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【小説】お正月と姫始め

「んー…」

窓から溢れる日の光と、ふんわり香る出汁の匂いに促され、藤次は思い瞼を開ける。

「…うわ。もう昼近いやん。久しぶりやな。こんなに寝たの…」

時計を見て1人呟き、ベッド下に脱ぎ捨てていた下着と寝巻きを羽織って、欠伸をしながら階下に降りると、整理整頓された室内に置かれた炬燵の上には、綺麗に詰められた御節の重箱と、ボーナスで奮発して買った日本酒の瓶が待ち構えていて、藤次は目を丸くする。

「あら。丁度今声掛けようとしていた時なんですよ?あけましておめでとう御座います。藤次さん。」

そう言って台所からエプロンを取ってやってきたのは、髪を丁寧に結い、顔には綺麗に化粧を施した、着物姿が艶やかな妻…絢音。

ポカンと見惚れていると、彼女は不思議そうに小首を傾げる。

「なに?食べる前に朝風呂入る?沸いてるわよ?」

「いや…その…うん…」

「そ。ならこれ、新しい下着と部屋着。冬至の時の柚子が余ってたから、柚子湯にしちゃった。ゆっくりしてきてね。」

「ああ…うん…」

差し出されたシワひとつない衣服を手に取り、藤次は風呂場へいくと、柚子の爽やかな香りが出迎える。

身体を洗い、湯船に浸かって、白んだ天井を見つめながらポツリと呟く。

「ワシホンマに…結婚したんやな…」

例年…絢音と出会う前は、正月と言えば寝正月か、真っ昼間から自宅で独り酒に興じるか、同性の若い独身検事や事務官を呼んで、猥談を肴に深夜まで飲み明かすかのどれかだったが、去年の春に絢音と結婚して、今年が最初の正月。

パァッと、花が咲いたような華やかな正月の空気に戸惑いながらも、藤次は頬を緩める。

「幸せやな…」

「あー…エエ湯やった。ちょっとのぼせたかな。冷やで一杯やりたい。」

「そう言うと思って、お酒…少し冷やしておきましたよ?はい、どうぞ。」

「ん。」

徳利から絢音に酌をしてもらい、猪口でグイッと呷ると、冷えたアルコールが空きっ腹に染み、自然と何かつまみたくなる。

「御節も美味そうやな。どこで頼んだんや?やっぱり巽屋か?」

その問いに、絢音は僅かに頬を染め、照れ臭そうに呟く。

「料理教室で習ったのと、本を見ながら、一から作ってみたの。初めてだから、口に合えば良いんだけど…」

「えっ!?ほんならこれ…みんな1人でしたんか?」

「うん。毎日の家事の合間にちょっとずつ。結構手間だったけど、藤次さんの喜ぶ顔見たくて…」

はにかむ彼女が可愛いのと、目の前の…プロ顔負けの料理に呆然としながらも、藤次は好物の黒豆を摘み、口に運ぶ。

「うわっ……美味い……」

出汁と甘味の絶妙なバランスがツボで、自然と箸が進み、次々と食べ進める。

「あかん…出汁巻きも田作りもなますも昆布巻きも、めっちゃ美味い!!参ったな!酒も進んでまう!!」

「良かった…お口にあったみたいで…」

言って、絢音はこたつから立ち上がり、台所に向かう。

「お雑煮もあるんだけど…京風は初めて作ったから、お節程美味しくないかもしれないけど…」

言って絢音が持って来たのは、白味噌仕立てのお雑煮。

京都府で正月に食べられる雑煮は、丸餅と頭芋(かしらいも:里芋の親芋のこと)、大根、そしてブランド京野菜の「金時人参」を入れることもある「白味噌仕立ての雑煮」である。
丸餅は円満と長寿を願い、頭芋は子孫繁栄・立身出世、大根は、丸く切れば円満を意味し、亀甲型に切れば長寿を意味する。金時人参はそのあざやかな赤色から魔除けのために入れられることがある。

「うわっ!ワシ、正月料理でこれがいっとお好きやねん!!初めてて…お前のとこは違うんか?」

「うん。瀬戸内…広島はすまし汁にブリや牡蠣を入れてた。」

「へぇ…それも美味そうやな。無理やったらエエけど、明日作ってみて?お前の家の味、食べてみたい。」

「うん…」

頷く絢音を一瞥して、出された雑煮を口に運ぶと、これもまた上手く、あっという間に平らげて、藤次は絢音に笑いかける。

「こんなん美味い料理で迎える正月やなんて初めてやわ。おおきに。ご馳走さん。」

「良かった…私に出来ることなんて、これくらいしかないから…」

「そんなん…せや!近くの神社、初詣行こ!!大きい所は殺人的な人混みやけど、あそこなら…そんな人おらへんやろし、折角おめかししとんや。出かけたいやろ?」

「い、良いわよ別に!折角のお休みでしょ?ゆっくりしましょう?そうだ!マッサージの本も読んだの!試しに八百屋の善吉さんにやってあげたら気持ちいいって!だから、早速やってあげる!」

「ええてええて。そない気ぃ使いなや。早速着替えるさかい、ちょお待っとってや。」

「でも…」

ええからと、何か言いたげな絢音を残して、藤次は2階に上がって服を着替えると、彼女の手を引き、歩いて程近い「花藤神社」へ向かった。

藤次の思惑通り、元旦にも関わらず比較的人も少なくて、すんなり本殿へと向かえた。

お賽銭を入れて、お鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼して願いを捧げる。

藤次の願いは勿論…絢音の健やかな健康と、夫婦円満。

2人で静かに倹しく暮らせれば、何もいらない。

そう思い目を開け横を見やると、何やら真剣な表情で祈りを捧げてる絢音の横顔。

何を願っているのだろうと気になりながらも、彼女の気がすむまで待っていると、徐に絢音が目を開く。

「なんや。やけに真剣な顔して…何お願いしてん?」

「えっ!?」

忽ち顔を真っ赤にする絢音。ややまって、紅に彩られた可憐な唇が動く。

「欲しいって…」

「なにが?大体、そんなん願わんでも買うたるて…言うてみ?」

「違うの…ものじゃなくて…その…」

モジモジと身体を揺らしながら、絢音はそっと、藤次に耳打ちする。

「赤ちゃん…欲しい…」

「あっ……」

忽ち真っ赤になる藤次。

晩婚とはいえ、結婚1年目の新婚。身体に異常さえなければ、時間は限られるがまだ妊娠可能な年齢。

願うのは詮無いこと…聞くだけ野暮と言うものだったかと小さく後悔して、藤次は咳払いをして、真っ赤な顔で俯いている彼女の手を引く。

「と…藤次さん?」

「願掛けしたんやろ?ほんなら、祈祷してもらお。」

「えっ?!」

そうして向かったのは、本殿脇の祈祷申込み所。

「子授かり」と言う欄に丸をして初穂料を納め、戸惑う彼女と共に本殿へ入り、宮司と巫女に作法を説かれながら、神事を受ける。

お札とお守りをもらって神社を後にすると、藤次は徐に口を開く。

「少しバス乗って行くんやけど、行きたいとこあんねん。ええか?」

「う、うん…」

そうしてバスに乗りやって来たのは、静かな山の裾野に佇む、小さな旅館を思わせる日本家屋。

「女将はん(おかあはん)おるか?南部の倅や言うたら、分かる思うから。」

出迎えに出た仲居にそう告げると、やや待って、妙齢の女将が現れる。

「新年早々…なんや懐かしい顔やねぇ。どないしたん?藤次君。」

「ご無沙汰です。生前は父母が大変お世話になりまして…葬式の時も…」

「まあまあ。堅苦しい挨拶は抜きにしまひょ?お連れさんおる言うことは…お部屋?」

「はい。予約も何も無く押しかけといて不躾なんですが…空いてますか?」

「ええ。こない鄙びた宿、覚えてくれとんはあんさんくらいやで?直ぐに用意させますさかい、こっちで待っとって。」

「はい…」

「と、藤次さん…ここ、どこ?宿って…」

「部屋着いたら話す。ほら、ウェルカムドリンクのメニュー。何飲む?」

「えっ…」

差し出されたメニュー表を一瞥して、とりあえずと紅茶を頼むと、薔薇の蕾が浮かんだ華やかなハーブティーが差し出される。

「山査子(さんざし)のお紅茶です。消化吸収を助ける他に、美容や持久力を助ける効果、薔薇には女性ホルモンを整える効果があります。ごゆっくり…」

「あっ…はい…」

「旦那さんには、高麗人参の他に漢方茶。あったまりますえ?」

「おおきに…」

「?」

いつもなら、こういうカフェ的なメニューを出されたらコーヒー一択なのに…

不思議そうに見つめていると、藤次が優しく笑いかける。

「そない緊張せんでええで?リラックスしとき。」

「う、うん…」

そうして茶を飲み、窓から見える庭園を眺めていると、女将がゆっくりやってくる。

「午後から来はる予定やったお客さんがキャンセル言うてきはったから、お料理も出せますえ?お部屋も、ご両親が使わはってたとこと同じとこ用意させて頂きました。ご案内致します。」

「ありがとうございます。気まで回してもらって、すみません…ほんなら絢音、おいで…」

「う、うん…」

そう言って連れられたのは、立派な床の間のある情緒ある純和風の部屋で、襖が僅かに開いた奥の間には、1つ布団に枕が2つと言う寝所が用意されており、絢音の心臓はドキリと跳ねる。

「お部屋の鍵はこちらです。お夕飯は18時30分。お風呂…浴場も入れますさかい、どうぞごゆっくり…」

「ありがとうございます。」

「奥様には、後で使われてるお化粧品一式と香水用意させますね。香りの方、何かご希望ございますか?」

「えっ?!こ、香水…?!そんなの使った事ないから私…」

狼狽する絢音に、女将はにっこりと笑う。

「せやったら、お着物の色に合わせて、資生堂の「むらさき」ご用意しまひょ。お寝巻きの浴衣も紫系をご用意させていただきます。白い肌に、よう似合いはる思いますえ?」

「は…はあ…」

「ほんなら、ごゆっくり…」

トンと、戸が閉まる音を確認すると、藤次はゆっくりと絢音を抱きしめて、耳元で囁く。

「身体…力抜いて…全部、ワシに任せて…」

「えっ…あの……ん……」

口を口で塞がれ、ねっとりと舌で口内を愛撫されていくと、脚が震え始めたので、藤次に抱き上げられ、奥の間へと誘われる。

香が焚き染めてあるのか、部屋中にジャスミンのような官能的な香りがして、クラクラと目眩すら覚えてきて、まだそんなに愛撫もされてないのに、身体の芯が濡れていくのが分かる。

自分の上で、乱雑に服を脱いで行く藤次をうっとり見つめながら、絢音も着物の帯を徐に解く。

ハラリと、締め付けられていた布が解けると、気持ちも緩んできたのか、甘えるように藤次の首筋に手を回すと、合わせが開かれ、彼の大きな手が胸元に入ってくる。

「好きや…可愛い…もう、こんなんなってる…」

そう囁き、絢音の手を自分の隆起したそれに触れさせると、彼女は辿々しい手つきで、それを前後に扱く。

「気持ち良い?」

「うん。気持ちええ…早よ、中に挿れたい。」

「うん…来て…」

いつもなら、こんなセリフ自分から吐かないし、脚だって開かない。

だけど、なんだか…脳が痺れるような快感と興奮が身体を巡り、一刻も早く、手にあるこれで貫いて欲しいと言う性が疼き、ショーツを脱がせやすいように腰を浮かすと、すぐさま剥ぎ取られ、露わになった花の中心に、藤次の熱を持ったモノが差し込まれる。

「ん…おっきい…」

いつもより強い異物感に、思わず漏れた言葉に自分でも驚き顔を赤らめたが、藤次は構わず前後に腰を動かして突き上げる。

「……めっちゃええ。気持ち良い…」

荒く息を吐きながら、耳元でそう囁かれると、嬉しくて胸がキュンとなり、応えるように藤次を見上げて、悶えながらも囁く。

「藤次…さん…好き……大好き……」

「……俺も、好きや……絢音……」

そうして行為を加速させ、様々に体位を変えて愛し合って、最後は互いを見つめる正常位で果てた…

「…ここ、知る人ぞ知る、子授かりの宿やねん。」

「えっ!?」

食事を終え、内風呂の檜の湯船に身を寄せ合い浸かっていた時だった。

藤次の口から出た言葉に、絢音は瞬く。

「ウチの親の両親…特に父方の、ワシからみたらばあちゃんにあたる人がな、恵理子姉ちゃん産んでからめっきりご無沙汰になったワシの両親見かねて、親父にこの宿教えたそうや。早よ後継…男産め言うイビリにもとれるけど、まあ…お陰でワシが産まれたんやから、今となっては感謝やけど…」

そう言って、呆然とする絢音の濡れた頭を優しく撫でる。

「めでたい正月の最初…姫始めに、こんだけ願掛けと験担ぎしたんや。きっと授かる。そしたら、3人でまたここ来よう?2人でも3人でも、出来るまで子供作って、ぎょうさん笑って、幸せになろ?まあ、今でもワシは、お前とおれて、充分幸せなんやけどな。」

「藤次さん…」

自分を思いやってくれる藤次の気持ちが嬉しくて涙を流していると、彼の唇がそっと瞳に触れて、それを拭う。

「泣きなや。お前の涙以上に辛いもん…ないんやから…」

「ごめ…なさい。アタシ…嬉しくて…あなたに、こんなに想われて、幸せで…」

ひしと抱きつくと、か細い肩から小さい背中を撫でられ、キツく抱きすくめられる。

「寝る前に、もう一回しよ?先上がって、なんぼでも待っとくから、女将はんが用意してくれた化粧して香水付けて、きれいなお姫さん(おひいさん)になって、来てくれるか?」

「うん…」

「ええ子や。ほんなら、先…上がるな?」

そう言って湯を後にする藤次を見送ったあと、もう一度丁寧に身体を洗い流してから、絢音も遅れて浴場を後にする。

脱衣籠に用意された着替えを見やると、紫の生地に白の寒牡丹が美しい浴衣と、洗面所に置かれた小さな小瓶と、手書きと見られる、付け方の手引きを参考に、身体に香りを纏わせて、髪を乾かし丁寧に結い上げ、用意された化粧箱で化粧を施すと、鏡の中の自分に微笑みかけ、絢音は静かに、奥の間…藤次の待つ寝所へと向かい、襖の戸を閉めて、うっとりするような彼の腕(かいな)に抱かれて、甘い夢の中へと、身を沈めた…

吉報が届いたのは、それから三月。

春の自然の芽吹きと共に、絢音の中に初めての、小さな命が、花開いた…









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