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音楽学部はどこへ向かうのか

最近、ずっと考えさせられていることだけど、今後日本で音楽学部はどうなっていくのだろうか?今回はこのことについて考えてみたい。誰にも頼まれていないが。

私は普通科の高校に勤務していたのに、(これだけは)ありがたいことに「音大受験コース」というクラスを担当していた。楽典やソルフェージュを教えるのは、どの仕事よりも好きだから1番やりがいを感じた科目だった。

そのクラスでは年々、外部で先生につかずに私だけ(つまり学校の授業だけ=1年間しかやらない)で受験する子が増えた。でも楽典は理解のスピードがあればなんとかなるし、聴音だって耳がある程度良くてリズムパターンと少しの和声の理論(仕組み程度でいい)がわかればある程度の点数は取れる。ちなみに私の教えた生徒で不合格者はいない。藝大合格者もいる。

それが年々変わっていく。「新曲視唱がない」とか「和声聴音がない」とか、試験科目が減らされていった。それでも「入学したら必要だから」と、入試に課されていないものも私は教えていた。しかし、年を追うごとに「入試に間に合わせることしかできない生徒」が履修するようになった。

話が少し逸れるが、私が勤めていた高校はいわゆる進学校で、教育に熱心な親御さんの子が通う学校だった。
年を追うごとに、理解が早い子(ストレートに言えば勉強ができる子)は音大を目指していたけど、一般大学に進路変更。一方、一般大では満足のいくところに進学できなそうだから「音大に行きます」という方向性に変わっていった。後者は私に取って理解し難いものであった。

しかし、これが如実にわかっていく。勤務校だけじゃない。私大音大の倍率を見れば一目瞭然。藝大も昔の倍率とは違う(ここでひとつ追記するが、藝大のレベルが下がったというわけではない。詳細は触れないが、ただ「倍率が低い=志望者が少ない」とも理解できる)しかも、音楽学部が年々減っていくではないか…

私は前にも書いたように高校から某音大付属に入学した。私が望み、仮面浪人してまでして入った。思い起こせば私たちの頃はも倍率も高かった。今はおそらく入学願書の不備がなければ誰でも入学できるのでは?と思うほどだ(注:もちろん全員ではなく、上手い人だって合格していることは承知です)

私は今でもソルフェージュを教えているが、もう先は見えない。いろいろ掛け持っている仕事の中で1番好きなものだが、需要のなさに辟易している。本当に音楽を学びたい人はどうなってしまったのだろうか?学校に行かずとも学ぶことがいいのだろうか?いや、やはり専門性を持つには専門の先生から指導を受けるのが1番である。

私は今、「音楽学部」の行き先がどこに向かっているのかわからない。書いていたらこのブログの結論もわからなくなってしまったが、これは序章に過ぎないということにしたい。

というわけで後に続く…

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