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過去のこの日~イリュージョニスト鑑賞

去年の今日、Facebookに投稿した記事。「1年前の思い出」として出てきました。あれから一年か・・。環境はどんどん変化し、春馬君に向かう気持ちも変わっていることは否めない。でも、こうして過去の記録を見ると、その情景や心持ちがありありと思いだされます。それは切ない。けれども豊か。そんな思い出があること自体、有難いとも思うのです。

2021年1月29日のFacebook (写真も当時のもの)
ミュージカルを見に来ました。コロナの影響でコンサートバージョンに変わりましたが、ミュージカルでしょ?と思うクオリティ。素晴らしかった!!涙が勝手に出ます。スタンディングオペレーション。ほんとの千秋楽、夜の部も見た〜いですが、そういうわけにもいかず。ホテルのラウンジでお茶をして余韻を味わってます。

とても深く心を動かされて、その思いを表出したくて、Facebookに投稿したのだけど、私がつながっている方たちにはあまり興味のない話題だったようで反応が薄かった。コロナの勢いがすごい時期に観劇していることで、ヒンシュクを買ったかもな、とか、少し複雑な気持ちになった投稿でした。

その翌日、自分のスマホのメモに残した記録があるので、これをこの機に載せてみようと思います。

2021年1月30日のメモ
さて、話は変わって、29日に行ったミュージカルのことを書こうと思う。日生劇場にイリュージョンニストを見に行った。春馬くんが主演する予定だったものだ。主演は海宝直人さんに変わり、コンサートバージョンになっての演奏だった。コロナ対策が物々しい。席は満席ではなかった。前から6列目中央からやや右側。ステージの中がとてもよく見える。演者がとても身近に見える。そういう席だった。寝不足だったので、所々眠気が襲ったけれども、一貫してとても集中して見れたと思う。未知のストーリーだから、歌詞をすごく気にしながら聞いて、全てわかったと思えなかったけれども、どうなるんだろうって思いながら楽しんでみた。最後のどんでん返しがこのミュージカルの面白さだ。面白いミュージカルだと思う。何が本当で何が嘘か、そういうテーマもあるんだなっていうのがわかった。結構深いかも。演出の方法を見て、舞台って面白いなと思った。最後は、自然と涙が出た。そしてスタンディングベレーション。行けて良かったと思う。オーケストラの生演奏。音楽が素晴らしかった。特に皇太子役(成河さん)と、興行師役(濱田めぐみさん)の歌が上手いなぁと思った。主役の海宝さんも声量がすごくて歌がうまいけれども、どうしても春馬くんだったら…と置き換えて聞いてしまう。多分春馬くんだったら、歌い方にもっとツヤと、舞台全体をグッと惹きつける求心力というか華があったんだろうなぁと思って、それが彼のすごいところだったんだろうって、それがわかった。海宝さんのアイゼンハイムは、素晴らしいんだけれどもほんとに少しいまひとつ足りないなって思ったのは事実かな。これはファンの贔屓目で申し訳ないんだけど。山月記で「どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがある」って言っているあの感覚。そういう意味で春馬くんの舞台って素晴らしかったんだろうなーって想像できた。改めて惜しいなぁと思う。そして、主役って他のキャストと全然違う位置づけなんだっていうのがすごくよくわかった。海宝さんは、春馬君に置き換えてみる人が多いであろうと言う状況を十分にわかっていながら主役を引き受けて、これだけのクオリティーでやったんだから。すごいことではあると思う。すごいプレッシャーだよね。でも世界初演のこの素晴らしいミュージカルの主演を張ったと言うのはとても大きなキャリアだ。春馬くんはそれができたのにね…。見る側も演じる側も複雑な、特別なミュージカルになったと思う。ミュージカル自体が素晴らしいので、これの完全版ができたら絶対見に行きたいなと思った。こんなふうに掻き立てられる作品見ていきたいと思う。そういう意味で春馬くんが選んできたミュージカルってすごいなぁって思う。ところで、今朝、あの舞台で白いシャツに黒パンツで春馬くんが演じている姿を想像することができた。やっぱりすごく艶っぽく艶っぽいアイゼンハイムだった。素敵。一瞬想像できて良かったと思う。だから書いておく。

「すごい」以外の表現を使えるようになろうよー、と言いたくなる記録だけど、この舞台を見て感情が揺さぶられたことは、とてもよく伝わってきた。舞台「イリュージョニスト」のすばらしさも。いつの日か、どこかで、この舞台の完全場を観る機会はきっとくるだろう。その日を楽しみに、自分の感受性を豊かにしておきたいな、と思う。

最後に、2021年の春馬くんのお誕生日の頃の、イリュージニストの訳詞を手掛けた市川洋二郎氏のツイートを紹介します。これを見たとき、ぐさり、と来ました。でも、その後に続く、アイゼンハイムが歌う最後の歌の歌詞の背景とともに、忘れたくない、そのまま素通りしたくない言葉でした。手帳に手書きで写しました。書きながら味わい、刻み付け、そして時々眺めています。悲しくて、悲しくて、でも?、だから?より強く春馬君の姿が刻み付けられます。飛んで行ったその先の方、遠くかなたに目が向けられる思いがします。



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