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自分のやるべき事に集中する。

哲学の学びのなかで
師から聞いた話です。

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とある工場で働く男が、
「わたしはこの仕事を辞めたい」と
工場長に伝えました。

なぜ辞めたいのかと尋ねると、
「周りの人がうるさくて仕事に集中できない」
と男は答えました。

工場長は、
「わかった、辞めてもいいよ」と。

そのかわり最後に、
水が満タンに入ったコップを持って
工場の中を一周するように伝えました。

男は首をかしげながらも、
それをしたら仕事を辞められるのだ、
と思い、言われたとおりにしました。

なみなみに水が入ったコップを持って、
男は水をこぼさないように慎重に
工場の中を歩きました。

広い工場の中を一周し終わり、
男は「これで仕事を辞めさせてもらえますか?」
と工場長に尋ねました。

すると、工場長が男に質問します。
「いまあなたが工場内を歩いていたとき、
周りの人はなにを話していましたか?」

男は思い出そうとしましたが、
覚えていません。

「コップの水をこぼさないように歩くことで
必死だったので覚えていません。」

それを聞いた工場長は言いました。

「ほんとうに自分の成すべきことに
集中していたら、必死になって行っていたら、
周りの人のことなど気になりません。」

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この例え話が表しているのは。

自分のやるべき事に集中していたら、
周りの人がなにをしていても、
なにを言っていても気にならない、
ということです。

揺るぎない信念があれば、
誰かが邪魔をしようとしても、
誰かに何かを言われても、
その信念は変わりません。

わたしが師に、
「自分が進んでいる道が正しいのかどうか
という判断はどこで下しますか?」
と質問をしたところ。

「最初は自分では正しいかどうか
わからないかもしれない。

そのときは、
どんな先生から学んでいるか、
その知識がどこから来ているか、
というのが大事。

※そういう意味で "師" を持つことは
とても大切であり、誰を師とするかは、
その人がどんな先生から学んできたか、
ルーツのある知識を学んでいるか、
が重要である。

しかし、
prajna (プラッギャー) が開いている人、
つまり、自分の肉体ではなくもっと内側、
自分の魂と繋がりたいと思っている人は、
なにが正しくてなにが間違っているかわかる」
という返答があり、とても納得しました。

※ prajna ... 智慧、wisdom。
すべての事物や道理を明らかに見抜く
深い智慧のこと。どれだけ自分を理解し、
どれだけ人を理解しているのか。

自分の行っていることに自信がなかったり、
ほかの人の言動が気になって不安になったり
落ち込んだりするとき、それは自分自身の
内側とちゃんと繋がっていないことを
意味するのだなぁ、と。

そう考えると、
やはり瞑想や内観、
yoga の asana の練習や呼吸法などは
自分と繋がるためにとても有益な方法なのだ、
と改めて感じます。

揺るぎのない自分へ。

namaste.

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