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【歌詞検討#2】ニガミ17才 ”ただし、BGM”

今回は、ニガミ17才の『ただし、BGM』の歌詞について、私が感じたことを記事にします。
楽曲名:ただし、BGM
作詞:岩下優介
作曲:ニガミ17才
リリース:2018年 ニガミ17才bにて収録。

馴染みない人も多いかもしれない曲の歌詞検討ですが、だいぶ刺激的なので、私としても執筆が楽しみです。では覗いてみましょう。

新春舞踊を1つ終えたばばあは如何にも不満そうで踊りなおし 
に次ぐおどりなおし
もう10や20は懐かしい範疇

ニガミ17才『ただし、BGM』より

出鼻から一般的ではない雰囲気が漂い出ています。日本舞踊を登場させ、やや上品なイメージを想起させますが、それを踊っている張本人を形容する言葉としてあてがわれたのが”ばばあ”。いわゆる事実と主観を分けて語っている状況かもしれませんが、踊っているその内容自体は日本舞踊であることは間違いないなかでも、主人公の目に映るその人物は、主人公の視点で見れば紛れもない”ばばあ”であり、お年寄りやおばあちゃんという言葉を使うに至らないほど、老いとそれに伴うなにかしらのマイナスな概念?が強調された形で目に映ったことが考えられます。言い方を変えると、主人公が視覚から受け取った情報の脳内解釈の言語化として、”新春舞踊”と”ばばあ”が選ばれたのであり、ばばあという言葉が選ばれた背景まで考察すると、具体的もしくは漠然とした醜悪さを感じ取ってしまう見た目を、ばばあが成していた可能性があるという状況を説明しています。
私的にその語彙採用も好みではありますが、”10や20は懐かしい範疇”という表現が相当味わいあるなと感じました。この度を過ぎていない感じがいいと思います。適当に無限、とか、疲れ果てるまで、とかいってもよいのかもしれないですが、そのような歌詞にすると、時間というものをなにか一括りにして表示しているイメージが私の中にあります。例えば、ここで”無限”が採用されていたとしたら、むしろ踊っているこのばばあのことを想像することをせず、無限という時間表現をそのまま受け入れて、終わらなかったということを伝えたかったのか、という情報認識に私は変換します。また、”疲れ果てるまで”であったら、疲れていくその瞬間(あるいはその限定的な過程)が切り取られ、そこをイメージするように仕向けられると私は思います。この
”10や20は懐かしい”という表現は、踊っているばばあをイメージしていた私たちが、時間経過を振り返る余地(あるいは逆に、未来を想像する余地)を与えてくれるのです。というのも、その踊っているばばあをイメージしたとして、踊り直しをイメージしたとして、それが10や20は懐かしいといわれたら、一旦自分がイメージしたばばあダンスは、果たしてどれくらいの試行回数の時期の想像であったのか、考えさせられます。(この数字が”10,000を超えそう”みたいなものであった場合、無限と同じように思考をストップして、「あーめっちゃ踊ったのだな」という情報に代わってしまうのです。)仮に、10や20くらいのイメージ反復=ばばあダンスの想像を自分の脳内で行っていたとしたら、その先の未来のダンスの話だと、と未来に目を向けるのです。逆にずっとイメージしていなかった人も、”10や20”という具体的数字が出たことで、”踊り直し”にリアルさが生じてきて、イメージしてしまうかもしれないし、そこに”懐かしい”という「想い馳せ用語」が登場することで、誰しもがやっとことのあるであろう昔を懐かしむ行為に自身をやんわりと重ね、思い出のようなイメージで、ばばあダンスのことを想像するかもしれないのです。非常に上手な言い回しであると思いました。
これは私の考察ですが、このばばあダンスに興味を持たないとこの曲は始まらないと思うので、ここの表現を工夫して、いかに脳内でばばあダンスを聞き手に作り上げてもらうかがカギであり、その役割を十分に”10や20は懐かしい範疇”が担ってくれたと思います。

河童や天狗の類か
はたまた空中の低級霊か そのせいか
慈しげに見えて界隈の点滅

ニガミ17才『ただし、BGM』より

ここで区切ったことも私の間違いであったのかもしれません。おそらく前半は、行ってしまえば、何か物の怪の類にとりつかれているから、こんなに踊っているのか、みたいな想像を、主人公がしているのだと私は感じました。
後半部分の”界隈の点滅”というのが謎です。まばたき?慈しいと思ってしまいそうになったことに対するその場での考え直し?といろいろ考えることができますが、真意は定かではありません。ただ、主題はまだばばあであることは間違いないでしょう。

BG BGMBG BGM BG BGM BG BGM
BG BGM BG BGM BG BGM BG BGM

ニガミ17才『ただし、BGM』より

何度も繰り返される歌詞の部分にはいりました。BGMはご存じの通りBack Ground Music の頭文字をとったものです。この連呼する感じが急にばばあから意識をはがして、まるで閑話休題を促すように、BGMという言葉に思考が乗っ取られます。曲の時間的配分も、この”BGM”と歌っている時間の方が長いため、前半のばばあダンスの話がどっかに言ってしまいそうになるのです。考察もくそもできませんが、舞踊と舞踊の演目の間のように、もしかしたら、踊りの合間合間に何かしらの音楽が流れているのかもしれません。しかし、このばばあと、主人公と、BGMという関係性がこの曲で一貫して語られている部分であることから、意味合いがふわっとしていたとしても、注目させたい要素の一つであるのでしょう。

赤色で浮き出る女と
黄色で浮き出る寿司凝視
酒酔いの群衆ごと裏の
青 青 と抹消の瞬き

ニガミ17才『ただし、BGM』より

ここは何を言いたいのでしょうか。一瞬薬物乱用者から見える景色とも考えました。というのも、赤黄青と信号の配色を採用して歌詞に落とし込んでいるのは理解できるのですが、イメージが何も繋がってこないため、色鮮やかなピントの合わない薬物乱用者の視点のことを描写しているのか、と考えもしました。”赤色で浮き出る女”がなにか特定の存在の隠語の可能性もありますが、女性と赤はあまり解釈に不具合をきたさないので、赤い服やら、口紅が赤い女性を想像しました。次に黄色のすしに関しては、玉子のすしを思い浮かべ、”凝視”とあるので、回転ずしにおいて、玉子を眺める状況であるのかと考えました。全然違うかもしれません。
後半は想像することすらも困難な日本語で、ただ何かと、上記した”界隈の点滅”に似通った表現なきもしなくもないとも思った次第です。

河童や天狗の類か
はたまた創造の最新例か そのせいか
住みよい世界その一方では
BG BGM BG BGM BG BGM BG BGM
BG BGM BG BGM BG BGM BG BGM

ニガミ17才『ただし、BGM』より

これも、言及している対象が迷子になっているため、何が物の怪に取りつかれているように感じているのか分かりにくいですが、個人的にはこの、”想像の最新例”というものは、最先端技術であり、そのような見たこともない、もはや魔術的に思える技術が、1個前の鮮やかな世界認識を可能にしたのか、みたいな解釈を行いました。そして、”住みよい世界”というものは、全くイメージに関係なく、技術発明に触れたことをきっかけとして技術が可能にするものや、それぞれのメーカーが掲げているモットーや理念のような”住みよい世界”という言葉を遊び心で導入したように感じました。マジカルバナナで、最新技術と言ったら、住みよい世界だよねみたいなノリで書いているのではないかなと考えています。

ばばあは十八番を踊りながら
熱燗の湯気をまとってその残像を色濃くする
ばばあは十八番を踊りながら
熱燗の湯気をまとって その存在を疑うほどに煌めく

ニガミ17才『ただし、BGM』より

そしてまた戻ってくるばばあ。本曲を選ぶにあたった歌詞もここに込められています。やはり目を引く内容として、”熱燗の湯気をまとってその残像を色濃くする”。こんな言葉使えません。レベルが高すぎて引きました。湯気だらけの銭湯のような空間において、自分が移動したらその湯気も連動して靄が変化する事象に目を付けたのだと思いますが、そのことを”残像を色濃くする”と、言えますかね。感動するほど言葉がみごとに状況を捉えていて、けど、この曲が言及している内容は今までの人生で一度もなくて、脳内が不思議な感じでした。
また、湯気をまとい続け、湯気だらけになると、もはや神秘性を帯びてきて、”存在を疑うほどに煌めく”状態になるわけです。なぜこうも脳内再生したときに、その言葉しか当てはまらないことを、実際に起こったことのない状況(ばばあが熱燗の湯気の中で踊りまくって、湯気をまとっていく状況)で描くことができるのか、才能でしかないと強く震えました。よくあるシチュエーションに対し、うまい言葉を当てはめる人はたくさんいますが、非現実的ないし、実際に起こらないような内容を、密に脳内再現させる用語採用能力と描出力に感動したサビ前半でした。

BPMでまばたく宇宙 と なる BGMに僕はとり残って
スローな踊りにただ見惚れている
BPMでまばたく宇宙 に たる BGMもない違和感の中
スローな踊りにただ騙されていてもみたい

ニガミ17才『ただし、BGM』より

”宇宙となる”と”宇宙にたる”という微妙な違いによって、ばばあダンスの見方が少し変わっていっているところも、面白い部分であると考えます。おそらく、この宇宙というのは具体的なあの惑星だらけの宇宙を指すものではなく、世界観とか秩序とか空間を表現するための言葉であり、BPMによって切り替わっていくような、大げさに言えば主人公の超次元的体験、疑似超次元を描写しているのかと考えました。”宇宙となる”というのは、自分とは別で生じているばばあダンスを、自分とは関係のない存在として語られたことによる表現であり、「○○は変わった」というときと似たような表面的評価かつ、自分とは遠くで起きている現象に対する言葉遣いのように思いました。だから、主人公はBGMに取り残される側で、背景に追いやられているのです。一方で、”宇宙にたる”は、客観的評価にも見えますが、基準が用意されたときに使う用語法です。前者との違いは基準値を満たすという規範に縛られているという点において、やや独善的であり、この場合、主観的なのです。この基準を持ち出しているのは、主人公であり、この主人公が、もはや取り込まれそうになる状況の中、つまり、背景(Back Ground)側からBGMが聞こえない側になる状況下で下した評価と言えます。
”宇宙となる”も、宇宙という定義に、変化したという意味では、基準値があるのではと考えることもできますが、私は最初の宇宙と、2回目の宇宙では、解像度が少し変わっている感じていて、その点において、基準値が登場しないと考えることができるかなと感じています。最初の宇宙は、教科書で見る世界遺産であり、2回目は直接見る世界遺産と考えてもらったらわかりやすいかもしれません。そして個人的な解釈ですが、この宇宙という評価は、取り込まれる前の段階では、もはや主人公が直観的にそう感じてしまったものであると、想定します。基準に照らして検証する以前の、アプリオリの段階で、「あれは宇宙だ」と感じてしまったという場面に思えます。そして、いざ取り込まれて知る、そのばばあダンスがいかに宇宙であるかを。この見方の違いを、助詞の絶妙な使い方で差別化していると考えました。

晩ごはんが1つ残った夜は 如何にも変われそうで産まれなおし
に次ぐ産まれなおし
もう10や20は懐かしい範疇

ニガミ17才『ただし、BGM』より

この歌詞は一番の状況をもろに受けて、”産まれ直し”という表現を採用しています。ただ意味するところはうまく解釈できません。夫が帰ってこない状況を揶揄して、もはや別の人生になりたいと嘆いている状況下での心情をうたったものでしょうか。主人公の立場表明がされた歌詞なのかもしれません。

河童や天狗の類か
宇宙とタイムがずれてくるような あの感じで
自分へ確認で起こす妄想
BG BGM BG BGM BG BGM BG BGM
BG BGM BG BGM BG BGM BG BGM

ニガミ17才『ただし、BGM』より

はたまた物の怪のせいにして、”宇宙とタイムがずれてくるような あの感じ”はなにか特定の事象を指しているように感じられます。個人的にはこれも、薬物的キマッテいる状態の可能性もあるなと推察しました。サウナで整っている状態の時、時間間隔と空間感覚が曖昧になり、ずれていって浮つく体験をしていると思います。そのような経験を指して、”宇宙とタイムがずれてくる”と言っているのかもしれません。もしくは、サビで用いた宇宙を再び採用して、ばばあダンスのことに思いふけ、あの瞬間で味わったあの特別な体験を、自分がどう感じたかを再確認するべく、妄想の中でばばあダンスを再び召喚しているという風に考えることもできます。
再びBGM連呼ですが、前半とは違い、まだ俗な領域にいる自分の耳に聞こえてくるBGMの、その煩わしさまでいかないにしても、存在感を強調するようにも聞こえてきます。

ばばあは十八番を踊りながら
熱燗の湯気をまとってその残像を色濃くする
ばばあは十八番を踊りながら
熱燗の湯気をまとってその存在を疑うほどに煌めく

ニガミ17才『ただし、BGM』より

再びその情景を思い出させてくれています。脳内でばばあダンスを再び聞き手にも反芻させる仕組みとして優秀な構造であると思いました。

BPMでまばたく宇宙 と なる BGMに僕はとり残って
スローな辺りをただ留まっている
BPMでまばたく宇宙 に たる BGMもない違和感の中
スローな辺りでまだ騙されていてもみたい

ニガミ17才『ただし、BGM』より

今度は、”辺り”という言葉に微改変されています。先ほどまでは、焦点がばばあにあって、スローなのは踊りであるように表現されていました。しかし、ばばあダンスが作り上げたのは宇宙であることから、空間として、スローになっている自分もいるのです。そのスローな体験から、抜け出せなくてもよいと、それくらいには魅力がある生き物のうねりとして、ばばあダンスとその空間美が存在しているといいうなんともあり得ない世界を写実的に表しきった歌詞ではないかと、私はひどく感動しました。

響く歌詞、凄い歌詞いろいろ存在していますが、不思議な世界観をピンとくる語彙で表現しようとする試みに対する姿勢は、このバンドが一番得意としているところであり、私が尊敬している点です。今後もニガミ17才は追っていきたいですし、もし歌詞検討ではない形で、音楽絶賛みたいな形で曲を紹介する記事を書く時があれば、そのときにも登場するくらい音楽性も素晴らしいバンドだと思っています。では、また次の記事で。

Today's best lyric: 
熱燗の湯気をまとってその残像を色濃くする


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