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スカイ・クロラの世界観

スカイ・クロラの世界観を書いておこうと思います。

メインのキャラクタは「キルドレ」と呼ばれている普通ではない人間です。
その特徴は

成長しない。
つまり、老化もしないし、永遠に子供のまま。
何も無ければ永遠に生きる事ができる存在で
特殊な体質(?)を持った生命。

この特殊な体質を持った「キルドレ」は戦争の道具として戦闘機に乗り、民間の軍事産業の一部として社会的に機能している。
戦争は無くすことができない必要悪として社会構造に取り込んでおり、その戦争の目的は国家間における紛争の決着手段としてではなく、一種のゲームのような。競技のようなものとして遂行されている。

という感じです。
ただし、これは作中ではほぼ説明がありません。
断片的に「子供のまま」であることや、戦闘機乗りのほとんどがキルドレである事などが記述されるだけなので、詳細は不明である。
戦争の当事者というかその主体も国家なのかどうかも不明で。その目的も不明。時々実行される大規模な作戦行動もどこかイベント的であり、陸軍や海軍などが有るようにも見えない。
空母が出てくるが、あくまでも戦闘機のキャリアとして存在しているのだろうと想像するし、爆撃機も出てくるが攻撃対象は基地などの軍事施設に限定されていると想像すれば、国土を破壊するような事はしていないように思える。戦闘の場所は「空」が主で、一般民衆の日常生活を脅かすような戦闘は極力避けるような、或いは戦場と非戦闘地域が分けられるようコントロールされているようでもある。
なので、あくまでも競技かゲームか、スポーツのようなものとして戦争をしているような感じである。喩えるなら「格闘技イベント」みたいなものだろう。それを公共事業として準国家的な組織によって運営されているのではないかと想像する。

また「キルドレ」という特殊な体質を持った人間をどうやって生み出すのか。或いは生まれてくるのか。又は改造するのか。
そういった事も説明がありません。
恐らく薬害によって偶然に発症したもので、それを治療する術がないまま、戦争の道具。民衆のガス抜きの為に利用されているのでは?と想像しています。
薬害については「フラッタ・リンツ・ライフ」の中で、治療する薬が有るらしいという描写が出てくるので、薬で治せるならその原因も薬かもしれないな。と想像するのと。文庫版の解説で「薬害」というワードが出てくるのも付記しておきます。
※解説なので信憑性は不明です。

又、草薙水素(クサナギ・スイト)や栗田仁郎(クリタ・ジンロウ)が戦闘でケガをし入院する事があるが、怪我が軽傷であったにも関わらず、長期の入院をする場面があり、中長期の入院の名目には広報戦略の為だとか、テストの為などと作中では説明されているが、投薬をされていた可能性もあるなあ。。。などと、これも想像の域を出ないが考えています。
※クサナギ・スイトは「ナ・バ・テア」と「ダウン・ツ・ヘブン」の主人公でこのシリーズの中心人物。
※クリタ・ジンロウは「フラッタ・リンツ・ライフ」の主人公

キルドレについて著者の森博嗣は、人工授精やDNA操作による所謂クローンではないと言っている。人工生命的なものではないだろう。

舞台となる国は不明です。
時代も不明。

そもそも現実世界ではない。我々の知る現代の世界より高度な革新的な技術は出てこない。第二次大戦以降のもう一つの並行世界と考える事はできる。
戦闘機がレシプロ機でジェット機ではない事や、公衆電話が登場したりするので、技術的には一昔前のような雰囲気は漂っている。
それと、日本ではないように思います。
現存する国を当てはめる事はできないと思いますが、雰囲気はアメリカ南部とヨーロッパの何処かを足して二で割ったような雰囲気はあります。

この世界で最新の戦闘機が、機体の最後部にプロペラがあるプッシャ式と呼ばれる飛行機で、これは旧帝国海軍の試作機 局地戦闘機 震電 を彷彿とさせる。


この機体の名前が「散香」(サンカ)という名称で、他にも機体が出てくるが、クサナギ・スイトがこの機体で戦果を挙げ、実績を作っていく事で、戦闘機はこのサンカに更新されていく。
この機体でキルドレたちが大空を駆け巡るわけですが、彼らがどうしても超えられない最強の戦闘機乗りが「ティーチャ」と呼ばれるパイロットだ。
ティーチャは愛称かコードネームかもしれないが、彼は大人の男。つまりキルドレではない。
クサナギ・スイトにとって彼は恩師であり、思慕の対象でもあり、ライバルでもある。
ティーチャの愛機はトラクタタイプと呼ばれる、操縦席の前に大型のV型エンジンを搭載した飛行機。
恐らくP-51ムスタングか、Bf109メッサーシュミットあたりがモデルかもしれない。
私が読書中に脳内にイメージしている機体はムスタングだ。

この小説は一人称小説なので、所謂「神の視点」による説明的な記述は一切ない。物語の進行に合わせて自然と様々な事が明らかにされていく。
不要な記述が無い為説明不足と言われかねないくらいだが、その分読者の想像を掻き立てる作品である。
読者に理解してもらおうなどという不純(?)なものを排した、ストイックな作品と言える。

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