「愛知」の豊かな醸造文化 (下)
上、中の前2回では、八丁味噌.白醤油(白たまり).酢やみりんを含む愛知の調味料のお話を紹介してきました。
今回は、三人の講演者によるパネルディスカッションです。数か月前なので、どなたがどんな発言をしたのかまでは、記憶にもノートにもありません。ただ全体として印象に残った話を、少しお伝えできればと思います。
〔 パネラー 〕
○ カクキュー 企画兼品質管理部長 野村健治氏
○ 日東醸造株式会社 代表取締役社長 蜷川洋一氏
○ 小判天はなれ 日本料理一灯 長田勇久氏
《パネルディスカッション》 「愛知」の豊かな醸造文化
何故、これほど独特の調味料が愛知で作られるようになったのか?
その要因として気候や地理的条件などがあげられましたが、もう少し詳しく見てみましょう。
温暖な気候
愛知県(三河)の知多半島や岡崎平野のあたりは、温暖な気候のため米.大豆.小麦の生産地でした。ご存知のように、「米.大豆.小麦」は味噌や醤油の原料になります。また、水質も良かったそうです。
塩づくり
塩も欠かせない材料ですが、三河や知多の沿岸部では塩の生産が行われていました。岡崎には塩の座もありました。愛知県西尾市の吉良周辺の三河湾沿岸の塩づくりは、戦国時代までさかのぼるそうです。(ちなみに忠臣蔵の争いの元には、赤穂と吉良の塩の利権が絡んでいたという説もあります。)
また、岡崎から長野県に向かって山に入ると、足助町(今は豊田市)という所がありますが、古くから塩の道として栄えていました。吉良から矢作川を登り、塩を足助から塩尻まで運んでいたそうです。(また、塩尻へは日本海側からも塩が運ばれていました。)
知多半島
意外ですが、江戸時代の知多半島は灘に次ぐ酒どころでした。酒造りの蔵元が、200軒以上もあったそうです。(今では10軒もないそう。)
努力して品質を高めたことも良かったのでしょうが、運送上の有利さもありました。
海上港の整備
かつて大量の物資輸送には海や川を利用していたので、三河湾から江戸に運べるのは有利なことでした。人口が急激に増えた江戸の調味料などを賄うために、この地域は大いに活躍しました。また、矢作川も14世紀ころから度々の改修で水路が整備され、運送に利用されたそうです。
今 後
パネラーのお話を伺っていると、江戸時代の蔵元の活気が目に浮かぶようでした。けれど、日本酒などでは蔵元の数が激減など聞くと、昔ながらの仕事は時代に合わないのかと心配でした。
けれど、蔵元に行くと案外若い人がいて、本来の作り方のモノづくりに興味を持つ人が増えているのだそう。また、若い人たちの横のつながりもできているそう。愛知の醸造文化に希望が見える気がしました。
ご参考までに
関連するリンクを張っておきます。
面白くて美しいので、良かったらご覧ください。
○ カクキュー
○ 八丁味噌協同組合
○ 日東醸造株式会社
○ 小判天はなれ 日本料理一灯
感 想
この和食文化国民会議の講演会は、タイトルは愛知より「三河」の方が適切だったかもしれません。けれど、とても興味深いものでした。少し話を聞いたくらいでも醸造文化は奥が深そうだったし、和食を支えてきた地域の歴史も知ることができました。
急に寒さが増してきましたが、風邪などひかぬよう免疫力向上を図りたいものです。もちろん三河以外にも、良心的な調味料づくりをしているメーカーは各地にあります。(我家では福島県産の糀味噌も飲みます。)美味しく取り入れながら、醸造調味料で健康力アップを目指せればと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?