「母」の自己犠牲

先週の日曜の朝だったと思う。その日は特に予定もなく、目覚ましもかけていなかったけれど、日々5時起きの生活をしていることに加え夏なので(注1)、私は早々と目を覚まして「おなか減った」と口にした。夫はというと、凄まじい低血圧(注2)と、このところの家事・育児疲れでまだムニャムニャとしており、当分起きてこないように見えた。なんとなくの役割分担として朝ごはんは夫担当になっているのだけれど、無理やり起こすのも悪いので、私が先に起き出すことにした。

食パンの残りは2枚。フレンチトーストが食べたいけれど、3人分には少ない。子供(風邪気味で疲れているのかまだ寝ていた)が起きてくる前に大人のぶんだけ作って食べてしまうか?でも夫がいつ起きてくるかわからないし、と考えた結果、あんまんまんのレシピで大人用のフレンチトーストを1人分ずつ焼くことにした。ひとりでゆっくりと朝ごはんなんて、いつぶりだろう?ちょっと贅沢な気分だ。片手間に、夫のぶんもあとは焼けばいいだけにしておいてあげよう。

と、自分のぶんが焼けて、さあ食べようかと思っていたところに夫が起きてきた。えっ、もう1回焼いていたら私のが冷めてしまう。でも小さめのフライパンでお砂糖キャラメリゼしたから1回洗わないと...(そして洗った)、パンの下準備はしてあるから焼くだけなら自分でできるだろう、と焦った結果、「フレンチトースト、あんまんまんのレシピで1人分ずつ作ってる。あと焼くだけでいいから、お砂糖キャラメリゼするかどうかは任せる」みたいなことを言い捨ててしまった。

その後も焦る私と寝起きの低血圧夫との会話は不毛で、

「...なに?あんまんまんで検索すればわかる?」

「だからあとバターで焼くだけだってば、フライパン洗ったから」

「フライパン?フライパン使うの?」

まりえさん(電子レンジを使った時短レシピ本を出している料理研究家)じゃなくてあんまんまんのほうだから(怒)」....

結局夫は無事にフレンチトーストを焼きおおせたし、私もまだほの温かいフレンチトーストを食べることができたけれど、双方釈然としない気持ちが残ってしまった。

私が「もっと起きてこないと思ってたから...」とこぼすと、

「なんでちょっと早く起きてきただけでそんな風に言われないといけないの?」「自分の朝食が用意されてないからって怒る夫だと思う?」

「思わない」

「そうやってイラつくぐらいなら自分のを先に食べればよかったじゃない?」

そう言われたところで、なにかが噴き上がってきて大泣きしてしまった。これは、ふだんあんまり出てこないけど(なぜならほとんどはもう踏みつけてしまって原型も留めていないから)、「母の自己犠牲」の呪いってやつだと気づいたのだ。

私の母は、家族を差し置いて自分だけ先に食事をはじめたり絶対にしない。全員の食事を配膳してお茶まで配り終えてからでないと座らない。桃を剥いたら、甘くておいしいところは私や父に優先して配り、自分は種の周りをかじっている。キッチンに立ったまま。夜に出かけるのなんて論外だ。私が物心ついてからの約30年間、母がひとりで、夜に、自分の楽しみのために、外に出かけていく姿は一度も見たことがない。子供二人が成人した今になってもだ。

そんな母が、いつしか不憫に思えるようになり、いや、母はそれが当たり前だと思ってやってるのかもしれないし、むしろそうしたくてしているのかもしれない。真面目に向きあって聞いたことはない。ただ、とくに20歳前後の頃から、母をもっと自由にしてあげたいと思うようになった。そして自分は、父と母を、ある意味では反面教師として生きるようになった。

結婚して、子を持っても、家事も育児もふたりでやる。夫に子供を任せて友達と遊ぶし、夜に出かけることもある。しかし、どうしようもなく、無意識に刷り込まれたものが、表出してしまうときがあるのだった。かなしい。とてもかなしかった。

ただ、そういう話を、支離滅裂になりつつ夫に向かって話し終えたとき、ひとつの呪いを解くことができた気がしたので、きっと、すこしだけ前に私たちは進んだのだった。

(注1) 夏の私は比較的元気で、自然と早起きをする傾向にある。

(注2) 対して夏の夫は、元々の低血圧がさらにひどくなり、先日の健康診断で76/35という値を叩き出したらしい。よく生きているなと思う。

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