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徒然なるままに〜Mr.Children



今回は、私の愛してやまないMr.Childrenについて、彼らの音楽との出会いから今日までを思いつくままに綴っていきたいと思います。

音楽の専門知識は兼ね備えておりませんので、あくまで本能的且つ、感情的且つ、個人的な意見となっていることはご了承ください。

あと、私のミスチル歴の備忘録のようなものなので「この曲のこの歌詞がこう!」といった考察も一切ございません。
それから、もちろんオチもございません。(断言)
拙い文章ながら、Mr.Childrenの魅力が少しでも伝わるといいなという気持ちから筆を取ります。



まずは、私がMr.Childrenの曲に出会った時のこと、のめり込むきっかけについて書きたいと思います。




Mr.Childrenがメジャーデビューした1992年。
その頃の私は、まだ物心付くか付かないかの年頃で、一番耳にして口ずさんでいた歌といえば、
【ムーンナイト伝説】と【乙女のポリシー】でした。(アニメ第一世代)
そこからすくすく成長し、私が初めてMr.Childrenの曲を認識したのは、小学生の頃。
それは、ドラマ "きらきらひかる" の主題歌に起用された【ニシエヒガシエ】でした。


鈴木京香さんの「天野、行くわよ」の後ろで流れる【ニシエヒガシエ】
……カッコイイ!

"むぁたきみんなかのぉーじょしきがゆるぁーいでるぅーふんーっ"
……カッコイイ!


「月山!」
……カッコイイ!(これは鈴木京香さんが)



気がつけば、星座の瞬き数え恋の行方を占っていたはずの私が、磔の刑になったって明日に向かって生きていく大人になっていました。
(言いたいだけ)

ドラマが面白かったというのもありますが、やはりあのイントロからして、本能的に「かっこよくて好き!」となったことを今でも覚えています。


とはいえ、まだまだ駄菓子が世界一美味しい食べ物だと思っていたあの頃の私には "駄菓子を買うお金を貯めてCDを買う" なんて選択肢はなく、駄菓子と共に時は過ぎていきました。



そして、2001年、
Mr.Children初のベストアルバム
【Mr.Children1992〜1995】
【Mr.Children1996〜2000】
通称・【骨】と【肉】がリリースされます。


この頃には中学に上がり、ひたすら部活に励んでいたのですが、たまたま友人の姉から、このアルバムを貸してもらい、そこであの【ニシエヒガシエ】との再会を果たします。
さらに、まだ私が月の女王と共に、セーラーマーキュリー(推し)として妖魔と戦っていた頃にリリースされていた曲たちにも出会いました。


ボーカル桜井さんの声と、歌詞、メロディー、バンドメンバーの演奏、そしてもちろんビジュアル。
全てが思春期のわたしにバチコーンッ!と合致し、一気にMr.Childrenの虜になりました。


もう本当に説明できません。すみません。
何がどうして大好きになったのか分からないけど、その友人の姉のCDに付いてる歌詞カードをボロッボロにしてしまうほどに聴き込んでいきました。


結局、部活に明け暮れていたおかげで溜まっていたお小遣いをはたいて、そのアルバム2枚を購入。ボロボロにしてしまった友人の姉の歌詞カードは、責任を持って交換させてもらいました。

そこから、ひたすら過去のアルバムをレンタルしてはMDに録音する日々。
【深海】【Q】を聴く頃にはもう立派なミスチルファンに仕上がっておりました。


その頃は、主題歌・挿入歌が全てMr.Childrenの楽曲というあの伝説の某ドラマもあったり、音楽番組にもたくさん出演されていて、今思うと本当に贅沢だったなーと思います。



そして、ここからが若くしてミスチルファンになった者の宿命と言いますか、高い壁が立ちはだかります。
それは、ファンクラブに加入できない問題です。
そりゃそうです。わたしはまだ中学生です。
日々勉学に励み、放課後は鬼顧問の下でバレーボールを追いかける日々です。


一度親に、ファンクラブに入りたいと話してみたことがありますが、もちろん秒で却下。
さらに、わたしの実家は超アナログ家庭だったので、家にパソコンもなく、Mr.Childrenの情報はテレビと、音楽雑誌のみから吸い上げていました。

音楽雑誌は、さまざまな本屋に通い、音楽誌コーナーでひたすらにMr.Childrenの文字を探すというアナログぶり!そんなことをしていた若かりし頃の自分が愛おしく思えます。よくがんばったね。そんな風に買い集めたのがこちらの雑誌たち。
(数冊、大人になってから買ったものもあります)



これは一部ですが、今思うとすごい人との対談だったり、こんなにもメディア露出していた時代があったことが贅沢だったなぁと、しみじみしてしまいます。
(最近はまた露出が増えてきて嬉しい限りです)


ちなみに、こちらの貴重な音楽雑誌はのちに、母の手によって "廃品回収" という名の闇に葬り去られてしまいました。
少し話が逸れますが、今でもはっきりと覚えているその時の母との電話でのやり取りをどうぞ↓


私「こないだ帰った時にまとめてた雑誌あるやん?あれ送ってほしいねんけど」


母「え?あのまとめてたやつ?」


私「そう、ミスチルのやつ」


母「あれやったら、ほかしたで?」


私「え?……ほかした?……え!?」


母「まとめてあったからほかすやつと思て」


私「え!?まって、え!?ほんまに言うてる?」


母「あかんかったん?いやーん、ほかしたわ」


私「え、ほんまに言うてる?(二回目)」


母「うん、ほかしてええんや思って。いやーん、ごめん!」


私「うせやん!え、あのまとめてるやつやで?え、まって、ほかしたってどれを?」


母「みな!(全部)」 



あとはしばらく私の「ほんまに言うてる?」が無限に続くだけなので省略します。

写真だけでも撮っててよかった。
大事なやつは本棚にしまっておいてよかった。
別冊カドカワを嫁入り道具に紛らせておいてよかった。
あと、母の中で、"雑誌" じゃなくて "本" と判断したものは一応避けてくれたらしい。
そう前向きに考えよう。
でもやっぱり、月一で思い出してはめそめそしてます。



さて、話を戻します!笑
そんな風にMr.Childrenを追いかけた日々から気付けば、私も高校生に。
高校では一年間、英語圏に留学していたのですが、ホームステイ先のホストファミリーが21時就寝の家庭だったため、毎晩21時から約2時間、日本から持参したMr.Childrenの曲をMDウォークマンで聴いて過ごしました。
最新情報は、兄から送られてくるMDと月1〜2回の日本の家族との電話で仕入れました。


余談ですが、Mr.Childrenの数多ある名曲の中でも私は【NOT FOUND】が大好きで、桜井さんのブレス聴きたさに、歌い出しを耳の限界まで爆音にし、ドラムが入ってくるあたりで耳がちぎれそうになりながら音を下げる、そんな体を張った聴き方をしていました。
きっとそんな人、ミスチル好きもとい、NOT FOUND好きには多いのではないでしょうか?(同志求む)


そして、高校を卒業し大学生になった私は、アルバイトを初めてからMr.Childrenのファン活動に少し融通が効くようになってきたのですが、この頃からMr.Childrenのメディア露出は減っていきます。
少し残念な気持ちと、当時のオリコンチャートのなんやかんやや、メンバーの気持ちを考えると致し方ない気持ちでした。
それに、メディア露出がなくとも、いつの日もこの胸に流れてるメロディーのお陰で、日々を踏ん張れていたので、何も問題なしでした。

ただ、そうなるとやはり、ライブに行きたい気持ちが大きくなるばかりです。
この時も私はまだファンクラブには入会しておりませんでした。
そんな時に、とある出会いがありました。


友人の友人が、Mr.Childrenの大ファンで、学生ながらファンクラブにも加入しているではありませんか!!!
これまで周りに一人も自分と同じ熱量の(←ここが大事)Mr.Childrenファンがいなかった私にとって、まさに運命の出会いでした。


そして、その友人のおかげで、ついに私はMr.Childrenのライブに初めて参加することができました。
死ぬまでにMr.Childrenのライブに行けますように、、それは常に願っていたことで、その願いが、この出会いをきっかけに急加速で叶ったのです。


そのライブは、終末のコンフィデンスソングス。大阪城ホールでのあの景色、忘れもしません。
本当にMr.Childrenは存在していて、ずーっと聴き続けたあの曲も、あの曲も、Mr.Childrenの4人から放たれた瞬間に私の耳へと直接届く。
幻だと思っていたそんな世界が、目の前に広がっていました。


そこから、続け様に
supermarket fantasy
SENSE in the field
と、参加することができました。
毎回チケットを取ってくれた友人には本当に感謝してもしきれません。


その後、社会人となった私は仕事に忙殺される日々と、さらには家族の闘病なども重なって、Mr.Childrenを追いかけることが後回しとなりました。
それでも、通勤電車の中、布団に入り眠りにつくまでの30分、いつの日もやはりこの胸にはMr.Childrenのメロディーが流れていて、桜井さんの歌詞には力をもらっていました。


特に、【名もなき詩】のカップリング曲【また会えるかな】の


"職場にて疲れ切った体を
      僕がそばにいて抱きしめたいな〜"


は、エンドレスリピートです。
疲れ切ったOLに、染みます。



そんなバタバタな期間が数年続き、家族の闘病は一旦終わりを迎えた頃、結婚を機に退職。
主婦の傍らパートに落ち着いた私は、ようやくファンクラブに入会しました。


記念すべきデビュー25周年のThanksgiving25には、自力でチケットを入手し、夫と参加することができました。
中学生の頃からの "将来は旦那さんとMr.ChildrenのライブでSimpleを聴く" という密かな夢まで叶って、これまた忘れられないライブとなりました。
※ただし、夫はミスチル興味なしのB'z好き
その後、Against All Gravityにも夫婦で参加しました。



それから二年が経ち、私たち夫婦に訪れた、
B'z presents UNITE # 01 のお知らせ。
Mr.Childrenが参加するライブは、地元・大阪で開催とのこと。
二人で大喜びしたのも束の間……当たるわけないよな、と半ば運試し、宝くじを買う感覚でエントリーしたところ、まさかのミスチルFC枠で当選。



このご時世でのライブ、賛否あると思います。
チケットの当選報告を見る限り、大阪在住が優先されている?なんて話もあったりなかったり、、
わたしも、開催が大阪でなければ、このご時世エントリーすらしてなかったと思います。


何が正解なんて、誰にもわからないことですが、私たち夫婦は全ての条件が揃った上で、奇跡的にチケットを手にすることが叶いました。
この記念すべき歴史的ライブ、安全に健康に参加する予定です。
そして、ライブが有観客という形で成功を収め、来たる来年のMr.Children30周年を無事に迎えられることを心から願っております。



さて、話が逸れたり、余談が挟まったりと、かなり長くなってしまいましたが、私史上で起きたMr.Childrenとの出会いはざっくりと、こんな感じです。
きっとファンの方々一人一人に歴史があるんだろうなぁ……と、それを想像するだけで、胸がじんわり温かくなる。
30周年を目前としたバンドにはそんな不思議な力がありますね。


それぞれの思い出と共に、30周年を健康一番で迎えられますように。


最後までお付き合いいただきありがとうございます!




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