拿鐵ってめっちゃ鉄っぽいイメージよね。
※拿鐵の日本語はラテ、です。なんでほんわかしたイメージのラテに鉄編の字を当ててしまったのか、、すみません、以下本題に入ります。
ジジェク、74歳なんですね…!てっきり50代だと思っていました。そうなんや。
さて、彼のインタビューは「ジョージのチャンネル」さんという方が日本語字幕を付けてアップしてくださっています。
開始1分後から見るとスムーズに理解できます。要点は、
1:00「○○でないものが否定する○○こそが重要」
ここです。
「○○がない」という表現が逆に「○○」の存在を際立たせている、ということを彼は言いたいんですよね。「ミルクなしコーヒー」と言う(書く)ことによって「ミルク」の存在が際立つんです。
そのうえで、同じブラックコーヒーだとしても、「クリーム抜きコーヒー」と言うか「ミルク抜きコーヒー」と言うかによって、同じものなのに与えられるイデオロギー(ミルクorクリーム)は異なるのだ、、と。
ところで私はこれを「別に~しなくてもいいよ」が実は「~してね」を意味する日本人お得意の用法だなあと思ってしまいました。
A「私がおごるよ」
B「おごらなくていいよ、私が!」…Aはおごらない
A「いやいや」…Bはおごらない
B「いやいやいや」…Aはおごらない’
×n
要点1.「おごらなくていいよ」といいながら、実は「おごってね」と期待している
要点2.「おごらない」という言葉を口に出すことで、「おごる」ことのイデオロギーを増大させている
↓
ジジェクが言っているのは要点2
だが、要点1が足されることで、A、Bがお互いにかける「おごらなくていいよ」という言葉における「おごる」ことのイデオロギーが余計に増大してしまう、、、と。
このお決まりのターンを繰り返せば繰り返すほど、日本人が言う「引くに引けない」状況になるんでしょうね。
ちなみに吉本新喜劇のドリルすんのかせんのかもこれですね(笑)(本当ギャグの分析とかしたくないし楽しく笑っていたい派なんですが)
ターンを繰り返すほど切羽詰まってきて、最後、すんのかい…で終わるからみんなすっきりする。
話をジジェクに戻すと、彼はラカン精神分析の流れから言っていることが時に難解ですが、一方映画やサブカルチャーを引用したり、一般人でも理解できるような柔らかい説明をしていたり、します。哲学にちょっと興味がある人には個人的にお勧めしたい人です。
本で言えば、こんなのがあります。
こちらはラカン理論やジジェク自身の理論に触れられる入門書です。
某大学の某ゼミに数回潜らせていただいた際、皆で読みました。やたらめったら映画が引用されていて、そんなに映画を観ない私にとっては「映画の本!」というイメージになってしまった、、、泣
ご興味のある方はぜひ!
追記:私は哲学が大好きで、考えることも大好きですが、どうしても哲学×思考×ストレスが合わさると病んでしまうみたいなので、めーちゃくちゃ我慢して距離を取りながら少しずつ学んでいる立場です。
いつか思いっきり哲学や精神分析、社会学、倫理学などなど研究できたらいいなあ、、、あとドイツ語もできたらいいなあ、、、というのが私の願いです。
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