【映画感想】『ボーはおそれている』 ★★★☆☆ 3.6点

 巨大企業の経営者モナ・ワッサーマンの息子であるボー・ワッサーマンは、モナが自宅で事故死したことを知る。母の葬儀に参列するためになんとか実家へ戻ろうとするボーだったが、その道中、様々な不可解な事態に巻き込まれ翻弄されていく。



 本作の物語の骨子を拾い上げると、ある中年男性が母親の死をきっかけに実家へ帰る話となるのだろう。ただ、本作は兎にも角にも全編非現実的な映像や展開で埋め尽くされており、そのどれもが不条理かつ理不尽であるため、何が現実で何が虚構なのか、全ては主人公ボーの妄想なのか、はたまた非現実的なファンタジックな世界観の物語なのか、何もかもが分からないままに物語が進行し幕を下ろす、そんな非常に難解な作品となっている。



 本作を理解するためにはいくつかの要素を取り出しながら、その構造を解きほぐしていく必要があるだろう。まず本作を鑑賞して気が付くのは、主人公のボーが強迫神経症のような何らかの精神疾患を患っていると思しき描写がある点である。

 序盤の錠剤を水なしで飲んでしまったがために、ボーがパニックに陥るシーンが分かりやすいが、このようにボーの精神状態は健常な人間とは少し異なっていると考えてよいだろう。あまりにも治安が悪すぎる序盤のボーの住む街の描写であったり、グレースとロジャーの家のテレビで過去と未来が見えてしまう描写であったり、観客の誰もが度肝を抜かれるボーの実家の屋根裏に潜む陰茎の化け物であったりと、本作には明らかに非現実的な描写が散見されるが、これらはボーの見ている幻覚や妄想であるといった解釈も可能であろうと考えられる。

 全裸で自宅を飛び出してしまったボーの言い分を一向に聞き入れない警官であるとか、ボーを執拗に罵倒しながら、彼の静止を振り切ってペンキを飲んで絶命してしまう少女トニであるといったように、本作では、とかくボーとその他の多くの登場人物との会話が噛み合わないのだが、これも精神疾患を患った人間側から見た他者を描いていると見ることもできるかもしれない。

 ただ、例えば、2021年公開のフロリアン・ゼール監督の『ファーザー』のように何らかの答え合わせなのようなものが作中に用意されているわけではないので、この解釈だけでは本作の全てを説明することができないのが厄介な点である。



 また、本作では母と息子の支配的な家族関係が大きな一本の柱となっている。ここまで述べてきた通り、本作の物語は全編を通して不条理で、端的に言うと訳のわからないストーリーなのだが、その中で主人公のボーが母親のモナに幼少の頃から激しく抑圧されてきたであろうという一点だけは明らかに現実性の高いトーンで描かれている。

 ボーは50代くらいの中年の男性であるにも関わらず、優柔不断で決断力のないひたすらにオドオドした人物として描かれている。これは前述の精神疾患によるところも大きいのだろうが、一方で母親による激しい束縛により精神が十分に成長できなかったことを表現しているとも見ることができる。支配的なシングルマザーからの激しい抑圧に苦しむ男性の悲劇というのが、本作を理解するうえでの太い導線となるだろう。



 さらに、本作を監督したアリ・アスターは、本作を「ユダヤ人にとってのロード・オブ・ザ・リング」と述べているそうである。本作ではボーの家庭はユダヤ教徒であるとの描写があるのだが、ボーとその母モナがユダヤ人であることも本作の大きな要素の一つであるようだ。

 実際に、本作ではボーの境遇はユダヤ人の歴史をなぞらえている部分が非常に多いのだとか。この点に関しては、個人的にそこまで詳しくないため詳細を論じるのは難しいのだが、確かに本作の物語の理不尽さは旧約聖書、特にヨブ記に通ずるものがあると捉えるとかなり飲み込みやすくなると感じる。

 ヨブ記は、善良な住民であるヨブの信仰心を確かめるために、神がサタンの勧めによって様々な苦行を与える物語なのだが、ヨブ記における神の行いははっきり言って言いがかりで理不尽極まりないうえに、最終的には言いがかりをつけられていたはずのヨブがある種悔い改めて終わる。このヨブ記の、登場人物の言っている言葉の意味は分かるが、あまりにも理不尽すぎて納得はできない作風や、物語中の全ての不合理を「神の意思なので」の一本槍で通す雰囲気は、本作の空気感に非常に似通っている。

 本作でもボーは母親のモナから、自分を侮辱しているとあまりにも理不尽な言いがかりをつけられ、執拗に苛烈に罵倒され叱責される。普通のドラマであれば、母親の理不尽な抑圧にボーが勝利し自由を勝ち得るであるとか、逆にそういったわだかまりを乗り越えて真に親子の愛情を結ぶであるといった展開になるところだろうが、本作ではボーは最後まで反論をすることも許されずに絶命してしまう。本作には通常の作劇で見られるような分かりやすい教訓や成長は描かれていないのである。



 このように本作の自分なりの解釈を述べては見たものの、おそらくこれもかなり不完全なものであると思われる。本作の内容を理解するためには、作品外から多くの補助線を引っ張ってくる必要があり、特に私を含めた多文化圏の人間がフラッと鑑賞しに行って一発で理解するのはほぼ不可能であろうと思われる。

 さらには、そもそもこういった解釈を試みること自体が本作への向き合い方として適切ではないのかもしれない。スクリーンで延々と繰り広げられる不可解と無秩序に、ボーと同じように鑑賞する私達も困惑し、恐怖し、苦悶する。実はそれだけで十分なのかもしれない。

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