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鳥羽・伏見の戦い155年


本日、旧暦の1月5日
155年前の今日、新選組や会津藩士を中心とする幕府軍と薩長軍が衝突し、苦戦した幕府軍は伏見から千両松を経て淀まで退却。

新選組六番隊隊長であった井上源三郎は戦死。周囲のものは彼の首のみを抱え淀藩を頼りに淀小橋を渡り城門開放を願うも、藩主のいない家老たちの決断で幕府軍は受け入れられず、城門は開かなかった。

淀小橋旧跡 この先に淀城門があったと思われ

敗退は決定的に。今の大阪との府境、橋本まで逃げのびるとともに、大阪城にいるはずの徳川慶喜が船で江戸に向かったことを聞く。

そんな、踏んだり蹴ったりの目にあってしまった会津・新選組の面々
その無念さはいかばかりであったか

千両松〜淀近くには、いくつもの慰霊碑や墓標が点在する。近隣の方がいつでも花を絶やさず手向けているようである。

平和になった日本を隊士達の霊はどのように見つめているのか

千両松近くの慰霊碑
幕府軍の墓があったという光明寺跡
野戦病院となった長円寺の墓碑

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