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【小説】連綿と続け No.61

五箇山支所への異動が近づく。
担当していた井波地区は
同期の高岡が引き継ぐため、
高岡とともに地区の人達に挨拶回りを始めた。

瑞泉寺の和尚にもご挨拶に伺う。

好物である水羊羹を手渡し、
侑芽が五箇山に異動になったことを報告した。
すると和尚は朗らかに話しだした。

和尚)そうけ。役所勤めいうんも大変やのう。けど最初にここに来た時よりも、2人とも自信がついた顔しとる。頑張っとるんやなぁ

侑芽)そうでしょうか。まだまだわからない事だらけで自信なんて……

高岡)あぁ、違いますよ。この人は恋にうつつを抜かしてますんで、そういう意味では変わったかもしれませんね?

嫌味っぽく侑芽を睨む高岡。

侑芽)ちょっと、やめてよぉ!

和尚)ほぉ、恋け。そらぁしないよりした方がええちゃ

高岡)え?でも仕事始めたばっかりですよ?私は仕事を覚える事が先だと思っているので、恋愛なんて二の次三の次です!

侑芽)ごもっともだけど……

和尚)なん!そう言わんと。高岡さんもご縁があったら遠慮せんで恋をしられ

高岡)どうしてですか?

和尚)恋愛っちゅーんは、喜びだけやのうて、痛みや孤独も知ることができる。自分の弱さや愚かさも知る事ができる。そうすると、心の視野が広がるんや。やさかい、ご縁があったら頑固にならんと挑んでみられま

そう言って笑う和尚。
高岡も珍しく素直に聞き入れた。

高岡)それは……そうかもしれませんね

そして初めて来た時に案内された堂内を
もう一度見学した。

前に来た時は
井波彫刻の事を何も知らずに訪れたから、
ただただ流し見していた彫刻の数々を、
あらためてじっくりと見ている。

航が仕事をしている姿を思い出して、
この作品はどれくらいの時間をかけて
職人達が彫ったのだろうと考えながら眺めた。

すると和尚が勅使門(式台門)に彫られている
『獅子の子落とし』の彫刻の前で立ち止まった。

和尚)この彫刻は、親獅子が深い谷に子を落として、断崖から這い上がろうとする我が子を陰から厳しく見守る姿を彫ったもんやちゃ

高岡と侑芽は頷きながら耳を傾け、
門に彫られた彫刻を見つめる。

和尚)つまり、わざと我が子に苦難の道を歩ませて、その器量を試しとるんやなぁ

和尚は優しい眼差しで
2人にその由来を話して聞かせた。

高岡)うちらも今、神様や仏様に器量を試されてるのかな

侑芽)確かに。今まさに深い谷に突き落とされたのかもしれない……

そう呟くと
和尚はワハハと大きな声で笑った。

和尚)そうけ。ほんなら這い上がって来っしゃい!這い上がれる力があるもんにしか、神も仏もそんな試練は与えんちゃ!

和尚からありがたい話を聞き、
寺を後にした2人は役所に戻った。

侑芽は異動の準備などで明日から数日休みになる。
だから自分のデスク周りを片付けていた。
すると高岡がぶつぶつ言いながら
侑芽の周りをうろつく。

高岡)まぁさ、五箇山っつっても同じ市内だし。免許もとったし。たまには遊びに行ってやってもいいけど?

侑芽)ありがとう。私、向こうに知り合いいないから、これからも宜しくね!

高岡)まぁ、あの頭固そうな彼氏がいるから寂しくはないだろうけど。仕事の事は私の方がわかるから愚痴くらい聞いてあげるわよ

侑芽)じゃあさ、運転の練習しに五箇山にも来てね?

高岡)まぁ正直せいせいしてるけどね?

侑芽)またそんなこと言って〜。本当は寂しいんでしょ?同期がいなくなって

高岡)はぁ?寂しいとか1ミリも思ってないから!それにあんたみたいな東京の奥地から出てきたくせに都会人ぶってる女が大嫌いなの!その点私はさぁ、江戸川越しに東京23区と隣合った“ほぼ東京”の市川で生まれ育った正真正銘の都会人だからね?

侑芽)ほぼ、東京?……

また高岡の負けず嫌いと
地元コンプレックスが爆発している。
と侑芽は思いながらも、
最初の頃のような嫌悪感は感じていない。
むしろこの不毛な争いに楽しさも感じている。

高岡)だからね、あんたみたいに田舎者同士でくっついて片付くみたいな、そんなダサいことはできないわけ。いつか必ず、都会の男と出会って大恋愛してやるんだから!覚えてなさい!

よくわからない宣言をされた侑芽は、
笑いながら相槌をうち、片付けを進めた。

侑芽)まぁ、お互い頑張ろうね!

高岡)はぁ?頑張るとか当然だし!

この日は侑芽の誕生日で
航と約束があり、
終業とともに足早に帰って行った。

侑芽が帰った後、
高岡も帰宅をしようと役所を出る。
すると高岡に声をかけてくる人物がいる。

「ねぇ、確かあんた、一ノ瀬侑芽さんの同僚よねぇ?」

高岡)は?そうですけど……あんた誰?

「別に誰だってええやろ?そんな事より、あの子、転勤かなんかになった?それともクビ?」

不敵な笑みを浮かべるその女に、
高岡は女の勘が働き、瞬時に臨戦態勢に入った。

高岡)あのねぇ、人に物を聞く時はまずは名乗りなさいよ!

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