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旅の思い出編 ドイツ旅行(ベルリン)2019.11.15 怖い思いをしました

ドイツ観光、実質最終日です。
8時15分、ゆっくり起きてホテルの朝食を頂きました。


ホテルの部屋から見た
どんよりベルリンの空
朝からたくさんいただきました

ベルリンの歴史

簡単に歴史を振り返ります。

ご愛嬌な地図。
文章より絵の方が私は理解しやすい

第二次世界大戦での敗戦国であるドイツ。
ドイツはアメリカ、フランス、イギリス、ソ連によって分断されました。
西ドイツをアメリカ・フランス・イギリス、東ドイツをソ連が支配していました。
首都は東ドイツに位置しているのですが、その中でも細かく分けられました。
ドイツの首都のベルリンはを西(北から順にフランス、イギリス、アメリカ)と東(ソ連)で分けました。

ベルリン封鎖

・西ドイツの孤立化
アメリカとソ連はだんだん仲が悪くなり、ソ連は西ドイツ(アメリカ側)と西ベルリン(アメリカ側)をつなぐ道を封鎖。
西ベルリンは電気や食料が入ってこなくなり生活に困ってきました。
そこでアメリカ側の人々は空の便で西ベルリンの人々に資源を運びました。

・国の様子
この時のドイツは、西ドイツはみんなで自由に競争し豊かになりましたが、東ドイツは土地は国のもので怠けていても給料が一緒だったため頑張らなくなってきました。

・人々の考え
西ドイツに行きたいと思う東ドイツの人々が多くなってきました。
ここからだ雲行きが怪しくなってきました…

・自由を求めて
東ドイツから西ドイツは自由に行き来できなかったのですが、
西ベルリン→西ドイツは行くことができました。
なので、東ベルリンの人たちは自由を求め、西ベルリンへ行き西ドイツへ渡ったのです。

ベルリンの壁

自由に行き来する人を防ぐために、東ベルリン内に壁を作成しました。
この壁はまさかの一晩で完成しました。

ベルリンの壁崩壊(1989.11.9)

壁が作られて28年後、ハンガリー(ソ連グループ)がオーストリア(アメリカグループ)を行き来できるようになりました。
これによって東ドイツ→ハンガリー→オーストリア→西ドイツ
という経路ができました。
ベルリンの壁の必要性がなくなり、壁は崩壊。
東西ドイツが統一されました

ベルリン観光

赤の市庁舎

ベルリンの市庁舎。ベルリン大空襲によって大きく破壊され1951年~1956年に再建されました。

ベルリンの街並み
赤の市庁舎

ベルリン大聖堂

ベルリン大聖堂

ホーエンツォレルン王家の記念教会で、ルター派の礼拝をおこなっている大聖堂です。ここプロテスタントの教会なの?と思うような教会です。
王家ゆかりの人々の墓碑などがあります。
天気は悪いですが、雨は降っていません。1つ1つの建物が大きい。

入るためには14ユーロ(2人)
豪華です。ほんとにプロテスタントなの?素晴らしい
ベルリンの壁のお土産です

ハッケシェ・ヘーフェ

8つの中庭を持つ建物。中庭に面する形でカフェやショップ、ギャラリー、劇場、映画館などが設けられており、上階は、集合住宅として利用されています。
近くにユニクロや無印もありました。
今回ここに来た理由はアンペルマンのお店に行くためです。

アンペルマン

「アンペル」とは、ドイツ語で「信号機」の意味。
「信号機」と「男性」をつなげたそのままのネーミングです。
当時増加傾向にあった交通事故から、旧東ドイツの人々を守るために生まれました。
しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年に東西ドイツ統一が実現。ベルリンの信号機は東ベルリンも含め西側のものに取り換えられるようになり、アンペルマンの信号が粗大ゴミとして捨てられるようになっていたのです。
ドイツ南西部・シュトゥットガルト郊外の大学で工業デザインを学んだマルコス・ヘックハウゼン氏がこの危機を救ってくれました。
処分予定のアンペルマン信号機を無料で譲ってもらい、それを使ってオリジナルのランプを製作しました。

旧東ベルリンはどこか冷たい雰囲気が私の中でありましたが、このアンペルマンはかわいくって旧東ベルリンの中で唯一好きだなと思いました。
旧西側はヨーロッパな雰囲気が残っていてやっぱり好きなのです。
でも、旧東ドイツは独特な雰囲気 オスタルギー(オスト(東)+ノスタルジー(郷愁)の造語)です。
統一して30年がたった今も、西と東の格差は埋まらないです。

旧東ドイツのすごいなと思うところは、女性管理職の方が多いところ。
メルケル首相も東ドイツの出身。
崩壊後に東ドイツの女性は西ドイツの女性を見て困惑したらしい。

ユニクロ・無印
アンペルマンショップ入口
アンペルマンショップ
アンペルマンショップグッズ
ハッケシェ・ヘーフェの道
アンネフランクの小さい博物館


イーストサイドギャラリー、怖かった思い出

ハッケシェ・ヘーフェからオスト駅に向かいます。
14時ごろ、オスト駅側からイーストサイドギャラリーを歩こうと思います。

イーストサイドギャラリー駅へ

壁の周りは孤児、ボードを胸のあたりにもち署名活動をしている若者、観光客。ごった返していました。
この時の私たちは、「Can you speak English?」としつこいぐらいに署名活動をしている人に声をかけられていました。
平日の金曜日でしたがこんなに混んでいるのか…と思いつつスマホで写真を撮りながら道を進んでいきます。

イーストサイドギャラリー
日本のような壁

14時20分ごろ、“兄弟のキス”の前は人が多いなー。妹に写真を撮ってほしいと私は壁の前に立った瞬間です。あれ?妹がいない…。一瞬でした。
妹の周りに男女5人ぐらいの署名活動を装った人たちが群がりました。
意味が分からず妹の手を引っ張りその集団から引きはがしました。

妹は小柄(150センチ弱)だったので少し前から狙われていたのかもしれません。写真を撮る以外は私が横について歩いていたので離れた瞬間を狙われました。

しかしこの時は何をされたのか分からず、ただ人が急に押し寄せてきて怖い経験をしたというぐらいでした。
刺されなくて本当に良かった……何もされなくてよかったね。ケータイも無事だね。なんて話をしていたのです。

しかし急に人に集まられる(たかられるっていう方が正しいかも)と怖いものです。
観光は怖くなり最寄りの駅を目指し、ニベアハウスでお土産だけ買って帰ろうとなりました。

よく考えたらこの時妹は怖い思いをしたんだし、どこもよらずに帰ってあげればよかったな、と思います。
フリードリッヒシュトラーセの通りまでもどり駅に向かいます。

兄弟のキス 人がごった返していました
兄弟のキス
落書きがひどい
壁の近くの最寄り駅

ニベアハウス

ドイツといえばニベア!ということでここでお土産を買いました。

この日の私は少しついていませんでした。
私はクレジットカード(楽天JCB)で買ったのですが、後から清算を見るとカード2回切られてました…
この時の店員さんの対応はカードを切って暗証番号を入力した後に怪訝そうな顔で「どうも機械の調子が悪い。暗証番号をもう一度入力してほしい」とのことでした。
多分悪意はないです。だってちゃんとしたお店だもん。
35ユーロ…ついてない…
いつもはエポス(VISA)ですぐ履歴反映を確認していたのですが、楽天JCBはすぐ反映しません。
こういう時にすぐ反映するありがたさを感じました…
勉強になりました。

15時35分、ニベアで妹が会計をしようとした時です。
妹が財布がないことに気が付いたのは…
イーストサイドギャラリーでスリにあったことがわかりました。
一瞬の出来事でしたが、鞄を開けられ財布を取られたようです…

人に集まられる恐怖が勝っていて、鞄が開けられたことや財布取られていたことすぐはわからなかったのです。
動揺していたんでしょう。急いでホテルまで帰ります。

ニベアハウス
ニベア缶

15時50分。ホテル着。この後は本当に必死でした。
1時間以上たっているので不正に盗まれたものが利用されないように祈るしかないです。

“地球の歩き方”で警察に行くよりまずはカードを止めることが先決とあったので持っていたクレジットカード会社にカードを取られたことを電話しました。
クレジットカードや免許証がとられたこと、お気に入りの財布がなくなったこと。想像するよりももっと妹はショックだったと思います。

できる限り、姉として平常心をたもとうと頑張りました。
妹も頑張っていました。

この時よかったのは、パスポートは私が持っていたことです。
スリにあわず良かった…


今回の旅行も、日本と比べヨーロッパは治安が悪いことはわかっていたので最小限の荷物しか持っていませんでした。
ただ、コートの下に鞄は入れていなかったりや、写真を撮るために腕を上げ鞄から一瞬手を離したこと、こんなことがいけなかったのかなと思いましたが…
……うん、難しい。いつもの日常生活よりは何百倍も注意していたのに…

国際電話です。ドキドキです。

だいぶ日も暮れました。
すべてが完了したのは16時40分でした。

とりあえずよかった…
妹が「おなかすいたね」と言ったので、19時20分に外に出て食料を調達しに行きました。
1時間ぐらい外にいてホテルに帰ってきました。

近くのスーパー
ベルリンが怖い街になってしまったよ


夕飯として買ったもの

この経験をして、
いつもは18時までにはホテルに帰ったよね、いつもは荷物を姉に預けていたよねなどいつもといろいろ違ったね、反省だね。
と話しをしました。
ベルリン、怖い街になっちゃったな。
私たちの不注意だったこともあるけど、なんでスリなんているんだよ…

悲しい気持ちと、どこかやるせない気持ちになったベルリンの夜でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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