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書評:翼の翼(朝比奈あすか)

最近一番衝撃を受けた本について書こうと思う。テーマはTwitterのホットトピックである中学受験。最難関校である星波学苑(おそらくモデルは開成)を目指すために進学塾エイチ(モデルはSAPIX)に進む少年・翼と母親・円佳を中心に、中学受験の歪みを余すことなく描いている作品だ。


Twitterのみんなも大好きな中学受験漫画、2月の勝者の島津家と今川家のパートを部分的に取り出して混ぜ込んで、じっくりコトコト煮詰めてエグい部分だけ抽出した感じといえば分かりやすいだろうか。たたただ重い。しかし、中学受験を考えている親であれば、必ず目を通したほうが良い一冊であると断言できる。なんならSPAIX白金高輪校の入室説明会で、我が子の可能性を信じて疑わないウブな親達に配って回りたいほどだ。(営業妨害)

本書は翼が小学二年生冬に行われる「全国一斉実力テスト」(モデルは全国統一小学生テスト)を受けさせる場面から始まる。小さな手で鉛筆を握り、生まれてはじめての試験を終えた我が子の成長に目を細める円佳だったが、翼が優秀な結果を出したことで、最難関校を夢見るようになり、その夢に取り憑かれていく。

2月の勝者に「君たちが合格できたのは父親の経済力と母親の狂気」という名台詞があるが、円佳は静かに狂気に飲まれていく母親の役を担っている。女子大出身の専業主婦であり、旦那の真治は大学院を出て海外赴任するようなエリートサラリーマン。謙遜しながらも優秀な我が子が褒められることを誇りに思い、後ろめたさを抱えながらも密かに他の子と比べてしまう。いかにも郊外のSAPIX大規模校に子供を通わせてそうな属性だ。

クラス分け、エスゼロ(入塾時から常に最上位クラスを維持する秀才達の総称、SAPIXではアルファゼロ)、受験ブログ、匿名掲示板(モデルはおそらくインターエデュ)、全国決勝大会といった中学受験あるあるネタも舞台を彩る小道具として登場しており、相当細かく取材していることが分かる。

物語を通じ、円佳は狂気に染まっていく母親と、冷静に自分を客観視するもう一つの人格で揺れ動き続ける。これも中受に携わる親ならば感情移入できる要素だろう。現実問題、好き好んで我が子に過度なプレッシャーを与えて追い詰める親などいない。虐待一歩手前の勉強も、洗脳に近い形で子供の意思を誘導するのも、皆、子供の将来のためを想っての行動であり、その愛情が歪んだ形で発露するのが中学受験だ。

中学受験と大学受験との最大の違いは、親主導で進む部分にある。そして親が子供の成績を自分の評価であるかのように勘違いして、一喜一憂するというのもよくある話である。
一方、授業を受けるのもテストに挑むのも子供だ。どんなに親が頑張った所で、幼く、そして自我が芽生えつつある子どもを完全にコントロールできるわけがない。ほとんどの家庭にとって、中学受験とは地雷原を突き進むような行為に他ならない。

また、中学受験というものは才能がものをいう残酷な世界である。物語では、翼は「国語はできるが、算数が少し苦手」という描写が出てくる。現実の中学受験の世界においても、トップ層とそうでない子供達で最も大きな差がつくのがセンスが問われる算数だ。低学年のうちは優秀だった子供が、算数の内容が高度になっていく高学年になってついていけなくなるというのも、受験あるあるである。そして、自分の子供に才能がないということを認めることができる親は多くはない。

医者の父に劣等感を持っている父親、真治のキャラクターも秀逸だ。最初は受験産業に騙されていると鼻で笑っていたが、気がつけば仕事そっちのけで子供の成績を誰よりも気にするようになり、時には脅迫のような手段を用いて翼を追い詰めていく。
フィクションとしてデフォルメされているが、中学受験では子供を自分のリベンジの手段として勘違いする親は多い。自分が叶えなれなかった夢を子供に強いることすら、「子供のため」という言葉で正当化することが可能だからだ。円佳を上回る狂気を父親に持たせることで、翼の逃げ場所は奪われていく。

一方、円佳の視点でストーリーが進んでいくためでもあるが、本物語では受験にのめりこんでいく両親に比べ、翼のキャラクターはあえて掘り下げず、輪郭がぼやっとしたまま進んでいく。
一人っ子の子供の狭い世界において、親の存在は絶対的だ。翼は中学受験で頭が一杯になった親に適応するために、主体性を持たないまま振る舞う。親を喜ばせようともがき、精神が蝕まれていく翼の様子は生々しく、そして痛々しい。

結末については実際に手にとって読んでいただくとして、全体的に救いがない内容で、読後にはザラザラとした感情が残る。Amazonのレビュー(是非、読後に読むことをお勧めしたい)に目を通しても、自分と重ね合わせて号泣しながら読んだという感想が目立つ。現代社会において、中学受験で疲弊している家庭がそれだけ多いということなんだろう。

繰り返しになるが、好き好んで子供を追い詰める親などいない。中学受験という修羅の道を歩ませるのも、子供からゲーム機を取り上げて暗記を強いるのも、すべて我が子の選択肢を広げたいという親心だ。
はたからみれば滑稽ですらあるが、視野が狭まった当事者にとっては偏差値が世界のすべてとなってしまいがちだ。胎児の頃は無事に生まれてくれさえすればと望まれ、乳幼児の頃はただ微笑むだけで周囲を幸せにしていたはずなのに。

今も2月の受験本番を目前に、首都圏各地のSAPIXに円佳がいて真治がいて、そして翼がいるのだろう。どんな結末であれ、彼らの心に平穏が訪れることを願ってやまない。

難しいテーマに向き合い、最後まで描ききった筆者に対して敬意を抱くばかりである。


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