人生で諦めたモノたちは、最後にあなたを呪いに来る
アラフィフになると色々痛感するのもがある。
体力の衰えや、記憶能力の低下などだ。
10年以上前に、僕の父親がよく娘たちの名前を間違えていた。その度に娘たちはプリプリと怒っていたし、僕も「やれやれ」と感じていた。これが老いか、と。
なんてことはない、僕もしっかりと間違えるようになってしまった。
間違えるというよりは、つい間違った名前が出てくる、そんな感じだ。
先日なんか次女を呼ぶ時に猫の名前が出てきてしまった。流石に次女はキレていた。
老化により失うものがある。
それは主に体力や脳に起因するものだ。それらは掬い上げた砂漠の砂のように、サラサラと指の間をすり抜けていく。
そして、それらは戻ることはない。
でも、失ってきたものはそれだけではないはずだ。
僕らが失ってきた、最も大きなもの。
自分に感じていた、可能性の数々。
確かにこぼれていったそれらは、いったいどこに行ってしまったのだろうか?
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人間の成長というのは、可能性を限定していく歩みそのものだ。
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