは「え、岡田将生?へぇ、そう…」とそこまでぴったしはまらない気持ちを持っていたけど、愚か者だった。
岡田将生も素晴らしかった。
後半の西島秀俊をまっすぐ見据えた、ほとんどまばたきもなしの長い語り。
吸引力がすごくて、こっちまでまばたきを忘れて、私も車の後部座席で真横に座って話を聞いてるようだった。
「本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。」
原作を何回も読んだはずだけど、映画を観て、改めてずっしり刺さった言葉。
分かったふりして全然理解できてなかった、この言葉の真理。岡田将生に気づかされた。
大豆田とわ子の時からわかっていたはずなのに…岡田将生恐るべし…
何よりこの映画、観た人はもれなく全員喫煙者になるんちゃうかってくらい、煙草のシーンがいちいちかっこいい。気をつけてください。
禁煙外来に通ってたりする人だけは、『ドライブ・マイ・カー』の鑑賞を控えた方がいいかもしれません。
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