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「できる人」になるための、コピーライティング

春は、萌ゆる季節、咲く季節、実る季節。

人間の方も、いろんな衝動が渦巻いて忙しい。

今日は、毎日投稿についての内容でしゃべってみた。


「え?お前程度の人間がそれ言う?(笑)」

なんて、タイトルからして人生ナメてんのかツッコミが入りそうだけど、

内容はまさに、ネットがなければ知ることもなかった、自分よりすごい人たちが可視化され過ぎたことで、

自分のなかの「できる」の基準値が高くなり過ぎてるってことへの問題意識に関連するもの。

毎日投稿「できてる」って、何日続けたら、言っていいの?

「稼げてる」ってどんくらいの収入になれば言える?

「成功した」基準って、どこにあるんだろう?

同じ投稿をがんばるでも、一世を風靡したお笑い芸人がYouTubeに挑戦してるのとは次元が違う。

わたしにとっての「できる」は、三日坊主にならなければ「できる」、

「100万円稼ぎました!」の時間枠、一年だろうが「稼げてる」と誇りを持てる、

頭のなかにあった構想が、形になったなら、反応はともかく具現化に「成功した」のである、

と「言える」ことが、「できる」という感覚には必要だ。

「できる人」と「できない人」の違いがあるとしたら、その「できる」という満足を、誰かのハンコをもらうことなく、自分に与えることを許可できるか。

その一点に究極的にはあるのだろうと思う。

あなたがもし、フリーターであれ、名ばかりフリーランスであれ、月3万の稼ぎを3年間続けたことがあるのだとしたら、

あなたはもう「100万円以上稼いだ!」人間だ。

すごいことだよね…!

「もしも100万円があったら」というお題をみんなで文集に書いた、小学生の自分が聞いたら、びっくりするぞ!

で、今日の音声投稿振り返りだけど、今日は初チャレンジとして、冒頭と結びを台本作って一部読んでみた。

が、聞き直すと「ザ・読みました」が丸わかりで、今までで一番はずかしい投稿に。

書いているときはしっくりきた感じがしたのに、いざしゃべると、違和感しかない。

台本読んで本当に言っているっぽく感じさせる俳優のすごさを思い知るばかりだ。

「改善は、改悪にしかみえない結果からはじまる」

なんて、こんなしょっぼい事実から浮ぶには立派すぎる格言が頭で響く。

毎日投稿を続けるためのアイデアを披露しておいて、挫折したくなる気分が広がるけど、こういうときこそ、さっきの「成功基準爆下げ戦略」を思い出さなきゃね。

「月曜朝から441秒連続で喋ることに成功した衝撃」

もはや、何の成功なのそれ?っていうツッコミを吹き飛ばす勢いの情報商材のLPで乱舞しているような言葉のマジックを、自分自身に直接かけて今日も元気出す。

クリックベイトな魔術的コピーライティングは、自分に吹きかければ、ホワイトマジック、だもんね。


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。