夢現 往きつ戻りつ コロナ明け

老境自在(26)

 ワクチンを打ったら、昨年から延び延びになっている家族の誕生会をしよう、昨年夏に取りやめた東北旅行に行こうと妻と話をしていた。しかし、最近の新型コロナウイルスへの感染状況をみると、感染力の強い変異株の出現、免疫ができた人が感染するブレークスルー感染の発生によって、そんな行動の自由が叶えられるのはまだまだ先になりそうである。

 昨年の2月に新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、旅行や仲間内での集まりができなくなったので、その代わりにオンライン飲み会、ウエッブ同期会、インターネット講演会等を参加してきた。新たな試みはいずれも人との接触を伴わないので、コロナへの感染リスクは無いののの、今ひとつ物足りない感じがする。それでも半年、1年の一時凌ぎと思へば、それなりに楽しむことができた。しかし、コロナとの戦いが更に続くのならば、今のインターネットを介した交流について見直す必要がある。

 コロナ以前は、友と居酒屋で酒を酌み交わすのを大いに楽しんでいた。オンライン飲み会にそれと同じ喜びを求めること自体に無理がある。居酒屋の空間が醸し出す雰囲気をインターネット上には再現し得ない。
 インターネット講演会は、通常の講演会と違い聴衆の数の制限はないし、どこからでも視聴できるので開催地域の制限も受けない。インターネット講演の普及によって、コロナ前よりも幅広いジャンルの講演を聞くことが出来るようになった。

 オンライン上のバーチャルな飲み会は、どんなに工夫を凝らしも居酒屋に集まってやるリアルな飲み会には及ばない。一方、インターネット上に公開されるバーチャルな講演会は、特定の場所で開かれるリアルな講演会よりも広がりを持っている。インターネットが作り出すバーチャルな世界には、この様に限界と可能性があることが分かってきた。従って、新型コロナウイルスとの長期戦を耐え抜くには、リアルに拘泥せず柔軟にバーチャルを受け入れ、自らにとって最適のリアル・バーチャルのバランスを見つけ出す必要がありそうだ。

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