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【日記・エッセイ】東京の街を闊歩しながら考えたこと

こんにちは。長尾早苗です。

理解も共感もされにくい体です……
体調が悪かったので、ひきこもっていてはきちんと睡眠をとれる体(成長ホルモンとセロトニンのバランスがとれているかどうか)になっていなかったので、東京に出てみました。


翻訳できないわたしの言葉展

日本語がおかしい。
職場に勤めて言われたことです。わたしの育てられ方はまず英語だったし、でもバイリンガルでもない。英語を話せない。
では日本語ってなんなのだろう。
わたしが理解される言語とはなんなのだろう。

そういうことを考えながら清澄白河まで行ってきました。
GWの東京メトロは家族連れで混雑していたけれど、渋谷を抜けてしまえば朝はあまり混んでいませんでした。

MOTのスポット。
快晴でした。

理解も共感もされない世界がそこには広がっていました。
自分の言語を作った文化、アイデンティティ、
誰にも理解されないことを前提に彼ら彼女たちは言語にしていました。
言語は「ことば」だけではありません。
表情、文字、発音、体のすべてが「ことば」です。
感じられることのすべてで「ことば」を語ることができます。
差別・被差別などもあり、何もいいませんが
感じられることが「ことば」だということがわかりました。

この展覧会を知ったのはラジオでした。
BOOK READING CLUBという番組を日々聞いているのですが、
ここで紹介されていた展示です。
渋谷のラジオの番組なので、帰りがけに渋谷のラジオのヒカリエスタジオまで行ってみました。

MOTのミュージアムショップで買った
多和田葉子さんの『地球にちりばめられて』。
とてもよい作品でした。

この日は本を読むための道のりだったので、できるだけ座っていける時間帯を選びました。
どこでもけんかはおきるねえ。
どこを予約しておくとか、何をするかとか。お父さんお母さん、子どもさん、毎日お疲れ様です……。

多宇加世さんの『さびていしょうるの喃語』(私家版)。
多宇さんの自己紹介のような詩集です。
結構なボリューム。

つべこべ言わずにまずは動くこと

わたしが昔から持っている考え方の一つに、考える前にやってみようというものがあります。

考える時間があったら動きながら考える。とりあえず外に出てみる。とりあえず人に会ってみる。
人に会えなかったらとりあえず勉強をする。
勉強を極める。
もともと研究者を目指していたので、どれだけ本を読んで書誌情報を書き出し、誰かに紹介して自分の考えをまとめることまでが仕事だと大学時代に学びました。
でも、研究者にはなれなかったし、ならなかった。
今ではその方が正しい判断だったと思います。
わたしの言語は理解されない。
それはわたしの言語が日本語話者なのに常に「詩的言語」であるからです。

わたしの紹介も説明も、第一詩集『聖者の行進』でしてしまったので、もう自分の紹介は飽きてしまいました。
だからこそ、第二詩集『フレア』でほかのひとになりました。
自分が自分でいることに嫌になったとき、わたしは動いて詩を書きます。
それは自分の文学を「復興させる」ということではなく、もっと違うことばがあるように思う。
自分を作った文化・言語・性別・国というものがとてもそれにはかかわってくるように思います。

説明することが下手だからこそ、わたしは誰よりも動く。
誰よりも働きたいと願う。

だから、詩を書く。

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