【漫画家志望物語1】すべてはコロナから始まった
遡ること4年と1ヶ月前…2020年4月。
大学4年生で教育学部だった私は、教員採用試験の4ヶ月前に商業漫画家を目指し、漫画家志望になった。
小学校に上がるか上がらないかくらいから、家には名探偵コナンや銀魂、金色のガッシュベルなどが何冊かあり、私はそれらを夢中になって読んでいた。原稿用紙とGペンで漫画やイラストを描きはじめたのは多分小学校中学年くらいから。
中学生に上がると、バクマンという漫画家を目指す漫画と出会い、漫画家という職業に強い憧れを抱くようになると同時に、自分には無理だと諦めてもいた。
それでも絵を描くことは続けていて、自分で物語を作っては描き途中の1話目ばかりを作っていた気がする。この頃の私には、新人賞の投稿のために持ち込みや投稿をするという行動に移せずにいた。
大学生になると、学校の先生になりたいという思いから教育学部に進み、地元を離れて地方で1人暮らしを始めた。学業とバイト、漫画研究会にも入り、7月には初めて読切形式の漫画を完成させることができた。(人に見せられないクオリティ笑)この頃はまだアナログで漫画を描いていたので、結局年に2本程度の読み切りしか描けなかった。
大学2年生の春、2作目となる読切をコミティアの出張編集部に初めて持ち込みをした。ジャンプ+とジャンプSQの2箇所である。とても丁寧に見ていただき、とても褒められることもとても厳しいことも言われず、良い持ち込みだった。
こんな感じで、大学3年生の秋ごろになると教育実習もあり、いよいよ卒業後の進路を考える時期になってしまった。ジャンプルーキーなどの投稿サイトに数作品アップしていたが、ちょこっとの閲覧数のみで、そこから何かが始まるということもなかった。ここで私はようやく「待っているだけでは始まらない…」と気づき、大学3年生の冬に、最後の読み切りを描くことにした。
完成させた読み切りとしては4作目となる「わたしとナカムラ」というラブコメを描いた。あらすじとしては、主人公の女の子が不良に絡まれた時につい、地元で恐れられている伝説の不良・ナカムラを名乗ってしまい、自分がナカムラになってしまう。実は、感じの悪いけど絶妙に優しいクラスメイトの中村くんこそがナカムラでーという話。
さてなんで最後の読切なのか?というと、自分の予定では最後にこの読み切りを描き、思い切って持ち込みをしてズバッと才能ナシ!と言われたら諦められると思ったから。大学生最後の記念といいますか。それで4年生になったら、教員採用試験の勉強をして、学校の先生に…なんて考えていたら事が起きてしまったんです。
そう、2020年1月の終わり頃から。コロナ禍が。
その時の私、そして皆が想像もつかなかった事態になるのだが、私に直接影響が出たのが3月。最後の持ち込みにアポを取っていたのは、小学館の少年サンデー編集部だった。3月末にアポを取っていたのだが、編集部から電話が。
「小学館が入れなくなり、持ち込みもできなくなりました。」
都内に感染者が確認され始めた頃で、そのまま持ち込みがナシになってしまった。
あれ…?と不完全燃焼。計画破綻。
宙ぶらりんの原稿と私。この出来事がきっかけとなり、いっそ商業漫画家を目指そうと決意する。(親の説得にはかなり大変でした)
そうして4月。商業漫画家を目指し、漫画家志望になった。教員採用試験の勉強をやめて漫画を描き始めようとするが…一体何をしたらいいのかわからない!!!!
経験談を公開する原因の1つでもあるが、専門学校でもなく美大とかでもなく、一般の大学生の私の周りに同志はおらず(漫画研究会との交流もあまりなく)、漫画業界のことを何もわかっていなかったのだ!!!
右も左も分からない私はとりあえず、今まで通り漫画は描いていたが、それは持ち込み用だったり、新人賞に出す用ではなかった。結局それまでと変わらないやり方をしていた。
そんな私にとてつもなく大きな転機が訪れるのは2020年7月頃。漫画家志望になってから3ヶ月後である…
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