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なぜヨガなのか。

きょうは、
なぜわたしがヨガを学び、
ヨガを伝える仕事をさせて頂いているのか
について書いてみます。

最近はスポーツジムでも、
新しいメソッドがたくさん増え、
世界中でいろんなものが開発され、
流行っているんだなぁ、と感じるが。

そんなたくさんあるメソッドの中で、
わたしは揺るぎなくヨガを学び続けている。
それはなぜだろう?と、自問自答してみると。

たくさん理由はあるのだけれど。
やはり一番は、肉体だけでなく精神にも、
同等か、それ以上のフォーカスが
あることかなぁと思った。

多くの人が
実感されているかと思うが。

スタイルがよく見た目が美しいこと=健康
とは限らない。

身体が柔らかく身体能力に優れていること=幸せ
とも限らない。

肉体だけでなく精神も
健康や幸せには大きくかかわるし、
同じ肉体でも表面的な肉体だけでなく
もっと内側(内臓、血液、リンパ、ホルモン、
呼吸、氣、などなど)が大事だったりする。

ヨガにもいろんなヨガがあるが、
わたしがインド人の師から学んでいる
インド由来の伝統的なヨーガは、
アーサナ(肉体的な修練)のほかに
呼吸法や哲学による精神的な学び、
マントラチャンティング(お祈り)、
キールタン(音による浄化)、瞑想、
アーユルヴェーダによる食事療法など、
学びは広範囲に及ぶ。

ジョーティッシュ(インド占星術)とも
深い関わりがあり、一生をかけて学びたい
と思うほど奥が深いのである。

以前、ある方に前世を見て頂いた時に
わたしはネパールか北インドに住む、
毎日マントラを唱える敬虔な女性であった、
と言われたことがあり、前世を信じるかどうか
は人それぞれだけど、わたしがマントラに
強く惹かれ、ヨガに傾倒していったのは
そういった流れがあったのかもしれない、
と思ったりもした。

人により
・なにをして幸せ
・なにを食べて幸せ
・誰といて幸せ
・なにがあって幸せ
はそれぞれなので、
わたしは自分から誰かに
ヨガをすすめたりはあまりしない。

けど、聞かれたときは、
「わたしが1番よいと思うのはヨガ」
と答えています。

ヨガにはスポーツのように
何歳までがピーク、というのはなく。

肉体で言えば、
わたしは10代20代の頃より
身体が柔軟になり、冷え性もなくなり、
鼻炎もなくなり、虫のアレルギーもなくなり、
いろんな不調がなくなった。

そして、精神的にも
いろんなことに怒りを覚えたり、
不満を抱えていた、消し去りたいような
過去もあるけれど、いまは必要のない怒りは
手放すことができるようになり、
日々穏やかに過ごせるようになった。

年齢を重ねるごとに
ヨガの学びは深まり、
以前は理解できなかったことが
理解できるようになっていき。

yoga の語源は yuj (繋ぐ)という
言葉から来ているとされますが。

点と点で覚えていた知識が
どんどん線になって繋がってゆき、
真の理解に繋がってゆくような
魂の歓びがあるのです。

たぶんこれは
学びを続ければ続けるほど
深まってゆくのだろうと思う。

あと、わたしは
手を合わせたり、お祈りしたり、
神聖なものと繋がるような感覚や
行為がとてもすきです。

これはヨガという分類だけでなく、
なにかを命を懸けて、一生を懸けて
心から遂行している人に感じることです。

例えば、わたしの生徒さんで
お花を心から愛し、それを職業として
30年というお花屋さんがいるのですが。

その方の所作に
いつも神聖さを感じます。

捧げる=献身
ということかもしれません。

ははは。
まとまりがなくなったけど。

note はひとりごと用だから
まとまりなんかなくていいんだ、
と自分に言い聞かせて終わります。

気軽に書くから続くと思うので。
きょうはこんな感じでー。
ドロン。

ちなみに写真は
きのうのアーサナ練習の様子。

読んでくれた方
ありがとね。

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