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トイレのモップ一つでさえ換えられない、完成された社畜たち

トイレ掃除をしようと思ってモップを手に取ったら、金具が破損して先端がスルリと落ちた。

ああ、うちの会社はどこまでも社畜の巣なのだと、朝から絶望してしまう。



1年くらい前に、トイレ掃除のルールが変わった。

僕は金融機関の本部に勤務しており、役職は課長となっている。

それまで、本部のトイレ掃除は課長級未満の社員の仕事となっており、順番に掃除をしていた。それが途中から課長級以下が掃除をすることになり、僕にも掃除当番が回ってくるようになったのだ。

そもそも、トイレ掃除は嫌いじゃない。本部に来る前は営業店で支店長をしていたが、男子トイレの掃除は僕がやっていた。朝は部下たちは忙しいから、一番時間がある僕がやるのが合理的だと思ったし、正直部下たちの掃除のクオリティが我慢ならなかったと言うのもある。

順番が回ってきて、最初に掃除を行うとき、思わず絶句した。

モップの先(モップ糸と言うらしい)がボロボロで使い物にならない状態だったのだ。

モップ役割は吸水だが、あまりに摩耗しすぎていてほとんど水を吸わなくなっていた。いったいいつから使っているのか見当すらつかない。

「こんなになるまで使っているのか……。節約というかなんというか……」

違和感に包まれたまま、掃除を完遂した。


そして数日が経過し、また僕に当番が回ってきた。モップ糸はそのままである。

やれやれと思いながらモップを持ち上げると、金具が腐って外れてしまった。モップ糸は全く固定されておらず、そのまま落ちてしまった。

これでは掃除にならないから、直そうと試みる。しかし、もう錆びて腐っているため修復は不可能だ。

これは、僕の前の人、更にその前の当番から壊れていたに違いない。

当番だった彼らは、この状態をスルーしていたのだ。

彼らは、決して若い社員じゃない。40歳をゆうに超えたベテラン共だ。

そんなベテランなのに、自発的に現状を改善しようとはしなかった。


そこにあるのは、自分さえ良ければいいという無責任な考えではない。

自己決定することに怯え続けてきた、哀れな社畜の矮小な精神だ。


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人は、日々自己決定をして生きている。

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