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伯父が旅立った

明日から新年度がはじまる、と自宅で仕事をしているところに訃報がきた。

それは母方の従兄弟が我が家に来訪してくれるという形で知った。なぜそうなってしまったかは、イタズラが多いため音は消音にしていた自宅の電話番号しか伝えていなかった。その結果、ご面倒をかけることになってしまった。
しかもタイミング悪く、母はおばさんとお花見に行っていたので、私と父が対応することになった。

私は母方の親戚とはあまり会う機会がないまま育った。そこに特に大きな理由があるわけではないとけれど、私は母が(当時では)高齢で出産したこともあり、私は従兄弟たちとかなり年が離れている。そんなこともあり、伯父と私が話したことはあまり覚えていない。

しかし、母にとっては兄であり、父にとってはクラスメイトだった。これが両親が結婚したことにはつながっていないのだけど、結婚が決まったとき「あれ?同じ学校だったよね」となったらしい。これはおそらく父が(つまり私も)名字が珍名なので、目立ったからだろう。話が逸れた。

そのいらしてくださった「従兄弟」とその日、初めて話した…と思う。私がここで書いているように敬語を使うような間柄だ。
とてもいい人だった。親戚なのに、初めて話すなんて、ものすごい違和感しかなかったけど、とても良いお人柄なのはわかった。

父が落ち込んでいた。「あぁ、俺も歳なんだなぁ」と言っていた。どうやら父からは言い出させなさそうだとわかったので、私から帰宅後の母に伝えた。

伯父は長く闘病生活をしていたから、母はあまり驚いている様子は見せなかった。でも、やはり少し心配なので、作業は少し早めに切り上げて、その日お花見に行っていたおばさんとの話をしたりした。

母は迷いながらも「遠方に行くほど体力がない」と判断したので、その従兄弟に欠席の詫びを入れていた。従兄弟はそれをしっかり受け止めてくれた。優しい方だ。

葬儀の日は土砂降りの雨の日だった。お香典は書留で私が送った。出勤前に郵便局に行った時、悲しくなって涙が出た。伯父さんと話したことは覚えてないけど、父とお酒を酌み交わしていた様子は覚えている。

どんな形であれ、人の死は悲しい。

どうか、伯父さん、安らかにお眠りください。

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