書くことで、生きる
言葉に頼って、やっと生きている、と思う。
感情の起伏に振りまわされることの多かった若いときも、自分の気持ちの正体はなんなのか、それはどこから来るものなのか、限界まで言葉で解像することで、生きられる道を探っていたような気がする。
ひとごとのように言ってしまうのは、近頃は生活の必要に迫られて(なにより毎日の育児、賃労働、そして最低限の家事)、物事をしっかりと考える余裕もなく、ましてまとまった文章を書くこともなくなっていたから。
しかし、予期しないことで自他の強い感情に晒されると、