【映画感想】『アメリカン・フィクション』 ★★★☆☆ 3.6点

 黒人小説家のモンクは自身の書いた文学性の高い小説が評価されず、さらには母のアルツハイマー病の発症や姉の急死など様々な不幸に立て続けに見舞われる。嫌気が差したモンクは、自身が普段見下しているステレオタイプな黒人小説をやけになって執筆する。しかし、これが本人の予想を大きく覆すような大ヒット作となってしまったことから、モンクは嫌々ながら一大ムーブメントに巻き込まれていく。



 本作は、主人公が悪ノリで書いたコテコテの黒人小説が大ヒットしてしまうというコメディ色の強い設定と、これに反して落ち着いた演出と地に足のついた丁寧な話運びが組み合わさった独特な作風の作品となっている。さらに本作は、創作というものを取り巻く作者や批評家、読者といったそれぞれのスタンスの人々を、この相反する2つの要素をきれいに噛み合わせることによって、満遍なくチクリと刺していく巧妙さも兼ね備えている。軽いコメディのつもり観始めたのに、最終的には痛いところを突かれ、良い意味できまりの悪い気持ちに陥る、実にウィットに富む作品だ。



 まず本作で最初に明確にチクリと刺されるのは、小説や映画を深く考えずに楽しむライト層の人々や、作品を表層的にしか読めない批評家たち。本作では主人公の黒人小説家モンクがやけっぱちで書いたステレオタイプな黒人小説”FUCK”が、あれよあれよと大ヒット小説になってくいく様が描かれるが、作中ではこれを現代のアフリカ系アメリカ人の真実を切り取った傑作と表する薄っぺらい批評家や、世紀の大傑作だと太鼓判を押す出版社の銭ゲバ社員などが次々と登場する。こういったキャラクターたちは明らかにコメディ作品の文脈で描かれており、リアリティの薄い喜劇的な存在として登場する。

 しかし一方で、結局のところ白人のリベラルな批評家も、求めているのは自分たちを気持ちよく贖罪させてくれる都合の良い黒人小説であるという鋭い指摘が作中にさらりと挟まれるため、物語が進行するとともに米国文化圏への現実的でかなりシニカルな批評が作品の根底にあることが見えてくる。これにより、この滑稽さが逆に背中に冷たいものを走らせ、文壇の浅薄さを浮かび上がらせていくのである。



 一方で本作の面白いところは、主人公であるモンク側のスタンスにも一太刀を浴びせるところにある。モンクは黒人作家だからといって必ずしも貧困や差別といった題材の小説を書く必要はなく、いわゆる黒人を取り巻く社会問題の表層だけを安易になぞったような小説を下に見ている人物として描かれている。確かに彼の言い分は正論であるし、キャッチーで分かりやすく薄っぺらい物語ばかりが持て囃されるのは良いこととは言い難い。

 しかし、本作ではモンクの恋人のコララインが彼の書いたFUCKで素直に感動していたり、女性黒人作家シンタラが市場のニーズをよく調査したうえで分かりやすくステレオタイプな黒人小説を世に送り出していたりする姿を描くことで、「分かりやすい物語で素直に感動するのは悪いことなの?」という別の問いかけも投げかけている。

 確かに文学的・社会的に深みのある作品がしっかりとそれ相応の社会的評価を受けることは必要なことだが、一方でオーソドックスで分かりやすい創作物を薄っぺらいと切って捨てるのも、別の形のエゴにすぎないのではないかという意見も、それはそれで正当性のある主張と言えるだろう。



 そして、本作はさらに最後の最後でそこまで本作を追ってきた観客にも巧妙なトラップを仕掛けてくる。本作では、モンクが審査員の1人として参加した文学賞で、彼の必死の抵抗も虚しくFUCKが最優秀賞を受賞してしまう。この事態に陰鬱とした気持ちに陥るモンクだったが、疎遠になっていた家族との交流や恋人とのやり取りを経て、彼は自身が偽名でFUCKを執筆したことを授賞式の場で公表することを決意し、授賞式の舞台上へと歩を進めていく。これまでの展開の積み重ねが結実する非常にエモーショナルな展開なのだが、その盛り上がりが最高潮に達する瞬間に、実はこの授賞式でのくだりがモンクの創作であることが明かされるのである。

 コメディにおけるいわゆる”外し”の演出として気の利いた展開なのであるが、それだけでなく、本作はこの展開をもって観客にもチクリと矛先を向けている。つまり、ここまでの物語を追ってきたことで、大なり小なり観客はモンクに感情移入し、文学的に薄っぺらく安直な物語に対して批判的な心情を膨らませていくわけだが、そんな中、この外しの展開によって本作は「ほら?アンタたちも結局は家族の絆とか恋人への愛情みたいな”エモい”要素をチラつかせて、分かりやすくスペクタクルな展開を持ってきたらドキドキしちゃうでしょ?それって、アンタたちがモンクと一緒に馬鹿にしてた奴らと一緒だよ」と突きつけてくるわけである。

 SNSの台頭もあり、一億総評論家時代などとも言われる昨今、ついつい誰しも評価気取りに陥りがちだが、結局ほとんどの人はミーハーなんだよと、クレバーに冷水を浴びせてくる本作の鮮やかな手腕には、これはもう一本取られたと言わざるを得ない。



 テーマや背景を深く読み取らず表層的にしか作品を見ないライトな人々の浅薄さを痛烈に批判しつつ、分かりやすくオーソドックスな物語を見下す評論家気取りの人々の強いエゴにも切れ味鋭く疑義を呈する本作。じゃあ、どう身を振ったらいいのさと言いたくなってしまうところだが、結局はどんな創作物にも多様な成り立ちや背景があるのだから、一面的にではなく多面的にこれに向き合い、意見の違う人の見方もある程度尊重しなきゃいかんぞという穏当で丸い結論がとりあえずの落とし所なのだろうと感じる。

 ただ、こうやって分かったような顔をして批評のような何かを書いてしまっている自分も、これもまた作者からすれば的はずれな存在なのかもしれない。そんなめくるめく袋小路でモヤモヤグルグルするのが、本作の深みと面白さなのであろう。多分ね。

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