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Profile

【簡単な自己紹介から】

国民的アイドルと友達だった過去、アニメ・声優系職業ライター、東方同人活動、ホスト、古物商、バックパッカー、精神潰れる、障害者雇用など順追って書いたら長くなった。ざっくり紹介はこの冒頭で見ていただき、詳細は目次以降見ていただければ。

誕生日:1979年1月16日・43歳独身バツ1子なし

長野県生まれ、埼玉県育ち、練馬に10年ほど一人暮らしてたので練馬を勝手に第二の故郷だと思っている。

1997年3月 西武学園文理高等学校普通科卒業

2002年3月 成城大学文芸学部芸術学科卒業(卒論テーマは江戸川乱歩の美学)

2002年4月から株式会社学研クレジット(倒産済み)で契約社員で督促業務に従事しつつ、大学時代からネットで当時流行っていたテキストサイトを運営していたところ、編集者から声がかかってライター業務も兼業。当時はその頃はやっていた謎本のライティングを主にしていた。

ライターとしてのペンネームはその当時(約20年前)からずっと変わらず「ねりな」としている。この名前の元ネタは、ぼくがミステリ作家の森博嗣先生の大ファンで、『黒猫の三角』という作品からスタートするVシリーズに登場する大学生の小鳥遊練無(たかなしねりな)というキャラクターから取ったものだ。ぼくの苗字が高橋(たかはし)だったことから、ねりなという部分をいただいた。なので、漢字で「練無」と表記していたこともある。

00年代初頭は、当時モーニング娘。が好きだったことから、『モーニング娘。&ハロプロ大辞典』(コスミックインターナショナル刊)などのハロプロ関係のムックに参加していた。公式に大手メディアでアニソンシンガーや声優の取材やインタビューを本格的に行うようになったのは00年代後半から。詳細は後述する。

20代の頃の趣味はアイドルヲタクだった。モー娘。だけのヲタクだったので、モーヲタというのが正しいかもしれない。そんなことはさておき、アイドルヲタクの究極的な夢としては主に2つある。ひとつは1ファンから推しに認知してもらい、繋がって彼氏や友達になること。もうひとつは自分の推しと一緒に仕事をすることだ。

そして、ぼくはそのどちらも幸運なことに別のアイドルで経験できてしまった。これはその後のぼくの思想形成に大きく影響を与えた。

まず、世間的に言われている「勝ち」「負け」にあまりこだわらなくなった。それは「勝つ」ことと「負ける」ことの差はほぼ「運」で決まると肌感覚で理解したからである。

国民的アイドルのひとりとは一時的ではあるが友人になった。ぼくよりもさらにお金や時間をかけていたヲタクもいたし、ぼくよりもイケメンのヲタクも当然たくさんいた。でも、なぜかぼくが運良く繋がって友人になった。

また、もうひとりの国民的アイドルとは、ぼくがアニメ・ゲーム関連の仕事をずっとがんばっていたら、たまたまその子とあるオンラインゲームのイメージキャラクターに登用され、たまたまそのインタビューを任された。

これらはすべて単に運が良かったからだ。数百人のコミュニティの中の姫と仲良くなるのとはわけが違う。全国どこ行っても知っているひとがいて、ファンも何万人といるのだ。そんなもの運でしか掴めない。

このことからひとのがんばりと成功が必ずしも一致はしないと心の底から実感するようになった。そもそも、ぼくを含む多くのひとはがんばらないとそのきっかけすら掴めないので、なにか得たければ必死こいてがんばらねばならない。ただ、そうしてがんばったからといって必ずしも報われるわけではないのだ。

また仮に「負け」たとしても、そのことで変に自己卑下したり、落ち込むことも無くなった。だってそれも運なのだから。自己憐憫にひたる時間があるなら、運を拾いにいく努力をしたい。

ただ、ここ最近はひとりでのんびり映画やアニメを見たり、散歩しながらオーディオブックを聴いたり、友人や大事なひととシーシャを吸ったりお茶しながらたあいのない話をしたり、温泉に行ってゆったりとお湯に浸かることにささやかな幸せを感じている。

が!

これまで歩んできた人生を振り返ると、失敗するかどうか考えず、とにかく自分の思うまま行動してみて、生きている歓喜を味わうようなものをまた求めていってしまうんじゃないかな。それが自分の性な気がする。そうやってまた色々と失敗を重ねたりして、何歳になっても大人になれないし、悟ったようなことを言うこともできない。結婚もぼくに未熟な点もあったりして失敗してしまった。でも、一度しかない人生、後悔のないように生きていきたいと強く思う。失敗は経験を積んだと思えばいいのだ。

不惑の歳といわれる年代でありながら、今もまだまだ惑いまくりなぼくですが、どうぞよろしくお願いします。

以下、目次以降の長い長いプロフィールを読んでいただき、なにかライティング、インタビュー、番組出演、各種コンサル、お悩み相談などお仕事のご依頼があれば気軽にお待ちしております。

連絡先

こちらのメールアドレスかLINE、TwitterのDMまでご連絡ください。

メール:nerina.tk★gmail.com ★を@に

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◆国民的アイドル付き人・ガチ恋時代

ライターとは無関係だが、2003年~2005年までの間は、一ファンから人生のリソースすべて、時間とお金(ボーイズバーやアフィリエイト、転売など時間に余裕が持てて金になることならなんでも厭わずやった)と努力と大いなる運に恵まれ、後藤真希本人と友達となり、側付き(週に3〜4日遊んでいた)をしていた。詳細はこちら↓↓

その後は気持ち的に色々あって、2005年からは道重さゆみの追っかけを始めた。2018年5月16日に放送された、敬愛する漫画家の山田玲司先生のニコニコ生放送番組『山田玲司のヤングサンデー』(ヤンサン)に出演した際には、その道重ガチ恋当時のことを振り返った。トークの冒頭ほんの数分がこちら。追っかけに関しては常人では理解できない頭おかしいことを言っていると思うが、人生全ブリしていたので、そこは了解した上で見て欲しい笑

そんな道重さゆみ追っかけ時代のときの詳細をまとめた記事がこちら↓↓

◆精神疾患にかかる

モーヲタをやっていて知り合った兵庫県に住んでいた女子大生(当時)と2006年のバレンタインデーから付き合い、その遠距離恋愛(モーヲタの時、毎週末遠征していたのを相手は知っていたから、付き合うからには同じ扱いでなければと毎週末兵庫に行っていた。若さ故の無茶)と親族関係の大きな問題と仕事のストレスが重なって2007年にパニック障害・自律神経失調症を併発。以後半年間、部屋の外に出かけることができない人糞製造機として過ごす。投薬や医師のケアによりある程度回復するも、気候や気圧の変化があると今でも身体の不調を起こす。寒暖差で冬でもめっちゃ汗かく。やがてパニック障害はほぼ寛解したが、それがきっかけで今度は双極性障害にもなってしまった。その当時のことはこちらの記事に書いた。

自律神経がブロークンしているので、汗かきで肌の新陳代謝が良いのとたくさん寝るようになったことで42歳にしては若く見えるらしい(自分で言ってるわけではなく他人からよく言われる)。ヒゲ脱毛しているのも大きいのかもしれない。

◆アニメ関連のライター業本格的にスタート

2009年8月 株式会社ユービック入社
Web媒体axive(http://www.axive.jp/)での記事作成や、pixivでの雑務、画集『pixiv girls collection』などの編集作業を担当。当時のweb記事(今は消滅)はここに少し掲載してあります。

2012年3月 株式会社ユービック退職

ユービックに入社したことをきっかけにアニメ・声優・アニソン・同人(東方)関連で仕事の幅を広め、以後フリーランスとして活動。
web媒体では上記のaxive、zakzak以外では、以下媒体でライティング。

アニカン(http://www.anican.jp/)、じゃぽかる(http://www.jpcul.jp/)など。ダ・ヴィンチ声優図鑑という当時としては珍しい、声優のグラビアメインのインタビューも担当していたのだが、当時の写真は残っていない模様。この時の恵比寿ガーデンプレイスで撮影した小倉唯ちゃんめっちゃ可愛かったんだけどね。

当時のことはこちらの記事に詳しく書いた。

サイゾーはイエローメディアであったので、そこで執筆していることがバレると公式の取材に入れなくなる恐れがあったので「織作亜樹良」と違うペンネームにして、しばしアニメネタのコラムを書いていた。一番話題を呼んだのは、売れている漫画やラノベを次々と粗悪なアニメに使い捨てていく業界のやり方に一石を投じたこちらの記事。サイトが一新されたので当時の反響数はリセットされている。

元記事での反響から様々なメディアでも転載され、2ちゃんでもスレが何個も立ち、無断転載で有名なやらおんなどでも取り上げられた。Twitterの総RT数は軽く2~3万を超えていたと思う。もうその頃の反響を示すものがないので、ニコニコニュースの画像を貼っておく(ニコニコニュースも既に記事無し。たまたま当時写メっていたらしい。この転載1記事だけで2200RTいってるから割とバズってるっしょ笑)。

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ぼくは元々この『極黒のブリュンヒルデ』という漫画が好きで、ずっと楽しみに読んでいた。作者の別作品『エルフェンリート』も好きな漫画だった。そのアニメ化作品は本当に素晴らしかった。だから極黒がアニメ化すると決まった時は、どんな感じになるか心底楽しみにしていたのだ。ところが、自分が書いた記事から抜粋するが、

その膨大なアニメ作品群を支えている制作サイドとしては、1クールごとに常に新しい作品を生み出していかなければならない。そうなると当然、一から企画を立ち上げるオリジナル作品よりも、すでに原作があるものをアニメ化していくほうが効率的で、コストがかからずに済む。なので、クールが変わるたびに漫画やライトノベルを原作としたアニメが次々と生み出されていくわけだ。もちろん、それ自体は別に悪いことではない。中には素晴らしいアニメ作品となって、原作を知らなかった多くの視聴者を魅了することもある。しかし、そのような旬な“原作乱獲”ばかり行っていると、時として良質な原作を予算や尺の都合で「使い捨て」のような形でアニメ化してしまうことも起こり得る。(中略)
『極黒のブリュンヒルデ』は、とてもゆったりとしたペースでスタートを切った。具体的には、原作コミック1巻の内容をアニメでは1~3話、コミック2巻の内容を4~6話に割くという丁寧さである。それにより、原作の持ち味を失うことない映像化に成功。また、女の子たちのキャラクターデザインのかわいらしさや、声優たちの演技の素晴らしさも相まって、アニメ3話が終わったあたりですでにネット上での評判はかなり高かった。(中略)
こともあろうか制作陣がアニメ終盤の10~13話で、コミック5~10巻の内容を一気に詰め込むという暴挙に出たのだ。スカジという“魔法使い”と戦うエピソードは丸々アニメでは削られていたが、それでもたった4話でコミック6巻分の内容を詰め込むのには当然無理が生じ、作品の構成は大いに破綻。最終話に至っては、あらすじだけを駆け足で見せた極めて雑な作りになっていて、伏線もまったく回収されないままアニメは終了

もう最終3話に至っては本当にひどい出来だった。原作にリスペクトがある人間が作ったとは到底思えない代物だった。だからこの酷い扱いをどうしても他のアニメファンにも知ってもらいたくて、このサイゾーのコラムで取り上げた。アニメ媒体ではこのようなイエローメディアが存在しない。なぜなら事務所やメーカーの力が強く、少しでも否定的な意見を書けば取材は出禁。そもそも原稿チェックをされるので、そんな否定的な意見を書くことができず、結果、どこも似たような提灯記事ばかりだった。

なのでアニメ媒体ではない、サイゾーという場でこれを書けたことは今でもぼくの中で良かったと思っている。アニメファンで多くの同じ思いをしている人たちからのよくぞ言ってくれた!といった反響の大きさや、2ちゃんなどで書き手のぼくを中傷する明らかに業界人みたいなひともいたので、やってよかったなと思う仕事のうちのひとつだった。ちなみにこちらの「織作亜樹良」というペンネームはレンガ本で有名な京極夏彦の『絡新婦の理』の登場人物から拝借している。ミステリー小説が好きなのだ。

最近になってdアニメストアでその『極黒のブリュンヒルデ』パッケージ版を見たら、かなり改善されており、駆け足なのは仕方ないにしても、新規のシーンがたくさん盛り込まれていたり、作画がヤバいところとかが修正されていて、見れる作品になっていた。やはり、クリエイターとしてもあれは納得のいく出来ではなかったのだろう。たとえパッケージが売れないにしてもきちんと修正するところに、アニメーターさんたちの矜恃が感じられる。金じゃないんだ!おれたちは好きなものを作りたいんだ!というところは本当にリスペクトしかない。ぜひパッケージ版(dアニメ版)を見て欲しい。

サイゾーでコラムを執筆していた真意についてはこちらの記事で書いた。

書籍では、雑誌『TYPE-MOONエース』(角川書店刊)、『Fate/Zeroアニメビジュアルガイド I』(角川書店刊)、 『ピーピングライフ The Perfect Fan Book』(東京ニュース通信社刊)、『ラジ館 フリーマガジン モモキュンソード特別編』、アニメ『機巧少女は傷つかない』、OVA『ヤマノススメ おもいでプレゼント』公式パンフレットの全ライティング部分担当。

DVDでは、COOL&CREATE『ハイパー×ハイパーあまねりお』、アニメ『僕は友達が少ないNEXT』『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』『くまみこ』などのブックレット執筆。

◆東方Projectの同人活動スタート(同人誌・同人音楽サークル)

2007年に『ひぐらしのなく頃に』というアニメを見た。精神疾患になってから、家でアニメを見ることが多くなり、友達からも自分にもできる仕事を振ってもらい、アニメ関連のライティングをするようになった。それがその後のライター活動に繋がっていくわけだが、その当時に見てたアニメのうちの一作がひぐらしだった。劇中では主人公の周りの人間がどんどんおかしくなって最後主人公が発狂死したと思ったら、また次の回ではキャラクターたちが生き返り、別のストーリーがスタート。ああ、これはループものなのかと思って見続けていたら、最後ぶつ切りでよくわからないままアニメが終わった。めっちゃもやもやしたぼくは原作を読みたいと思ったのだが、どうやらそれは商業流通ではなく同人作品だということがわかった。

同人?なにそれ?普通の電気屋で買えないの?最初はどこで買えるのかわからなかったので、ヤフオクでこれまで発表されていた原作を全て落札。どうやらコミックマーケットという同人即売会一大イベントで製作者が手売りで販売していることを知った。そして、ちょうど『ひぐらし』が終わり『うみねこ』シリーズがスタートしたので、その頃は外に出歩けるようになったのでコミケに直接行って直接竜騎士先生から受け取った。そんな感じがぼくコミケ初体験だったのだが、みんなが自分が好きなものを売り買い(正式には売り買いではないが)しているのを見て、ぼくもなにかやりたくなった。なのでさっそく自分でサークルを作った。同人作品の東方Projectにもすごくハマったので、東方Projectの2次音楽アレンジサークルを友達たちと立ち上げた。それを『渦錬』(かれん)というサークル名にした。サークル名の元ネタは、ペンネームの「ねりな」は漢字で書くと「練無」。その友達を当時はuzuくんと呼んでいたので、uzu=渦、練無≒錬で『渦錬』とした。

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これは1stミニアルバムで、ぼくらのデビュー作だった。プロデュースと詞や発注周りはぼくが担当、大学時代の友達が音周りを、仕事上で知り合った子が女性ボーカルを、ジャケットはモーヲタ時代の友達の友達に頼んでみんなで作り上げた。初めてのことばかりで大変だったが、なにか物をクリエイトするのってこんなに楽しいんだって思った。しかも売り上げも初回からトントンで済んだ。コミケというと壁サークルが数千万稼いだとかそういうのが話題にあがるが、ほとんどのサークルは赤字で、だけど楽しいからやっているのだ。また出来たばかりの弱小サークルにも関わらず、2011年4月には秋葉文化祭にも出させてもらったり(3.11のチャリティなどもこのイベントでは行った)、またサエキけんぞうさんの目に止まり、同年6月には渋谷スターラウンジでまだブレイクする前のでんぱ組.inc と対バンさせてもらったりした。司会を務めていたのが、今も友達の桃知みなみだったのも懐かしい。

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その後、島中から誕生日席へと移動し、ちょいプラくらいになっていったが、音作りの友達が子育て等で手が回らなくなり、メンバーをチェンジしたりして続けていったが、だんだんと初期のクリエイティブな気持ちが薄れていき、サークルを畳んでしまった。でも、単にものを消費するよりも、自分たちで作り上げることの楽しさを教えてくれた、コミックマーケットには何より感謝している。ちなみにジャケット担当の友達は自分で同人誌を出すサークルを立ち上げたが、シナリオが書けないということで、ぼくがしばらくの間シナリオも担当した。これはこれでとてもおもしろい作業だった。

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これはその友達と一緒に作った、東方Projectのキャラクターで主人公の博麗霊夢をメインに据えた『まんじゅうこわい』という同人誌のひとつ。面白い内容になったと自分でも自負しているが、何より友達の絵心がすごいのでこれはかなり売れたのを覚えている。自分の作品が転売されているのを見た時も正直嬉しかった。自分がメンタル病んでいた時は、外に出ることもできなかった。そういうひとたちがネットで自分の納得した金額で欲しい物を手に入れられるならそれにこしたことはない。販売価格より高くても、それはその転売した方の労働費でええやんと思ったし、現場に行けない人にとってはちょっと上乗せした金で解決できるならそれが一番だと思っていたからだ。メーカーがコミケ限定グッズを作り、それが高額に転売されているのを見て、転売ヤーゆるせん!と思う人が世の中には多いみたいだが、そもそも話題作りの為に限定とかにしているメーカーも悪い。なぜそちらを叩かない?これはぼく個人の考え方なので正論ではない。価値観の相違。

コミケというと、メディアではやたらと露出度の高いコスプレイヤーばかりの写真が掲載されたり、コミケ=エロという認識も多く広まっているので、興味ないひとはそれがコミケのメインだと勘違いしているが、メディアが露出度の多いコスプレイヤーを掲載するのは単純にPV数が取れるだけであって、あれはコミケの単なるごく一部にしか過ぎない。

コミケの本当の主役は、売れるか売れないかわからないけれど、とにかく作るのが楽しくて売れるかどうかわからない作品を頒布しているサークル参加者、そしてコミケにいけばどんなニッチなものでもみつかるので自分の趣味に合うものを欲している一般参加者。これがコミケの本当の主役たち。メディアでは登場しない人たちだ。だってひたすら各地の石ころを調べたり、売れない歌手のファンでその子の活動日報を細かく冊子にしたりしている人とかいる世界だ。もうクリエイティブな行為自体が好きじゃなきゃやってない。そして、素人が作ったものをこれだけの規模で行っているマーケットは他の国にはない。PV至上主義では中々難しいかもしれないが、大手メディアの人たちはもう少しそのあたりに光を当てて欲しいと思う。

◆古物商も始める(なお、今は法律が変わったので廃業)

ほかにも、ずっとライブチケットの良席をヤフオクなどで買っていたので、これをきちんと仕事とすることができないか、そんなことも考えて色々と勉強した。すると正式に警察の公安委員会に古物商許可を届け出て、チケット商と構えればきちんと仕事になることを知った。だから古物商許可証を取り、オフィスを構えて、ライターと兼業で古物商(チケットや古布)もスタートした。なのでライター業だけではなく同人、古物での出入金があるので、税理士を雇い、確定申告や税法関係は全て顧問税理士に任せた。

古物商でそこそこ稼いでみてわかったのが、税金の高さと国保の更なるはてしない高さだ。確定申告時に支払う所得税に加えて、隔月で来る住民税の支払い。そして高くそびえ立つ国保。国保がこれほどまでに高いものだとは思わなかった。多分、全部合わせると古物商で稼いだ純利の1/3以上は軽く国に持っていかれたんじゃないだろうか。

しかし、国はそうやってお金を稼いでいるひとから多く取り、お金のない方へ様々な支援をしていることを2019年になって知った。ぼくは法律の変更(興行チケットの「業」としての売買禁止)により古物商許可証を返納し、なにより持病の悪化で障害者雇用で働かせてもらった。そこでケアしてくださる方々へ支払われているのは、国が税金として集めたお金から出ている。当時は高い!なんて思っていたが、いざ自分が困った時にこうしてほかの方が苦労して払ってくださった税金のおかげで自分は助けられている。自分が払っていた時のお金がそのまま入ってきているわけではないが、回り回って自分が困った時にこうして助けてもらっている。人間社会は本当に助け合いだなと改めて深く感じた。

◆スカウトされてホストになる

ライターのコラムのネタにできるかなと思い、スカウトされてホストもこの時期少しだけやった。それまでキャバもホストも同じようなものだと思っていた。しかし、実際は全然違っていた。性的価値が高い女はいるだけで客が寄ってくるので、基本時給が高めだ。さらにそこから指名を受けたりドリンクを入れてもらったバックが入ってくる。しかし男の場合、どんなにイケメンであってもこちらからサービスを提供したり、営業をかけないと価値はない(元々有名人であるとかの場合を除く)。だから、時給はなんと最初は最低賃金からスタートである。それが自分に客が着くと、給料システムがその客の支払ったお金の何割かがもらえるという形式に変わる。つまり客のついてないホストはぶっちゃけコンビニでバイトした方が稼げるし、客がつかないホストなんかやっている価値はない。ただのカスなのである。ホストをやるまでそういった仕組みが分かってなかったので、なぜあそこまでガツガツして競争し合っているのかわからなかったが、自分自身がその身を投じることでようやく諸々のことを理解した。やってみないとわからないことってある。ホストの社会は完全なる弱肉強食の世界だし、そこでは擬似兄弟みたいな空間が形成されてゆく。そしてここからがホストとして生きていけるかの別れ目だと思うのだが、自分の中でいかにオンとプライベートをきっちり分けれるか。それが重要だ。というのも、とにかく常にどんな女が自分の客になってくれるのか、そればかりが四六時中、頭に浮かぶ。当然、街ゆく女性はもちろん女友達ですらみんな金に見えてきてしまう。これはなかなかにつらい。これを乗り切れるやつ、もしくはそういうふうに世界を見ることにまったく違和感を持たないやつがホストとして成功する。自分には性格的にも信条的にもそれが向いてないと実感。街ゆく女性がみなお金のように見え出してからは即辞めた。

◆海外一人バックパッカーにハマる

また話は飛ぶが、語学が全然できないくせに割と海外をひとりでふらふらしがちだ。高校の修学旅行でワシントンDC(アメリカ)、2004年にオアフ島・ハワイ(アメリカ)、あと何年だったか忘れたけどハワイ島(アメリカ)、2009年にロサンゼルス(アメリカ)、2014年にインドネシアのバリ、2016年にカンボジア、ドバイ、カンボジア(2回目)、ニューヨーク(アメリカ)、ジャマイカ、2018年にチェコ、オーストリア、チェコ(2回目)、スロバキア、2019年にバンコク(タイ)などに行ってきた。30代超えてからは基本的にバックパッカースタイルで2週間~1ヶ月ほど滞在してくる。好きな国はチェコ🇨🇿、カンボジア🇰🇭、タイ🇹🇭など。カンボジアは好きすぎて、現地で小学校を建てて運営しているひとや、カンボジアに旅立つ若い友達にこれまで40万円以上投げ銭している。みんな、カンボジアはいいところなので是非行ってもらいたい。旅の話をするのも聞くのも大好きなので、旅好きは気軽にお茶に誘ってください♪

◆「面白い」生き方をしているひとと会うのが趣味

というかひとに投資するのが好きで、こいつは凄いと思ったり、この生き方は面白いと思えるひとにはお金がある時にはついつい見返りなしにお金を投げてしまう。その時はたんなるホームレスだった奴が数年後には大物YouTuberになったり、世界一周をして今では中南米でドイツ人の彼氏とぶっ飛んだ生き方している子だったり、奢られて生きていくと言ってた奴が疲れた人たちに生き方を指南する超有名人になったりして面白い。元々売れているひとにはあまり興味はない。あと投資して大物にならなかったとしてもそれはそれで別に構わない。だって自分がそのひとに惚れ込んで勝手にやっていることだから(ちなみに今は自分の人生史上最大級にお金ないので時間くらいしか投資できない笑)。

◆Tinder(マッチングアプリ)でおじさんでもマッチする方法を確立

失恋の痛手から友人に勧められ、2018年12月から約2ヶ月間ほどマッチングアプリのTinderをやり始めた。2ヶ月で約200マッチ、18人と出会った。以降、Tinderはやっていない。ただ、中年男性に向けてマッチングする確率があがる方法論を見出したので、もしマッチングアプリでマッチできない等で悩んでいるひとがいたらコンサルする。細かなルール変更などはあるだろうが、基本的にマッチングアプリでの出会い方は似たようなものだからだ。

◆結婚・離婚

2019年9月8日結婚

2021年3月末離婚

※ここは調停の条項上詳細を述べることはできません。ご了承ください。

◆各種・お仕事やご相談に乗ります

先に述べた中年おじさんに向けてのTinderでマッチしやすくする方法(普通にやってたらまずマッチしません)から実際の出会い方などの相談に乗ります。

またアニメ・声優・アイドル関連のライター業も、上記の実績を見ていただいて、なにか見合うお仕事があればお受けいたします。ライター業以外にも、双極性障害、パニック障害、境界性パーソナリティ障害など、メンタルに関する当人やそれを支える方のお悩みもご相談に乗ります。ただ、実際の治療に関することなどは専門医にお尋ねした方がいいでしょう。相談に乗れるとしたら、パートナーがそういった精神疾患を持っていた時に、どのような心構えが必要かなど。お会いするのは池袋あたり希望。

長年、アイドル・アニメ・声優・アニソン業界の現場で取材を行なってきましたので、それらのジャンルでのインタビューやコラムが得意です。あと実際にトップアイドルと交流があったり追っかけをしていた経験から、ガチ恋ヲタク、もしくはガチ恋されているアイドル自身の悩み相談にも対応可能です。その他、これまで書いてきた過去についての相談もお伺いいたします。

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