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【エッセイ】伊豆④─北条氏館と夫婦の像─『佐竹健のYouTube奮闘記(70)』
土手沿いの道路から伸びている砂利道を歩いて、私は北条氏の館があった場所へと入った。
右側が山で、左側は草の生えた平地が広がっていた。
草の生えた、といっても、背丈のある草が伸び放題というわけでもない。この辺りから、誰かが管理していることがよくわかる。館山城と同じで、堀や土塁といったものは、ほとんど残っていない。
右側の山には竹藪があった。
竹藪には青竹に混じって、たけのこから若竹
れいの歴史小説の起の部分をnoteに全部載せようかな。かなり長くなるけど。
【エッセイ】伊豆③─伊豆にいたときの北条氏と頼朝挙兵─『佐竹健のYouTube奮闘記(69)』
堀越公方の屋敷と伝わる空き地を見たあと、今回の目的地である北条氏館跡へと向かった。
近くにさしかかったときに、狩野川という大きな川が見えた。
新緑で青くなった山が見える伊豆の野の中を、狩野川はゆったりと流れている。河川敷には草木が生い茂っていて、自然豊かな昔の河原を強く残している(写真①)。
この手の河川敷は、私にとってとても新鮮に感じられた。
私にとって河川敷や土手といえば、荒
【エッセイ】伊豆②─堀越公方の館─『佐竹健のYouTube奮闘記(68)』
「東海地方」
これが、関東に次ぐ新たな城めぐりの舞台である。
愛知県を筆頭に、岐阜県、そして現在私がいる静岡県がこの範疇に入る。最近では三重県もこのカテゴリーに入れられることがある。
東海地方は一般的には、上にある山梨県や長野県、岐阜県の三県と、福井県、石川県、富山県、新潟県といった北陸地方を含めた「中部地方」の一部にもなっている。
「中部地方という概念は、ちょっと強引過ぎないか」
【エッセイ】伊豆①─いざ、伊豆の国へ!!─『佐竹健のYouTube奮闘記(67)』
城めぐりの旅が、5月2日に再びはじまった。以前から考えていた上洛を視野にいれた城めぐりを実行に移すこととなったのだ。題して、
「東海城めぐり」
と名付けることにした。
東海城めぐりに決めた詳しい経緯については、以前投稿した『【エッセイ】これからの方針「佐竹健のYouTube奮闘記(60)」』に詳しく書かれている。
この日の天気は晴れていたが、動くには調度いい気温だった。昨日雨が降っ
【エッセイ】岩槻②─岩槻城と桜ファイナル─『佐竹健のYouTube奮闘記(66)』
岩槻城へ着いた。
岩槻城の跡地は公園になっていて、あちらこちらに桜の木が植えられている。だが、桜の枝には青葉が生えていて、散った花びらは宙を舞って地面の下を白く染め上げている。ものによっては散っていたものもあった。
(もう、桜も終わりか)
そう考えると、少し切なくなってくる。いつもならもう少し長いが、今年は桜梅雨と言わんばかりに花の盛りに雨が降ったせいなのか、見られる期間がとても短かっ
【エッセイ】岩槻①─岩槻と江戸時代の名残─ 『佐竹健のYouTube奮闘記(65)』
久しぶりに岩槻の方へ行ってみたいと思った。天気もいいから、どこかへ行きたくなったので。
10日に自転車で戸田駅まで走り、そこから埼京線に乗った。大宮駅で東武アーバンパークラインの船橋行きの列車に乗り換え、岩槻駅で降りた。
関東城めぐりエッセイ版で、中山道以外のルートについて語ろうと考えていたので、この際だから語ろうと思う。
東京から埼玉へ向かうルートは、3つほどある。
一つ目は前