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天才と凡人の考察

最近よくこんなことを考える。
生まれ持っての天才は、多分5%いるかいないか、
そしてその生まれ持っての天才は
「何か見返りを求めてやっていない」
っていうのが大きな違いなんじゃないかと思う。

意識せずその人が創り出したものが、とも魅力的である
俗に言う「カリスマ」とか「逸材」とかの類。

そして、その天才を見ると
作るものも生活も丁寧にして生きている人
破壊と再生を繰り返して生み出す人

の、大きく二つに分類されると思ってる。

(たまに、自分が才能あることを理解し、
マーケティングでうまくいく、
アーティストより起業家タイプの人もいるけど
それはここには含めずに話を続ける。)


ちなみに、アニメの私の推しが前者パターンだった。
才能があるが故に妬まれたり、盗作されたりと、とても暗い過去を抱えている。
(比較的早い段階で孤独から抜け出す展開になるんだけどね)
これはアニメなので、現実世界にはかなり少ないだろうけど。

後者は岡本太郎さんとか、草間彌生さんとか
自分でコントロールするのが難しいくらいのエネルギーをもってる方々。
後者はどこか、何かを犠牲にしているのが作品を通じて見える気がする。
だから人の心を打つのだと思う。


そしてどちらにも共通するのは

環境が大きく影響すると言うこと
感じ取る力が人一倍強いため理解され難く
人によっては孤独を感じている人もいるかと思われる。

遺伝は2%くらい
メディアで取り上げられる有名な方々は、中でもごく僅かなんじゃないかな。



環境から影響するなら、天才になれなくても
仕方ないと思える。
違う生き方を感じ方をしているんだから。

ゴッホは天才と言われるが、そうではないと思ってる。
どっか認められたくて描いていた、自分の存在を絵で証明したかったように見えて
ゴッホの絵を見ると少し辛くなる。
(余談だけど、今ゴッホ展とかの収益はどこに行ってるのか気になる。
もし行ってるなら弟テオの家系にだけ行って欲しいと思う)


ミュシャは半分デザイナーだし、
デッサンも多くあるし、努力型の天才かな、と。
(努力している意識があるかどうかは置いておいて)

大体、何かを始めたり続けたりするきっかけは
「褒められたい」「モテたい」「有名になりたい」って、どこか下心があったりする。
そこから発生する頑張りは、努力でやってるものなんだと思ってる。

「生まれ持っての天才」は
センス、環境、感じる力をもってでき
創ることが生活の中にある人。

「努力の天才」は
好きな事があるから、それを続けたくて
もっと上手くなりたくて
勉強して、工夫して、

※ここで「努力」という言葉を使っていますが
良くなるような工夫、という意味で使ってます
努力と思っているうちは伸びないという見え方も往々にしてあるので。


私はたまたま「生まれ持っての天才」を目の当たりにして
多分ご本人には自覚はないんだけど
根本的に自分とは違う感じがしたんです。

それ以来、そんなことばっかり考えるのです。
敵わない理由が欲しいのかもしれない。


つまり、やりようによって努力での天才には
誰にでもなれるってことです。

私はそう思いたい。

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