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ひっそりしてられる場所の必要性【5/14】

ゴールデンウィークが終わったとたん家のまわりの緑が青くなった。もりもり、もりもりと道路にはみ出し己の生命力を見せつけてくるのを、かっこいいなという気持ち40%、虫が飛び出てこんようにという気持ち40%、特にいうことないという気持ち20%くらいで見守っている。

木々のにおいが気持ちよくて、木々からぴょんと出た白い小さな花のようなものからもやさしい香りがして、くんくんかぎながら道を歩くだけで楽しい季節の到来である。

今年の初夏はなるべく太陽を浴びている。少し前までは、太陽を浴びるたびにみるみるシミが濃くなっていく自分の姿が浮かんで「シミこわい」ってなっていたけど最近は妙にふっきれている。

これはおそらくここ最近、仕事の取材で太陽のいい話ばかり聞いてきた影響だろう。太陽を浴びるとビタミンDが増えるとか、体内時計が整うとか、そういう話。こうやっていいイメージが刷新されるのはいいことだと思う。とはいえシミの発生がゼロになったわけではないので、日焼け止めはひきつづきがんばりたい。

ところで日中ひんぱんに外に出るせいか、近所で新しい道をみつけたり、越してきてから1度も行ったことがなかった場所に急に行く事象が大幅に増えている。今日も神社に行った。自分の前にも後ろにも誰も人が見当たらない神社。

帰ってきたあとにGoogleの口コミを見たら「人がいない」って書いてあって確かにそのとおりだなと思った。そういえば、人がいないといえば我が家である。自宅にいると安心できるいちばんの理由は、自分以外の人間がいないことかもしれない。人の気配を感じたいときもあるけど、そういうときはしかるべき場所に行きがちで、確実に孤独になれる場所があるのは心の平静につながっている。

このまえ台湾で半分ドミトリーみたいなホテルに泊まったとき、そわそわ落ち着かなくて、個室のホテルにうつった途端、落ち着いたときに気がついた。部屋に窓はほしいし、部屋の外に出たいときもある。でもいつどうするかは自分の一存で決められる感じだと一番いいんだと思う。

文学フリマの原稿が行ったり来たりで終わらない。なんのために書いているかと言われたら説明がつかないけど、ただ書いているのともなんか違う。ひとっておかしい、犬はかわいい、そういう気持ちで書いている。これはもう前日キンコーズコースが確定なので、最後までゆっくり悩む。

<余談>
この文章は昨晩、すごく眠くて一刻も早く睡眠したいけど、でもなにかしら書いてから寝ようと思ってうだうだ布団の上で書いてたやつ。なので最後のほうとか急に自分ちの話になってたりする。(でもどんな心理状況でも、手さえ動かせばとりあえずなにかしらの旋律にはなるのだな〜〜と今日見返してみてからぼんやりと思った)


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