それは『マジョリティが「人間」という前提だから』という考察。
自分で「無冠の自力系アーティスト」「メンヘラ確定」って言う。
大学の時に子供を産んで、イギリスに移り住んで、絵本も描き、
帰ってきたジュゴンの居場所を失おうとしている大人の都合に涙する。
脆そうだけどパワフルで、行動力があって、愛情深くて、予想外にファンキー。
そして去年からYouTubeを始めた、それがcocco。
もう私はそんなもうcoccoちゃん(あえてちゃん付けで)の虜になりました。
昨日、coccoちゃんの歌聴きたいなぁと思ってから
色々動画を見させてもらったんです。
子育てのこと
ライブ後食べているご飯の料理〜完成まで
イギリスでの生活のこと
デビューからこれまでのことを振り返って
好きなコスメのこと
震災ボランティアのこと
他にも色々。
そこには、誰よりも人間らしく、誰よりも素朴で、
誰よりも真っ直ぐなcoccoちゃんという人が映っていました。
中でも子育て動画、おすすめです。
子ども産んで欲しいから、いいことしか言わない国やメディアに嫌気が差している私には、超刺さった。
自分はどうして周りみたいに子育てできないんだろう
自分はどうして子どもを可愛いと思えないんだろう
こんな事言ったら、覚悟しないで出産しないからだって言われる
そうやって比べて疲れてしまっている人。
産まない人には解らないことなんて沢山ある。
産めっていう、でも働けっていう。
なのに、求められるお母さん像は今までと何故か変わらない。
そんなん、しんどいの当たり前やん。
coccoちゃんの動画見て、そう思えた。
だから、子育て疲れた人にはちょっと見てほしい。
人はよく、世に順応しにくいマイノリティな人のことを
「変わった人」
「宇宙人」
「天才」
「奇才」
とかいう名称をつけがちだけど、
世に順応できているマジョリティな人を「人間」という前提があるからであって
その宇宙人とか呼ばわりする人の方が、よっぽど人間臭いと思うのです。
私は宇宙人と言われたことがあります。
そして、宇宙人みたいな人が好きなので、とても光栄なことです。
うまく表現できないのですが、伝わる人には伝わるといいな、と思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?