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何かの訪れを「待って」いる

若松英輔先生の『本を読めなくなった人のための読者論』を読みました。

最近、本を読んではいるものの、何か、前より頭に入って来ない感じがしていて、そんな時見つけて、今の自分にぴったりなんではないだろうかと。

本が読めなくなっているとき、私たちは今まで出会ったことのない何かの訪れを「待って」いるのかもしれないのです。

読書は、時空を超えた対話。読むべき本との出会いを焦らずに「待つ」。読み手が心を開いたとき、書物も何かを語り始める。

なるほどそう考えるとそうかも知れない。焦らず待とう。

と思って読み進めていたら、まさにこの本こそが待っていた『読むべき本』ではないか、と感じ入るほどに、胸を打つ、メモせずにいられないフレーズが次々と。

しかし、そもそも私たちはそんなに多くのことを知らなくてはならないのでしょうか。私は、日ごろは本など読まないけれど、しっかりとした人生観をもっている人を何人も知っています。
問題は、読む人が、その本に何を見つけるかです。

また、先生は本の中で、読めないなと思った時は、書いてみたら、読むことと書くことは呼吸のようなものだから、とおっしゃっているので、今回、書いてみました。

うまく書く必要はありません。長く書く必要もないのです。
作品を生み出す必要もありません。ただ、自分のおもいをそのままに書くのです。五十文字でも百文字でもかまいません。
三日間ー三日坊主でかまいませんー自分が感じていることを、なるべくそのまま文章にしてみてください。


(終わり)

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