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小さな演奏会

ある日のレッスンの最後、先生が一つの曲を演奏してくださった。
それはかねて先生が取り組み始めたと仰っていて、私も大好きな曲だ。

印象的な冒頭から、丁寧な音が続いていく。
どちらかというと抑制された、というか、内省的なというか、それが先生の性格なのか、曲の性格なのかはわからない。
ただ、凪いだ沖に向かってゆっくりと漕ぎ出した舟に乗っているかのような、穏やかさと好ましさがあった。

…というようなことは、レッスンから帰る道々、何となく浮かんだ言葉だ。
聴いているそのときは、音楽にどっぷりと浸って、なんて贅沢な時間なんだ、と思っていた。

演奏が終わって、聴かせていただいたお礼を言った。
伝えたいことがたくさんあるような気がしたけど、素人の私が何か言うのも憚られるし、そもそもその時言葉は何もなかった。

先生の表現したいことがあり、受け取る私がいて、そこに介在する音楽がとても感動的だった。
最初のころ、私は先生に「誰に聴かせるつもりもない、自分の楽しみのために弾ければそれでいい」と言ったことがあるのだけど、でも、先生は「それであっても、表現するということが大切」と仰った。
その時はよくわかっていなかったけど、表現することと受け取ることは一対だった。
表現者しか受け取る者がいないのだとしても、やはり表現するのだ、自分のために。

言葉で伝えられないことを音楽で伝え、そして、先生が意図したものだったかどうかわからないけど、私の小さなアンテナで受け取った。
何百回と聴いてきたその曲の中には、まだ知らない音があった。
とても美しかった。

貴い一会の証として、それを受け取った。





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