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独りじゃないと否定できるように、僕は見つけたんだ。

        2024.1.20(土)

Mrs. GREEN APPLE DOME LIVE "Atlantis"
ライブビューイングを観てきたよ〜 Atlantisが開催された2023年の8月は海を超えた国で生活していて見届けられなかったから、ライブビューイングが発表された時は本当にうれしくって、ライブ会場に行くのと同じ具合の高揚感でこの日を楽しみにしていた!特に今週になってからはずっと浮ついてて「は〜〜疲れた…」って思っても「でも今週末はライブビューイングあるじゃん♩」ってルン♩ってすぐ上向きになるほど(笑)DVDだけじゃなくYouTubeにて配信されるAtlantisのライブ映像もほとんど観ないようにして、ただただ初見を楽しむぞの気持ちだったんだけど、私が手放しに楽しむだけでミセスのライブを見れるはずもなく‥ 上映終了後にすぐダイソーでメモとペンを買って Atlantisのライブを観て、感じて 考えて 思い出したりしたことを書き殴った。最初にも書いたけど去年の夏は留学中で毎日をどうにかするのに精一杯だったから、Atlantisらへんのミセスのあれこれを見逃したり聞き逃したりしているだろうし、また改めてDVDを繰り返し見たら今の自分に対して「あんた何にも分かってないね?」と言いたくなるほど180度見え方が変わったりするかもしれないんだけど。でも今のわたしの、心の動きをちゃんと書き留めておきたいなと思った。ライブの考察みたいな要素はほとんどなく、ただただ心の機微を 改めてこの人たちが大好きだと思った宝ものの瞬間を忘れたくないなと思った。

まずANTENNAからはじまるの、これわたし的にものすごく納得できるセレクトだった。フェーズ2になってからというより、2023年の10周年イヤーを巡っているミセスに対して、それ以前と明らかにアンテナの張り方が変わったように感じている部分があって。

もともと大森さんって「分かる人に分かればいい」というスタンスで、なんだろう 上手く伝えられてる気がしないんだけど、外側に向けてではなく内側に向かって歌っている人という印象だった。過去の発言を振り返ってみても「元々自分らはあくまで自分達の音楽を広げるためにやってる」とか「これからは5人だけのMrs. GREEN APPLEを大切にしていこうと思う」と言っていて。ミセスの音楽が勇気を与えたり 不安に寄り添ったりするのは、言ってしまえばこっち側が勝手に都合よく受け取っているだけで、ミセス自身はそこをめがけて音楽を届けているわけではない感じ。大森さんの内側で渦巻いているものを、音楽に昇華して発散させているという側面があったように思う。私にはたしかにそう見えていた。

でもここ最近のミセスは外に外にアンテナが向いている気がしていて、もう行くとこまで行ってやろう という気概に溢れている感じ。フェーズ1の時はミセスがみんなのものになっていくことに寂しさを感じていた大森さんが、今はかわいい子には旅をさせよというばかりに もっともっと Mrs. GREEN APPLEという我が子をみんなに可愛がってもらいたいと思っていたりするのかな〜って考えたりしてる。大森さんのことはいつまで経ってもずっと掴めないけど(笑)ANTENNAの歌詞にあるように「どこまでも行ける そんな気がしてる」のエネルギーとパワーを今のミセスの活動からはびりびりと伝わってきている。

NOAH no HAKOBUNE のときはセトリの順番の意味をかなり深めたんだけど、Atlantisはまだ全然掴めていないな〜 Speaking →サママ もう純粋に久しぶりに聴けてめっちゃうれしい。Speakingは特に私のミセスとの出会いのはじまりの曲だから、もう次から次へとミセスの代名詞になる曲が増えて いつの間にかセトリの外側でお留守番になることが常になったけど、ドーム公演に連れてきてもらえて良かった。サママも青と夏がリリースされてから、その前振りとしてネタに使われるような立ち位置になってて(笑)そのくだりも楽しいんだけどね、本当に灼熱の夏の真ん中で開催されたお祭り公演で もうサママ・フェスティバルでしか盛り上げられない夏がそこにあったよね。それから印象的だったのはセトリを先に進めてフロリジナル。上昇していくステージの上にいるメンバーと、メインステージの緑の背景が絶妙に遠近法になっていて、3人が森の中で音楽を奏でながら生活している小人(妖精?)みたいに見えた。

そして何より、というかもう書きたかった本題は正直ここでしかないのだけど、BFFの もうBFFについて語らいたいよ。

ANTENNAのトラックリストを見た時に、BFFという曲がある……とドキリとした感覚は新鮮に覚えてる。私が知っている限りBFFとはベスト・フレンド・フォーエバーの意だったし、いつまでも5人だったミセスに想いを馳せてメソメソしているわけじゃないんだけど、それでもやっぱりミセスがどんな関係でどれだけ一緒に日々を巡って、お互いがお互いの一部になっているかを知っているから、軽い気持ちで聴けたことは一度もないな。ただの1ファンである私ですら慎重に扱うこの曲を、当の本人たちがサラリと歌うはずもなくて。シンプルだけどそれでいい。それがいい。3人がお互いを向き合って、歌を聞いているのに懐かしい話を語り合っているような空気が広がっていた。時々訴えかけるようにメンバーの目を見て歌う大森さんと、それをふんわりとした微笑みで受け止める涼ちゃんとひろぱがいて。3万人の観客の愛情を背に受けている感じも心強かった。

ミセス結成時の誘い文句「僕と一緒にバンドをやれば99%メジャーデビューできる」をふつふつと思い出しながら「バカみたいな僕の夢を バカみたいに信じてくれて」という歌詞をなぞったり、「独りじゃないと否定できるように 僕は探すんだ」と歌ってデビューした人たちが「僕には君がいる」「君には僕がいる」と歌う尊さだったりにじんわり目頭が熱くなった。上記で"外側にひらけていっている"と今のミセスの活動を表してみたけど、こういう内側にこもる部分を完全に手放したわけじゃなくて、というか手放せる人たちじゃないのが好き。「変わる」って今までを手放す行為ではなく、むしろ全部を連れて前に進むことなのだなあと思ったりして、無理に過去を美談にする必要もなく、ただ過去の苦しみを受け止め切れたとき(受け止め切れる=受け止められる器になったという一つの成長の証明でもあるね)人は前に進み、それを変化と呼ぶのだと感じ取ったりしました。

あと誰かと共存していくとき、人と人の繋がりに立ちはだかるのが価値観の違いだと思うんだけど、「うれしい」「たのしい」の価値観って多少ズレたままでも上手くいくけど「これが嫌だ」のズレは一歩間違えれば、全てを崩壊させる一撃を持っていると思っていて。だから相手の痛みや苦しみに理解しようと歩み寄るわけだけど、今のミセスの3人は同じ傷を同じ場所に刻んで、自分たちだけがその傷の深さを知っているという 確固たる3人だけのデリケートな領域を持っている気がする。もうお互いに歩み寄り合うなんて段階は通り過ぎていて、1番深い痛みを共通して知っているから、だからもう大丈夫だよねというか もうそこさえ揺らがないなら何があっても崩れないだろうという、その絶対的な何かが目に見えるようだった。絶対なんてものはないし、何かってなんだよって感じなんだけど、3人の点と点と点が等しく結ばれている絵が頭に浮かんでうれしかった。

そしてBFFからの僕のことだね。僕のことってもともと高校サッカーの応援歌として書き下ろされた曲だし、学生みんなの青春と重ね合わせて披露されることが多すぎて、あんまりミセス自身のことと当てはめて聴いてこれなかったんだよね。でもBFFからの僕のことで、はじめてミセスたち自身のことと重なるように響いた。Mrs. GREEN APPLEとして歩んできた軌跡を なにが正解かは誰にもわからないけど、でもこれで良かったと肯定するように歌っているように聴こえた。Atlantis特別バージョンってそういう意味も含んでいたりするの。からの、私は最強の気持ち良さと説得力がすごかった。「私は最強」って言葉だけを聞くと なんだかお気楽そうで脳天気にも聞こえるんだけど、BFFで孤独の殻から抜け出して、僕のことで そんな弱さや葛藤も愛おしいと抱きしめられたから、そりゃあもう何も怖くないよ。私は最強だよな〜!

こんなに書いたのに、こっからが あ〜これだからミセスって本当おもしろい 降参ですという感じのゾーンに入るから唸った。

大森さんの根底にある思想の一つが「人間は汚いけど僕は嫌いじゃない」ということ、そして過去の発言を引用して「今の人々に時代に失望しているけど歌を作ります歌います。諦めているからこそ歌います」のこれ。

まずAtlantisは NOAH no HAKOBUNE の続編という立ち位置だから、創世記・ノアの方舟のあらすじを改めて読んだ。大洪水の伝説を語った物語で、悪に染まった世の中を嘆いた神が、人類を滅ぼすために大洪水を起こすんだよね。そしてアトランティスとは、かつて存在したと言われる幻の大陸で、人間が混じるにつれ堕落し、最後は神々の罰として海中に沈み、滅亡したとされている とのこと。そしてAtlantisの続編になるバベルの塔は、神の怒りを買った「人間の驕りの象徴」と記されて、一貫して人間という生きものに対する毒は薄まってなんかなかったんだ‥‥って ああこの毒素こそミセスだよなってビリビリと脳が揺れたね。

Lonelinessと絶世生物。特にLonelinessは性行為を示唆する表現もあるから余計に、こんな何も期待しない世の中に生命が生まれゆくことへの皮肉に聞こえてしまって。絶世生物は考えがまとまってないから適当なこと言えないけど、でも生き物(生物)と生命という単語だけを見ても、意図的な結びつくものがあると感じてはいる。感じてはいるだけどな〜 まだまだ私の思考のキャパシティじゃ追いつけない領域だ。

そういう一面を剥き出しのままにしないのがミセスらしいのか、もしかしたらその根底の部分に光が差しつつあるのか、本編最後ダンスホールとMagicでいつもの表面的なポップな顔に戻るんだもん。「多面的になってきた」と大森さんも言っていたけど本当にそうで、今までこう見えてたのに、ある一点に気付いた瞬間まったく見え方が変わったりするし、私にはこう見えてるけど 隣の人はまったく違う見え方で捉えてたりする。トリックアートみたいなバンドになってきて大変。

そうだ最後に大森さんが「辿り着きましょう」「辿りつく場所がある」と口にするのが気になっていた。大森さんの現時点での辿り着いた先ってケセラセラが答えだと思ってるんだけど(なるようになる)なんだ なにかの伏線だったりするんですか これからも答え合わせを楽しんでいきたいよ。

「あの頃が好きだった」と言われるのもミセスのどこか1ページでも好きでいてくれたとポジティブなこととして受け取っていると話してくれたけど、あの頃も今もこれからも大好きです。さあ The White Lounge へ挑みますか(腕まくり)

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