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いろんな言葉の中で生きる

「かわいいのは小3までだよ。」

って、友達から聞いていたけど、
小6の次男はまだかわいい。

「それ過ぎたら憎たらしいことばっかり言ってくるから!」

って聞いていたけど、
憎たらしいというより、悪ぶってる感じが逆にかわいい。


高校生になった長男は、今168センチ。
親より背が高くなって(私は159、夫は163)、かわいいというより毎日会っていても毎日「デカっ!」って思う。

中学校に上がるときは140センチしかなかった。みんなで写真を撮ると、同じ学年とは思えないほど小さいし細いし、ちょっと心配していた。

でもしっかり大きくなって、スポーツもずっと頑張っていて、かわいいというより、かっこよくなってきた。


「女の子が一人はいないと寂しいよ。」
「もう一人頑張ったら?」
なんて、昔言われたこともあった。

スーパーで小さな息子二人を連れて買い物へ行ったら、知らないおじさんが、
「男の子二人か〜。かわいそうに。」
って、言ってきた。


次男が産まれた日、父が病院に来るなり、
「また男か。女の子ならよかったのになー。」
って残念そうに言ってきた。

いつもは無口な母が、
「無事に元気に産まれてきてくれたんだから。それだけで充分。」
って、言ってくれた。
産んですぐで身体も痛いし、ショックで何も言えなくなっていた私の隣で、母は次男の顔を見ながら、そう言ってくれた。


家の前の畑をしているおじさん。
「男の子が二人いると頼もしいな。将来が楽しみやな〜。」って言ってくれた。
否定的なことを言われることが多かったから、とっても嬉しかった。
それは決まり文句みたいなものだって後で知ったけど、それでもすごく嬉しかった。


子供が小さかった時は、いろいろ言ってくる(くれる)人がいて、なんだか今よりすごく疲れていた。育児そのものに慣れていない毎日の中で、いろんな言葉を受けとめて。ただただ、必死だった。

ていうか、男の子とか女の子とか、なんであんなにも昔言われてきたんだろう。
そして、なんで私はひどくそれに悩んでいたんだろう・・・。

男の子とか女の子とか、関係ない。
息子たちが男でも女でも、この子達が、最大にかわいい。

人は、何かとあれこれ言う。
言われて傷付いて、それが正しいかのように錯覚してしまう時もある。

昔よりは、人の言葉を真に受けなくなって、心の中で「いやいや・・・」って思えるようになった。

でもいくら気を付けていても、自分だって人を傷付けてしまう時がある。
良かれと思って言ったこと、やったことが、相手にとっては嫌なことだったり、迷惑なことだってある。
嫌な気持ちになっても、それを本人にその場で言う人は少ない。一瞬変わった相手の表情を見て、「しまった!」って思うことがある。

同じことを言ったとしても、相手によって受け取り方が違うから、それをあまりに気にしていたらなにも言えなくなる。

ポジティブな言葉さえ、傷つけてしまう時があるから・・・。



でも人との関わりの中で、まだまだ未熟な自分を自覚しながらも、それでも勇気をもって進んでいけたらいいなって思います。
少しずつ自己開示もしながら、
少しずつ積極的に。




今日も素敵な一日になりますように♡
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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