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春×晴れ×日曜日


「昼下がり」という表現が昔から好きだったけど、具体的に何時から何時までのことを指すのか分からなくて、調べてみた。


Google先生によると、

「正午以後、夕方に至るまでの時間帯。」

とのことだった。

意外に始まりが早いし、夕方??とはまた何時までのことを言うのだろう。


とにかく、おそらくその範囲に入るであろう午後1時、つまり日曜日の昼下がりに、父と母がスープから手を込んで作ってくれたラーメンを食べた。

前にもラーメンの話を書いたからまたかよ!と自分でも思うけれど、こんなに天気の良い春の日のラーメンはやはり特別なのだ。

よく見ると麺の賞味期限が切れている(笑) 問題なく美味しくいただいたけど…


私の両親が協力して料理を作るのは、昔からラーメンくらいのものだ。

離婚寸前の時期もあった頃を思いながら、ラーメンを作る夫婦の背中を見ると、思わずほっとしてしまう。

今でもしょっちゅう喧嘩は絶えないけど。

正直離婚しても、しなくても、どちらも間違ってなかったような気がする。二人が選択した先の未来に、今日の日の私の塩中華そばがある。


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別に何が言いたいわけでもない。感傷に浸るほどのことでもないし。

ただ何かあるとすれば、春と、晴れの日と、日曜日は、最高だということ。


まん防も明けて、たくさんの人が嬉しそうに出歩いているのを窓から眺めた。近所の大きいスーパーにはぎゅうぎゅうに停められた車がペカペカ光ってるし、風はまだ冷たいけどベランダに降る日差しでじんわりと汗が滲むくらいだった。

街の景色がきらきら光って見えるのは、まん防が終わったせいだけではない。
春が来た!という実感と、それにふさわしいお天気であること。今日が(多くの)みんなのお休みの日だということ。

晴れていても寒かったり、春でも雨が降っていたりすると…つまりどれかが欠けていると今日みたいな日は訪れない。

春×晴れ×日曜日は、それだけで一粒万倍日みたいなものだ。


私も実は土日休みの人間ではないけど、それでもなぜか、日曜日はうきうきする。

昔、それこそ日曜の日の「昼下がり」、京都の鴨川沿いを延々と歩き続けたことがあった。

まだその時はコロナなんて流行っていなかったから、川沿いではたくさんの人が色んなことをしていて、それぞれが思い思いの日曜日を過ごしている、という感じがとても素敵だった。

ベンチで老夫婦がお弁当を食べていたり、若者がせっせとスケートボードで大技に挑戦しては転んでいたり、ドラマの撮影をしていたり、飛び石を親子が楽しそうに渡っていたり、高校生くらいの男の子たちが水切りをしたり。


私はあたたかな日曜日を感じるたびに、その光景が目に浮かぶ。

日曜日は誰にだって特別。春という季節が加われば、さらに心も高鳴る。


だけど、心にある程度の余裕がなければ一粒万倍日でもうきうきしないし、春には良い思い出がないっていう人も私は知っている。

私だってもうちょっと前までは春が特別好きだなんて思っていなかった。


それでも今は、毎年春が来るたびに、何かしら前に進んでいることを感じるし、ここからまた始まるんだという気がして、背筋が伸びる。


いつかまた、嫌なことがめぐってきたときには、できればこの気持ちを思い出したい。

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