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【翻訳記事】Balatroのゲームデザインにおける「呪われし」問題とは?

2月に発売され大人気となったローグライト・ポーカーゲーム『Balatro』のゲームデザインについて、Game Maker's Toolkitの動画より翻訳。


Balatro。それは発売後一ヶ月で100万ダウンロードを突破し、Twitchで大人気の配信タイトルとなり、2024年で最も高く評価されているゲームのひとつだ。

しかし、Balatroのデザイナー曰く、本作には解決不可能な「ゲームデザインの根本的な欠陥」あるいは「呪われし問題」があったという。

それについて語る前に、まずはBalatroがどんなゲームか説明しよう。

Balatroは、ドローしたカードを5つ組み合わせてポーカーのハンドを作るゲームだ。より高いハンドを作れば、より高いスコアが得られる。さらに、諸々の仕掛けを利用してスコアを跳ね上げることができる。強化カードを使うことでポイントや倍率を上げたり、ブッ飛んだジョーカーカードでゲームのルールをねじ曲げてしまえるのだ。デッキのカードを追加したり削除することで特定のハンドを作りやすくすることも可能だ。

これでアンコモンって

Balatroはとてもおもしろいゲームだ。本作はいわば、シナジー効果だらけの洗練されたスロットマシンであり、ただ遊んでいても楽しいけれど、「壊そう」とするとさらに楽しくなってくる。綺麗に整理されたUIや明快なコンセプトに加えて、キーとなるいくつかのシステムが生み出す深みのおかげで、Balatroは非常に卓越されたデザインのゲームにもなっている。

だがここでひとつ、本作にはゲームデザイン上の興味深い選択が為されている。

それは、「スコアをいくら獲得できるかはハンドを決定プレイするまで知らされない」ということだ。プレイヤーにできるのはカードを選び、祈り、プレイボタンを押すことだけである。

もし事前にスコアを教えてくれたら、きっと大助かりだろう。より高いスコアが得られるハンドがわかるし、目標スコアアンティを超えられるかどうかもわかるし、全クリできるかどうかもわかるはずだ。けれど、Balatroはそういう「スコアプレビュー」的な機能を与えてくれない。

もちろん、これはゲームデザイン上で意図的に行われた選択だ。Balatroの開発者であるLocalthunkによると、本作の楽しみはいま説明したところにこそ存在しているのだという。つまり、祈りながらプレイボタンを押し、目標スコアの達成を期待する瞬間にだ。

Localthunkは以下のように語っている。「スコアのピタゴラ装置を自分の手で作り上げて、勝てるかどうか事前に知らされない状態でその結果を見守っているときにこのゲームはより面白くなる、というのが個人的な信条です」と。そして、Balatroのすべてはこの考えに基づいて出来ているのだ!

カードをプレイすると、すさまじく期待を煽る演出が始まる。ポイントが加算されるにつれて効果音は派手にエスカレートし、カードやジョーカーは順にポイントを重ねていく。さらに運が良ければスコアの表示欄に火が着き、ポイントが加算されるたびにますます燃え上がっていく。

パチンコに似た快感がそこにはある

しかし、もし仮に、得られるスコアが先にわかったら?事前にスコアが表示され、アンティを超えられるかがわかるようなUIがあったら?だがきっと、邪魔になることだろう。本作のUIでは、スコアがランダムで決定される場合にもわかりやすい表示をするのが困難だ。

本作にスコアプレビューが存在しない理由はそれだけではなく、ゲームの進行が鈍化してしまうという問題もある。スコアが事前にわかると、最も高いスコアが得られるハンドを探してあらゆる可能性をチェックするプレイヤーにインセンティブが生まれてしまうからだ。

そうなると、Balatroのプレイフィールはまったく変わってしまうことだろう。その場のノリでカードを組み合わせて楽しむチルいゲームから、いかついスプレッドシートとにらめっこするようなストラテジーゲームになってしまうはずだ。

では、このゲームデザインは完全に正しい選択だったといえるだろうか?あらゆるゲームデザイナーはプレイヤーにどれだけの情報を与えるかを決めている。たとえば、プレイヤーにボスの体力バーを見せるか否か?次のターンの敵の行動を知らせるべきか否か?といった具合に。

どれほどの情報を持ちうるかによって、プレイヤーの行動やゲームのプレイフィールは変わるだろう。そのため、Balatroもまた、スコアプレビューを隠すことでプレイヤーにより早く行動することを促し、ハンドをプレイするたびにドキドキハラハラのドラマが生まれるようにしている。この経験則を理解していたLocalthunkは、プレイヤーをドキドキへと誘うゲームメカニクスを選んでいたというわけだ。スマートなデザインチョイスである。

だがしかし、Balatroは(『Slay the Spire』といった)他のゲームとは異なっている。スコアプレビュー自体はプレイヤーの目から隠されているものの、厳密にいうとスコアの情報自体は入手可能だからだ。なにしろ、自分で計算できるのだから。できあがる役のポイントと倍率、選んだカードにより加算されるポイント、手持ちのジョーカーにより変化する数字を電卓に入れれば、最終的なスコアがわかる。そして、自分がそのハンドでアンティを超えられるかどうかも。

繰り返すが、ゲーム内で得られる情報は見えていることもあれば隠されることもある。しかしBalatroのスコアプレビュー問題は、両者の奇妙な中間状態に陥っている。隠されてはいるが、やろうと思えば情報が手に入るという状態。それこそが、Balatroの核心にある「ゲームデザインの根本的な欠陥」だ。ゲームデザイナーはスロットマシンのような高揚感を求めつつ、スプレッドシートのような数字の予測可能性も求めていたのだ。

この無理を通す唯一の方法は、プレイヤーが面倒くさがって最終的なスコアを計算しないよう期待することである。だがここで、ソーレン・ジョンソン(『Civilization』シリーズに携わってきたゲームデザイナー)の金言に立ち返ってみよう。「機会を与えられれば、プレイヤーはゲームの楽しみを効率化してしまう」という言葉だ。

したがって、電卓アプリやスプレッドシートを開いたり、Steamのオーバーレイウィンドウでハンドを計算してくれる機能を使ったりしながらBalatroを遊んでいるプレイヤーも一部存在するというのは意外なことでもない。

オーバーレイウィンドウ

実際、Balatroのゲーム内にデッキビュー機能があるのはそのためだ。プレイテストの段階ではデッキにどのカードが残されているかわからなかったが、プレイテスターは既にプレイされたカードを記録することでその情報を得ていたのだ。ユーザー投票をすると、楽しみを犠牲にしてでもそうした行為をするプレイヤーが多くいることをLocalthunkは理解した。そのため、デッキビュー機能が追加されたというわけだ。

だが、このくだりとスコアプレビューはまた別問題だ。スコアプレビューは、このゲームのDNAを侵すような感じがする。まるで、BalatroをBalatroたらしめるものを踏みつけるような。

Balatroのデザイナーはより戦略的に遊びたいというプレイヤーに共感を示しつつも、本作の最適解に見せかけ仕事ビジーワークやゲーム外での計算が含まれていることに落胆していた。スコアプレビュー機能のせいで、よりカジュアルに遊びたいプレイヤーの楽しみが削がれてしまうのを心配していたのだ。この心配はまったくもって正しい。

あるプレイヤー層にとってより楽しいゲームになるということは、別のプレイヤー層にとってはよりつまらないゲームになりうるということだ。ゲームデザイナーは、そのゲームがどういったプレイヤーのためにあるかといったことや、特定のデザインチョイスを通じてプレイヤーベースを守ることを確信していなければならない。仮に、そのデザインチョイスがオプションのひとつとして提供されるだけだったとしても。

「もしこうしたスコアプレビュー機能を追加していたら、プレイヤーはただそのボタンを押すだけになってしまい、私が生み出したいゲームを体験できなかったでしょうね」ポッドキャストチャンネルのEggplantにて、Localthunkはこう語っている。

ゲームに込められた意図に露骨に反するようなオプションであっても、ゲームデザイナーはそれを認めるべきだろうか?Localthunkは常に自分自身のためにゲームを作り続けてきており、他人のためにそのゲームを変えてしまうことには興味がないとはっきり述べてきた。100万人のプレイヤーを相手にしたとしても、だ。

しかし、このやり方には問題がある。

大胆なデザインチョイスを下してそれを支持し、反対する人間は退けて自らのデザインに忠実であるというのは、ゲームをより良くするために一理ある。けれど、ひとたびプレイヤーがそのデザインをすり抜ける方法を見つけてしまうと、その抜け道がどれほど退屈だったとしても、デザイナーの選択は機能しなくなってしまうのだ。

そうした出来事はゲームの歴史上初めてではないし、著名なローグライクゲームにおいても初めてではない。

『The Binding of Isaac』を例に取ってみよう。これは地下に潜っていくタイプのダンジョン探索ゲームで、たくさんの強力なアイテムやアップグレードが存在する。しかし、ゲームはそれらの効果を教えてくれない。わかるのは名前、あるいは謎めいたタグライン、もしくは???の三文字だけだ。

本作のゲームデザイナーであるエドムンド・マクミランは、幼いころの自分が初代『ゼルダの伝説』をプレイしたときのような謎を感じてもらうため、意図的にこうしたデザインを選択している。

彼の言葉によると、本作は「実際に試してみないかぎり何が起こるかわからず、友達と相談しながらこれまでの発見をすべてかき集めないと先へ進めない」ゲームだという。

あの謎めいた感覚を再現するため、The Binding of Isaacにおいてアイテムは意図的に説明されないままになっている。プレイヤーはアイテムを拾って、試してみて、その使い方を見つけなければならないはずだ。新しいアイテムの発見は好奇心と実験、そして驚きへとつながっていく。

このやり方はうまくいった……ほんの少しの間だけ。

プレイヤーは作中の全アイテムの効果を解き明かし、その情報をwikiやらに載せてしまったのだ。プレイ中に見つけた変なアイテムが一体なにか知りたかったら、攻略サイトを開いてマウスオーバーするだけで、すべての効果が説明される。

Balatroと同様に、マクミランもまた、特定の感覚を生み出すために情報を隠すという選択をした。しかしその情報が──本作の場合はスプレッドシートによってではなくGoogle検索によって──厳密には入手可能だったために、デザイナーのまったく意図しなかったやり方……ほぼ間違いなく、より粗悪なやり方で、多くのプレイヤーがゲームを遊んでしまうことになったのだ。

攻略サイトより

いくつものDLCがリリースされて何百もの新しいアイテムが追加されると、攻略を見るのがIsaacの現実的な遊び方となってしまった。「ずっと『スマホでブラウザを開かずにIsaacを遊ぶのは無理』と言われていました。みんなが長い間そうやって遊んできたことにも、いまだにそうやって遊んでいることにもうんざりでした」とマクミランは語っている。

実のところ、アイテムの説明が欠けていることについてマクミランはThe Binding of Isaacにおける最大の欠陥だと述べている。Isaacがリリースされてから何年もの間、彼はこのデザインチョイスに取り憑かれており、2023年には「アイテム説明を表示するオプションをゲームに追加するかようやく検討しています」という投稿を行うに至っている。自分のデザインした遊び方のせいでプレイヤーがまずいゲーム体験をするよりは、自分がデザインしていない遊び方を公式にサポートするほうがマシだと決めたのかもしれない。

IsaacとBalatroをまったく同じに語ることはできないにせよ、似たようなことがBalatroにも起こったらどうなってしまうだろうか。Balatroはスコアプレビューがないほうが楽しいゲームだという意見には賛成だし、先にスコアを計算しようなんて考えたこともない。この問題が実際に影響するのは、もっともハードコアな、戦略的思考を持つごく一部のオーディエンスだけだ。

とはいえ、時間をかけてBalatroが売れ続けるにつれて、スコアプレビューを隠すというデザインチョイスがIsaacのアイテム説明と同じように開発者に取り憑きかねないだろう。しかしLocalthunkのやり方を見ていると、皆からゲームの楽しみを奪うことなくハードコアプレイヤー向けにスコアプレビュー機能を提供するやり方もあるのではないかと思える。

その一例を挙げよう。スコアプレビューを必要とするのはこのゲームをすさまじくやりこんだプレイヤーだけなのだから、ゲーム開始時から使えるオプションではなくゲーム終盤のアンロック要素としてこの機能を搭載するというものだ。『クロノ・クロス』の早送りボタンが一度ゲームをクリアしないとアンロックされないのを思い浮かべてもらえればいい。

こうしたオプションはプレイヤーにはっきりと伝えられることもある。たとえば『Celeste』には強力なアシストモードが存在するけれど、どういったプレイヤー向けにこのオプションがあるかを先に説明してくれる。また、「理由があるのだからどうかパーマデスをオフにしないように」と丁寧にお願いしてくる『Heat Signature』のようなゲームもある。

あるいは、BalatroがMODフレンドリーなゲームになるという手もある。そうすれば、開発者が公式にサポートせずともユーザーが自分の手でスコアプレビューを導入できる。なお、これはIsaacで実際に起こったことでもある。画面外にアイテム説明を表示するMODが約200万回もダウンロードされ、本作のSteam Workshopで一番人気となったのだ。

けれど、このやり方はコンソール版のプレイヤーにはうまくいかない。なのでそのかわりに、チートコードとしてオプションを提供することもある。こうすれば、設定画面で見られる無害なオプションにはならず、積極的に探し出す必要のある存在になる。

アクセシビリティに関する動画でこれまで論じてきたことであるが、ターゲット層の楽しみを必ずしも奪うことなく、より広いプレイヤーに向けてゲームを開く方法は多く存在する。Localthunkがどういう選択をするにせよ、この問題はゲームデザインにおける面白いケーススタディであることが以下の通りに証明された。

  • プレイヤーに与える情報を変えることで、ゲームのプレイフィールは変えられる。

  • プレイヤーは必ずしも──抜け道が残されている場合はとりわけ──デザイナーの意図した通りに行動してくれない。

  • ゲームデザインに込められた意図がどんなに優れていても、プレイヤーの実際の遊び方を見て変えなければならないときがある。

Balatroの行く末が楽しみだ。

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