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noteを始めたきっかけの話。

noteから3周年ですよ〜んという通知をいただいたので、今更ながらnoteを始めたきっかけをしたためてみます。

今を遡ること10年前ーーー

忙しいという字は心を亡くすと書きますが、忙殺ー心なくして更に殺めるーという異様に忙しい年月の隙間、手帳に走り書きした一文をまだ覚えています。
ー自由にしてください。自由になりたいー

本当は詩とかお話のアイデアをメモりたかったんです。
学生の頃から、書くこと・表現することは常に隣にありました。でも何も出てこなかった。
忙し過ぎて創作の源泉みたいなものの上に、塵や疲労が分厚く堆積してる感じでした。

それから、少しして最低限度の文化的な生活を送れる状態になりました。

その頃はまだ酒が強かったので、毎夜ワインを1瓶空けながら長めのお話を書くというか、キーボードに妄想を打ちつける快感に酔っていました。
書いたら見せたくなるもので、友達に封書で送りつけました。3人くらいに見せたんですが、返事くれたのは1人ですね。
それでもこりずに、(だって自分が気持ちよければいいから)書いては送る日々。
でもそのたった1人の友人が妊娠して、自分の書くものは胎教に悪そうだと思い送るのをやめました。(醜い女が焼かれながら出産し、自分と瓜二つの醜い子を産むというストーリーだった………)

読んでくれる人がいないと、ガタっとペースダウンして、どんどん尻すぼみになっていく気配……。

小説投稿サイトや公募なんかも頭にないことはなかったんですよ。

でもネット怖い!

やたらと警戒してしまうのは魑魅魍魎の巣窟という先入観。変なのに絡まれたらどうしよう。ボロカスに言われたら多分立ち直れない……。
公募も就活みたいでムリっぽさが先立ちました。
なんかもう少しマシなものが書けるようになったら公表しよう。そんな心積りの中、気が向いたら書くは、気が向かないので書かないになり、書かないので向上のしようがなく………。


そんなルートから脱出するきっかけは幾つかあったんですが、ダイレクトなのはこれかな。

久しぶりに帰省した時のこと。
自分には二つ上の従姉妹がおりますが、お子が産まれたので顔を見がてら久しぶりに会いました。そしたら、

「カオちゃん!私、絵本作って賞に出すから絵を描いてよ!」

と突然の依頼。

従姉妹ー名前を仮にスズメちゃんとしますーはヨガインストラクターで、絵本作りとか全然無縁だったんです。
それが急になぜ?そして、私に頼むなら絵じゃなくて文の方じゃないの?

「だってカオちゃん絵が上手かったよね!」

そうだった。中学生くらいまでは上手かった。


さらに今を遡ること数十年前ーーー

中学入学して1週間が経とうとする頃。
私のクラスの廊下になにやら人が集まって教室を覗いてガヤガヤしてる。
「スズメ先輩の親戚がいるんだって?どの子?」

それは人生でいちばん注目を集め、いちばんはずかしめを受けた一日。
スズメちゃんは学校でいちばんの美少女だった。
対して私はーーー

「ブスじゃん」

居並ぶ生徒からガッカリした文句と雰囲気が、押し寄せてくる。
待って待って、従姉妹ってそんなに遺伝的に近くないから。似てないから。本と漫画が好きな垢抜け要素ゼロの私のことなど、極力そっとしておいてくれ!

かたやスズメちゃんは親が離婚してこんな片田舎に引っ越してきたけど、小学校までは都会っ子で、それも田舎の中坊には眩しく見えたんでしょう。
でも新入生の間で話題になるほどとは……田舎、恐るべし。

それで丸一日、“スズメ先輩の親戚詣”は続き、スズメ先輩が何者かも知らない人までやって来て、鈴なりのガッカリした観衆に晒されるという嫌がらせを受け続けたのでした。

それ以後は、クラスの派手な子たちがスズメ先輩のあれこれを知りたくて絡んでくるくらい。静かなものです。
派手子たちはスズメ先輩は何が好き?家ではどんなん?と聞いてくるが、小学生の頃の私達の恒例の遊びはトランプと坊主めくりで、彼女たちの興味はすぐに削がれた。
とっても静か。
それに中学生になってからのスズメちゃんはマイルドヤンキー化しててちょっと怖かったです。

そんなで同じ中学で1年間(あ、高校も一緒だった。やはり入学当初は洗礼を受けたがソフトだった)過ごしたどこかで、スズメちゃんは私の描いた美術の絵を目にしていたらしい。たまに賞も貰って廊下に張り出されていたし。
オタクの嗜みとして当時、絵はそこそこ描けたが、大人になってからはお絵描きから遠のいて、文字書き中心になりました。

親類縁者の誰にも小説モドキを書いてることは言ってないので、彼女の認識が中学で止まっていても不思議ではない。

▪️箸休めに私の絵をどうぞ。なごやんを擬人化しました(≧∀≦)▪️

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絵はもう描いてないんだと断ったけど、スズメちゃんはぐいぐいくる。
すごくいいストーリーを思いついたから、これは絶対いける。もし賞が取れなくてもクラウドファンディングで出版するから、と。

めちゃくちゃ鼻息が荒い。
スズメちゃんのすごい所は自信があるとこだと思う。
自分が美人だとちゃんと分かって堂々としてるし、ヨガ講師になってからは尖ったところが削がれて、よい。

絵は違う人を当たるから文章の添削をして欲しいと言われ、自信作を見せてもらった。

書き直したい……。と思ったがあまりにも世界観が違う。
アースでネイチャーでピースで天真爛漫で寓話的な作風は、ヨガマインドがベースになっているんだろうか?
アングラで永遠の厨二病の自分とは接点がない。
例えばヨガの冊子とかに載っていたら、観心を買うかも知れない。
でもスズメちゃんが出そうとしている賞で果たしてどこまで行けるんだろうか。
美大とか出た絵描きやバリバリの絵本作家志望の人が、こぞって秀作を出してくるんじゃないか。

確かに気持ちはこもっている。
彼女の理想が書かれたストーリーだ。
でもあまりにも素人っぽ過ぎるんじゃないか。

言わなかったけど(今でも少し怖いので)、正直そう思ってしまいました。
文章の読みにくいところだけ指摘すると、彼女は数日に渡り何度も何度も直してきたのです。

それを読みながら私は別のことも考えました。

楽しそう!

スズメちゃんとっても楽しそう!

私だってど素人だ。
小説なんて分からない。
ただ書きたい衝動があるから書いてるだけだ。
そんなものは、人に見せるべきではないと、見せるのは恥知らずなことだと思っていた。

でも、多分、それは、あまり関係ない。
重要ではない。
素人だとか下手とか無知だとか、そこに自分を足止めする理由はないわけで。

私は“書く人”になりたいんだ。

書けなかった日々が風速50メートルくらいで背中を押してきた。


noteを選んだのは、まだ3年前は自分が何をやりたいのか何ができるのか分からなかったから、なるべく色のついていない所を利用したくて。

やっぱり気のむくまま書いていたけど、ひとりでもふたりでも読んでくれる人がいるなら、書くモチベーションになりました。
最近は小説に全振りして書きたい気持ちと朗読とかもいけるんじゃない?という欲が出ておりますが。
書きたいものはたくさんあります。でも遅筆。

気をつけなければと切実に思うのは、嫉妬を書くための燃料にしないこと。
悔しい!という気持ちはよく燃えるけど、燃えカスがタールみたいになって知らないうちに自分の大事なところに張りついてしまっている。
忙殺されてあんなに心だけでも自由になりたいと思って、ようやく落ち着いて創作できるようになったのに、重油まみれの海鳥みたいになっていたら勿体ない。






読んでくれてありがとうございます。