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【自分メモ】自問自答活動の覚え書き③

自問自答ガールズの凛です。
現在、長らく続く体調不良に加え業務量が増えたことで精神的にも不安定になり、絶不調の真っ只中にいます。
これまでの人生を振り返ってみてもかなり深い穴に落ちている気がします。

そんな状況を打開すべく足掻いてもみましたが、返って穴を掘ってしまったように思うほどです。

今秋に自問自答ファッション教室を受講したことでたくさんの気づきがありました。

その後の自問自答活動で感じたことや得たことがたくさんあります。
そんな体験や思いを文字に残しておかないと、次から次へと浮かんでくる思いに消えて行ってしまう。
けれど、きちんとした(ちゃんとした)形で書き残す気力も体力もない。

何もできない、書けないということも体調不良を長引かせるストレスとなっていました。

この「ちゃんとした」というのは私にとっての地雷(NGワード)というか、心に引っかかるワードです。(後述します)

今の状況では書き上げることはできないけれど、いつかまとめることができるように出来る範囲で書き残しておこうと思います。


今、書き残しておきたいこと⑥一歩を踏み出さない勇気を持つ

前回、自分の殻を破ることで新しい世界への第一歩を踏み出せたことを書きました。そこから広がった世界はとても楽しくて積極的に行動して良かったです。

勢いに乗って、ガールズたちが画面上ではない場所で交流している姿を目にするたび「私も!」と意気込んでみたものの、そこから一歩を踏み出すことはできませんでした。

どうして踏み出せないのかと落ち込んだし、思い描く自分の姿にはなれないことに苛立ちも覚えましたが「出来ないことは出来ない」のだし、それが私なのだと受け入れるしかないと思い切ることにしました。

私は、これからも孤高のもぐらを貫きます。


今、書き残しておきたいこと⑦自分らしさ(たったひとつ)にこだわらない

自問自答ファッション教室の事前アンケートで、悩みとして「自分らしいアイテムを持ちたい」を挙げました。

自問自答ファッションを知ってからずっと「自分らしさ」を表現することに憧れ、私にとってそれが何なのかを探しているような気がします。

具体的には着ていた服や着けていたアクセサリーの抜け殻を見たら私だと分かるような「THIS IS ME!」なアイテムが欲しいのですが、ひとつに絞ることがとても苦手なのです。

例えば私らしさを表現するアイテムとして「こんな色、こんな形がいいな」と即座に口から出てくるほど具体的にイメージしているのに、実際に目に飛び込んでくる(気になる)ものは色も形も様々で。
言っていることとやっていることが違うのでは?とモヤモヤしていました。

私の手元にあるアクセサリーは「好き」で「似合う」淡い色(例えばミントグリーン)で柔らかいイメージのものがほとんどです。
ところが「今」気になっていて似合うと自覚でき、心にしっくりとくるものは同じ淡い色でもミントグリーンではなくラベンダーカラーのもの。そして、少しエッジの利いたデザインが欲しいと思っています。

先日mmmジュエリーさんのお店に伺ったとき、茉莉華さんにいろんな色やアイテムに目移りしてしまうことをお話しました。すると

「いいじゃないですか、いろんな色を集めたって」
「例えば、着用シーンや季節で色を使い分けたりとかするのはどうです?」

一言一句同じではありませんが、茉莉華さんからそんな言葉が返ってきて「ひとつだけ」にこだわり過ぎている自分に気づきました。

『そうか、ミントグリーンだけじゃなくてラベンダーカラーを私のメインカラーにしてもいいんだ。』
『夏はミントグリーンで冬はラベンダーカラーとか、季節ごとにメイン色を決めて楽しめばいいんだ。』

そんなふうに考えることができるようになり「たったひとつ」の呪縛から解き放たれた私はその後、ラベンダーカラーへの好きを募らせていくことになります。

私らしいアイテムを見つけること。
それは「ひとつじゃなくてもいい」と思えたらものすごく気が楽になり、その勢いで気になるアイテムを購入しました。

手に入れるまで散々悩んだけれど素敵なアイテムが相棒になったことはもちろん、手にしたからこそ分かることがあったので良しとします。
(別の機会にじっくり向き合いながらnoteに書きたいと思っています)

今、書き残しておきたいこと⑧自分で自分を労わらないで誰が労わってくれるのか

2023年は仕事(人間関係、業務量)に振り回された一年でした。
ずっと耐えてきたものの、クリスマスを迎える頃にとうとう限界がきてしまいました。

これは教室であきやさんからいただいたnoteにまとめるお題のひとつなのですが、私は仕事に対する比重・熱量(人生の中でのバランス)がかなり大きいようです。
前述の通り「ちゃんとする」ことにこだわりがあるので、与えられた仕事には全力で向き合い、真摯に対応するのは当然のことだと思っていました。

でもそれとは真逆に「仕事よりプライベート優先」と何事にも非協力的な人が身近にいて、その影響をまともに受けてしまったのです。

結果、業務を遂行するにあたり私だけが犠牲になっていると思えて、悲しくて涙が止まらなくなりました。涙を止めなければと思っても止められない。朝起きて「行かなければ」と出社の準備をしながらも家を出る時間がだんだんと遅くなりました。
この症状が酷くなれば出社できなくなるだろうな、と他人事のように冷静に分析できるぐらいには自分を保っていますが、あとどれだけ耐えられるのか。

辛さから目を逸らすようにクリスマスを迎えたデパートのキラキラした雰囲気の中で「演歌○○」と言い換えて、普段にはない高額な買い物をしている自分に危機感を覚えました。

誤解しないでいただきたいのですが「演歌○○」「鎮魂歌○○」を否定するものではありません。何らかの思いを昇華する手段として購入することは悪いことではないと思っています。

ただ、今の私にとってはそのアイテムが気に入っているとはいえ、試着や熟考の末に納得して購入を決めたと言い切れない複雑な気持ちを抱えているということです。

周りも私の異変を感じ取って上司に掛け合ってくれたので、年明けには面談の予定があります。(年内にも、と調整してもらったのですが私に余裕がないので少し時間を置いて欲しいとお願いしたものです)

そこで今後も何らかの対応がなされないと感じたら、私も腹を括ろうと思います。


泣くほどに辛いのは、この辛さを分かってもらえない(と感じている)から。

業務を回していくための犠牲になっているというのに誰にも労わってもらえないと思っているから涙が出るのだと気付いたとき、同時にそういう自分も(自分を)労わっていないと思い至り、さらに涙が出ました。

自分で自分を労わらないで誰が労わってくれるのか。

自分を大事にすること。
何よりも自分を優先する行動を取るようにしようと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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