言語化の限界
noteでこんな内容を書くのは違うかもしれないけど…
言葉で何か発信することには限界があると思う。
本が嫌いな私がある人に勧められてある自己啓発本を読んだ。
感じ方はそれぞれだと思うが私がこういった部類の本が嫌いなのは
「こうしなければならない !」
「この本の通りにすることが正しい」
と著者の思いと反する理解をする人が読み手で居るからだ。
そういう人は素直なのかもしれないが…著者がどんだけ語学に優れていても読み手の感情までは左右できないし
著者が本当に伝えたい思いが伝わっているかは怪しい。
だからこそ伝えるときにどの言葉をチョイスするか大事になるし
逆に自分の思いを出し切りたいなら言葉を選ばないほうが良いのかもしれない。
私がこのnoteを日々書いていて思うのは、書きながら自分の思いや考えを整理しているということ。
実行できているかわからないが、自分の考えを押し付けないこと。
発信するのに言語は必要だか、言語に左右され誰かの発言に一喜一憂しないような強さを持ちたいと常に思っている。
言うのは簡単だけど難しいんだよね…
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