【映画感想】『落下の解剖学』 ★★★☆☆ 3.5点

 人里離れた山間のシャレーで暮らす男性サミュエル・マレスキーが、ある日ベランダから転落死しているのが発見される。事件当時の状況から、妻のサンドラ・ヴォイターがその容疑者として起訴される。さしたる物証も目撃者もない中、裁判は二人の息子のダニエルを巻き込んで加熱していく。



 本作の興味深い点は物語の終盤あたりを境に、作中の中心人物が被害者の妻であり容疑者のサンドラから、その息子のダニエルへとスライドする点にある。

 本作は物語の中盤までは、夫であるサミュエルを殺害した容疑で起訴されたサンドラが弁護士のヴァンサンとともに、自身の無実を証明しようと試みる姿が主に描かれる。しかし、事件現場が山間のシャレーであるために目撃者がいないことと、検察側、弁護側ともに決定的な物証を提示できないことから、裁判の争点はサミュエルとサンドラの夫婦関係やそれぞれの人間性に移っていくこととなる。

 そこでは、サンドラの不倫の過去や、サミュエルの過去の自殺未遂、さらには二人の間での様々な夫婦関係の不和などが詳らかにされ、サンドラ、サミュエルともにかなりの問題を抱えた人間であることが明らかになっていく。そして、これらの情報が明らかになるのをきっかけに、物語の軸がサンドラからこの裁判を傍聴する息子のダニエルへとシフトしていき、彼の視点こそが本作の最重要な争点であることが観客に開示されることとなる。

 つまり、本作では、中盤まで物語の主題のように見えていた、母親が夫殺しの嫌疑をいかに晴らすのかという物語が実は主題ではなく、父親殺しの嫌疑をかけられた母親の裁判を傍聴することで、息子が親をどう理解するのかということこそが物語の主題であるということが、サンドラからダニエルへの物語の軸足のシフトによって明らかにされるのである。そして、これによって生じるダイナミックな物語の構造転換こそが本作の肝なのである。



 作中、ダニエルは、母のサンドラが過去に複数の女性と肉体関係を持っていたことや、父のサミュエルが薬剤の過剰摂取により自殺を図ろうとしていたこと、両親が自身が重度の視覚障害を負うこととなった事故についての責任問題で揉めていたこと、両親が長年セックスレスであったことなど、様々な両親の生々しい実態を知ることとなる。

 これらの事実のどれもが子供が知るにはあまりにも酷な内容であり、実際、作中でダニエルはこれに強く胸を痛めることとなる。しかし、こういった両親の人間的に汚い部分を知ることによって、同時にダニエルは両親を一人の人間として見る目を育んでいき、様々な客観的情報や多くの人の見解を総合して物事を見極めていく能力を身につけていく。つまり、検察側と弁護側による裁判が行われている一方で、傍聴席に座っているダニエルの頭の中では、もうひとつの裁判が繰り広げられているのである。

 本作のクライマックスでは、裁判での多くのやり取りを経て、ダニエルは自分が出した自分なりの事件の解釈を法廷で述べることとなる。それはどこまでも主観的で客観的な証拠とはなりえないものなのだが、それでも彼が彼なりに深く思索を深めた先に導き出したものであることが強く伝わるものであり、そのひたむきさが裁判官の判断に何らかの影響を与えることとなる。

 本作においてダニエルは、裁判という特殊な状況下で両親の生々しい人間性を見ることを余儀なくされ、その中で様々な情報を総合して両親がどういう人間なのかを解釈する能力を急速に獲得していく。人は大人になっていく過程で、親を親としてではなく、一人の人間として理解するようになっていくが、それは自身の成長とともに親の親ではない人間としての側面が徐々に見えてくるからである。本作は両親の裁判を息子が傍聴するという極めて特殊な状況を描いているが、その根底にあるのは、誰しもが経験する大人になるうえでの親への視線の変化という普遍的な物語である。



 そういった観点から考えると本作において重要なのは、ダニエルがサンドラとサミュエルという2人の人間をいかに理解し解釈したかであり、実際にこの2人の間に何が起こったのかということはさして重要ではない。

 そのため、本作ではサミュエルが亡くなる当日の描写において事件の核心となる部分の描写はごっそりと取り除かれているうえに、事件の真相の種明かしのようなものも最後までなされることはない。そのため、サミュエルの死が事故なのか、自殺なのか、はたまた、サンドラによる殺人なのかは最後までついぞはっきりとは明らかにならない。さらには、サミュエルについては回想シーン以外では一切登場せず、彼が実際にはどういった人物であったのかも明瞭には描写されることもない。

 検察側はサミュエルをサンドラに家事育児をすべて押し付けられ、自身の人生を奪われた悲劇の人物だと主張し、一方で、弁護側は自分で自分を追い詰め、そのフラストレーションを妻にぶつける情緒不安定な男だと主張し、その実態はどこまでも明らかにされることはない。

 しかし、繰り返しになるが、本作ではサミュエルがどのような人間性を有した人物であったのかは重要ではない。重要なのは、ダニエルがこれらの意見を聞き、自身の記憶と考察に思い巡らせ、思索を深めた結果、どのような自分なりの父親像を形成するのかが重要なのである。そのため、本作のどこまでも事実を明らかにしない作劇のスタンスは、本作の主題と実に噛み合ったものであると言えるだろう。



 物語の大半を占める法廷での会話劇を通して、少年が親を一人の人間として理解し解釈する力を身につけ、その過程で子供がいかにして大人になっていくのかを描いた本作。本作ならではの強いフックには若干欠く作品ながら、丁寧な描写の積み重ねにより普遍的なテーマを描いた堅実な作品であるという印象だ。

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