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余白

最近巷でも「余白が大事」という事がよく言われるようになってきましたが、自分は昔からこの考え方を大切にしています。
この「余白」というのは、ひとつにはポスターなどのグラフィックデザインの世界において、紙面構成上適度に余白を持たせることで見た目がスッキリ美しくなり、見る側としても読みやすかったり見やすいレイアウトになる、というものですが、私が興味を持っているのは別で、「物事における余白」というものです。

これは、例えば「時間的余白」であったり「空間的余白」「機能的余白」「心の余白」「解釈の余白」などであったりします。
日本においてはある程度文明が進化してきた中で効率性や合理性がどんどん追い求められてきており、プロダクトにもそれが映し出されていると感じています。建築などもそうだと思います。
機能や意匠において、無駄や余白が許されない。合理性や経済的根拠がない部分については切り捨てられてしまう。そういったことが多いように思います。それが日本のものづくりの良い面も作ってきたのかもしれませんが。

近年日本でも、「使い手に余白を与える」といった具合に、余白や無駄をあえて残してそれを楽しむ流れが出てきていることは個人的に良いなと感じています。

デザイン的にイタリアをはじめとする欧州とまだまだ差があるのも、こういったことが関係していると思っています。

今という時代や社会の中で、どのようなキーワードに着眼し、視座を持ち、それをコンセプトに変換して、どうプロダクトなどに落とし込んでいくか、というのが自分の描くひとつのデザイナーの役割だと思っています。



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