卒業し・・・とどまれる場所は・・・どこにある?
友達と、こんなやりとりをしたことはないだろうか。
学生の頃、漫画がとても好きで詳しかった友達とのやりとり。
「そういえば、最近漫画読んでる?」
「…ああ、漫画はもう卒業したよ」
卒業…?
映画がとても好きだった友達とのやりとり。
「そういえば最近映画見てる?」
「うーん…映画は…卒業したかな…。」
卒業…!
音楽フェスがとても好きで一緒に行っていた友達とのやりとり。
「最近、フェス、行ってる?」
「全然行ってないんだよね。もう、卒業したっていうか…。」
卒業…!!!
前ほど漫画を読めなくなった。映画を全く見ていない時期もあった。音楽フェスも、新鮮味がなくなった。チケットはやけに高額になるし、観客が多くなり過ぎて、前ほど楽しめなくなった。新しい音楽は全く聴いていない時期もあった。今は聴いている。むしろ、今は、新しい音楽を聴いている。
大学を卒業した後、いつまでも、大学と寮生活、サークルの思い出にこだわっているのも、どうかしらん、と思っていた。
色々あって、居心地が良かったはずの思い出の場所が、荒野のように荒れ果ててしまった。そのころは、まさに「卒業したい」と思ったのだった。
別の居場所をつくらねばと思って、自分なりに努力をしてみた。その結果、居場所は増えた。
でも、やっぱり、そんなに、しっくりこないところもある。
学校を卒業した後、漫画や映画や音楽フェスを卒業して、四十を過ぎた女性たちは、みんな、どこに居場所を作るのだろう?
VERY?
美ST?
(「美魔女」という言葉の発祥らしい)
https://be-story.jp/
ちょっと難しい、伝統的なもの(着物、歌舞伎、落語、能、その他)?
K-pop?
手に職?
資格?
地方で新たな人生?
ハイキャリア?
海外移住?
私には、全てに不合格通知が来た気がする。
…どこも受けてはいないけど。
どこに入学すればいいのだろう。
私は結局、ミニシアターの椅子と、一人本格音楽フェスに編入した。
twitter(現:X)に入学した。
NetflixとAmazon Primeに、入学した。
iphoneにも、入学した。
サウナとドーミーインとアパホテルにも(アパホテルには不本意ながら)
入学した。
学生の頃、暇さえあれば足を運んでいた紙の本屋からは、退学してしまったかもしれない。
スマホを持つようになって、スッススッスと、とてつもなくどうでもいい記事を読むためにページを捲るうちに、紙の本が全く読めなくなってしまった。本を買うためのお金も、惜しむようになった。
仕事の後の生ビールと、一人蕎麦屋、ラーメン屋、池袋や新宿の、第一言語が中国語のガチ中華料理屋にも、入学した。
大学を卒業してほうほうのていで仕事をしていた頃、こんなにも意識が子供のままで、ただただ、歳をとっていくことに、恐怖を覚える瞬間があった。社会に出れば広がると思っていた視野は、広がるどころか、どんどん狭まり、毎日が同じようなことの繰り返し。
友人とは生活水準を比較しあって、誰とも話が合わなくなる。
毎日が、まったく楽しくなくなった。
それまで好きだったものは、全てがどうでも良くなった。楽しめる心の余裕がなくなった。
自分より、恵まれている(ように見える)人たちとは交流したくなくなった。
年上の人との会話の合わなさに悩み、若い人とのズレにショックを受けた。
ずっと昔を懐かしみ、あの頃は良かったと言って、時代の変化に文句を言って、ほうれい線に怯えるばかり。
どこにも入れる場所がなかった。
そこから20年ほど経って、一度、卒業したと思ったところに、また改めて戻ったような感覚がある。
ぜんぜん楽しめない時期があったから、楽しめることが嬉しくなって、昔よりも、ずっとずっと、漫画や映画や音楽フェス、大学時代に過ごした寮やサークルの思い出を、全力で楽しめるようになったのだった。
むしろ、新たな出会いがたくさんあった。無くなると思っていたところが、綺麗になって、そこにとどまってくれた。
春に咲く桜を、また見られることが、楽しみになった。
桜が咲くその瞬間が、ほんのわずかな時間だからこそ、あと、何回見られるか、わからないからこそ、
しっかりと見たいのだった。
荒野になったと思ったところには、新たな花が咲き始めているのだった。
以上です。
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