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〔ショートストーリー〕たった一人

始まりはいつもと同じようなケンカだった。
「何でまた勝手なことしたの!」
怒る私に、陽子はあっけらかんと言い放つ。
「あんたがいつまでもグズグズしてるからよ。助けてあげたんだから、感謝されても良いぐらいだわ」
昔から、陽子はいつもそうだ。私の迷いや悩みをアッサリ踏みつけて、自分の思い通りの解決法で片付けてしまう。そんなことを私は望んでいないのに。
「いい加減にして。私のことは放っておいてって、何回も言ったよね。どうしてそんなに首を突っ込むの!」
陽子は呆れたように私を見る。
「どうしてって、あんたがいつまでもあんなバカ男の言いなりになって、グズグズ泣いてるからでしょ。あたしは最初から、あの男はダメだって言ったのに。見る目がないクセに無駄に頑固だよね、あんた」
「うるさいっ」

陽子はこれまでにも、似たようなことを繰り返してきた。中学2年で私が陰湿な虐めに遭い、心がズタズタになってしまった時もそう。表にも出られなくなった私の代わりに学校に乗り込み、虐めていたクラスメートを相手に箒や傘を振り回し大暴れした。それまで見て見ぬ振りをしていた大人たちが急にみんな青ざめて、右往左往して面白かったと、後になって陽子から聞いた。それ以降、虐めはなくなった。

もっと昔、好き勝手して私を蔑ろにしていた両親にも、私の代わりにキレてくれたことがあった。あれ以降、私への扱いはマシになったのは確かだ。いつも独りぼっちの私の味方になってくれて、励ましてくれた。そして最後には自分が出て行ってでも、私を守ってくれた。分かっている。でも。

陽子の言う通り、あの男はろくでもなかった。どんな仕事も続かず、私に金の無心ばかりする寄生虫のようなヤツ。しかもいろんな女に貢いで、相手の女に飽きるか、金が底をつくと、私のところに戻ってきた。お前しかいない、俺がバカだったと泣いたり土下座したりして、私の弱さにつけ込むのだ。それでも。
「別れ話は自分でするって、陽子にも言ったじゃない。なのに何で…何で殺しちゃったのよ…」

涙が溢れる。ろくでもない男でも、私は嫌いになれなかった。便利な女だと思われていたことぐらい自分でも分かっていたけれど、あのニカッと笑う顔も、あの甘えた声も、大きな掌も、どうしようも無く好きだったのだ。
「あんたに別れ話なんて出来る訳無いじゃない。こんな風俗の仕事させられて、金づるにされても、まだ縋ってたんだから」
思わず俯いてしまう。悔しいが、陽子が言うことはいつも正しい。けれど今回ばかりは、納得など出来るはずがなかった。私が眠っている間に彼を殺すなんて、いくら何でもやり過ぎだ。彼女に起こされて、もう動かない血塗れの彼を見た時の絶望感は、きっと彼女には一生分からないだろう。

「…もう出て行ってよ」
あの光景を思い出すと同時に、言葉が出ていた。
「え?何言ってんの?」
茶化すような陽子の声に、沸々と怒りがこみ上げてくる。私は静かに、けれどハッキリと告げた。
「今すぐここから出て行って。そして、もう二度と帰って来ないで」
今度は陽子にも、私が本気だと伝わったようだ。ヘラヘラした笑いを引っ込め、強い口調で言う。
「そんなこと言っていいの?あたしがいないと、誰もあんたを守ってなんかくれないよ。一人で生きていけるとか、本気で思ってるの?」
「…さあ、分からないわ。でも陽子に私の人生を決められるのは、もうまっぴらなの。自分の人生は自分で決める。たとえそれが、どんな辛い生き方でも」
張りつめた沈黙が流れる。やがて陽子はフッと息を吐き呟いた。
「分かったわ。お別れね」
それ以上は何も言わず、振り返ることもなく出て行った。
これまで何度もケンカはしてきた。陽子が出て行ったのも、これが初めてではない。だが今までは、陽子が近くにいて、きっとすぐ帰って来てくれるという確信があった。けれど今回は違う。陽子が本当に行ってしまったことを、私は全身で感じていた。彼女の気配はどこにも無い。もう私は独りぼっちだ。誰も助けてはくれないのだ…

「はい、目を開けてください」
ドクターの柔らかな声で目覚めた。ゆったりとしたソファにもたれたままの私を、ドクターが静かに見つめている。まだ頭は重く、心にはぽっかりと穴があいていて、体を起こす気になれない。
「陽子さんは、いなくなりましたか」
「はい…もう消えてしまいました…」
涙が溢れて上手く喋れない。そんな私に、ドクターはそっとハンカチを渡してくれた。

彼を殺した殺人犯として捕まった私は、鑑定の結果、二重人格と認められた。当然だろう。彼を殺したのは私ではなく、陽子だったのだから。私には責任能力がないため無罪となったが、私の中に陽子という殺人犯を残しておく訳にはいかないと言われた。だから、彼女を追い出すための「治療」を受け入れるしかなかった。

私がもっと早く陽子を追い出していたら、彼は死ぬことはなかったはずだ。だが、逆にもっと早く私が死んでいたかも知れない。どういう形にしろ、いつも陽子は私の味方だった。そんな彼女を私は追い出したのだ。自分の無罪を勝ち取るために、ただ一人の味方を切り捨ててしまった。

これから私はどうやって生きれば良いのだろう。陽子のいない世界で、私はやっていけるのだろうか。と、その時、陽子とは違う甘い声が頭に響いた。
「大丈夫、泣かないで。あたしはミヤ。いつもそばにいるからね」
私の中から、フワッと不安が消えていくのを感じる。陽子はいなくなったけど、代わりにミヤが来てくれた。良かった、私はまだ独りぼっちじゃない!思わず微笑みそうになったけれど、ドクターに気付かれるとミヤも奪われるかも。危ない、危ない。私はさめざめと泣き続けながら、
「今日からよろしくね、ミヤ」
頭の中でそっと囁いた。
(完)


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小牧さん、お手数かけますがよろしくお願いいたします。
読んでくださった方、ありがとうございました。

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