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散歩びより … 三嶋暦師の館

新年かと思っているうちに、もう如月きさらぎの二月。月日の巡りの速さにはめまいを覚えるほどですが、その基になる暦を作っていた館が近所にあります。

三嶋大社のほど近くに、三嶋暦師の館みしまこよみし やかたは静かにたたずんでいます。お庭から見ると古いお屋敷のようですが、中に入るとボランティアの方がいて分かりやすく説明をしてくれます。


暦とは

「今ではカレンダーといった方がなじみ、用事がある時たまに見る程度で、かといって無くても困るけど… 」
と、まぁこんな調子であまり気にしていませんでした。が、三嶋暦師の館みしまこよみし やかたを見学するうち、暦には奥深い歴史があると思うようになりました。

           館内の展示/ 左上の冊子の裏張りに残された細かな字の三嶋暦(1437年)

現在使われているのはグレゴリオ暦で、1528年ローマ教皇グレゴリウス13世により制定されました。(ユリウス暦を改正)日本では明治6年(1873年)1月1日より用いられるようになりました。

では、江戸時代の暦はというと、驚くことに地方独自の暦がありました。その数は20近くです。中世の頃は使用する暦により多少の日数の誤差があったとか。他地域との取引などでは困った事もあったのではないでしょうか?

   館内の展示/クリックし拡大すると 日本各地の暦がよく分かります。三嶋暦は中世から。



三嶋暦を作った河合家

三嶋暦は、仮名文字で印刷された暦として、日本で一番古いものだといわれます。中世から江戸初期が最も普及した時期で、東日本では三嶋暦が使われたようです。販売価格は江戸末期で、綴り暦が150文(約3000円)で略暦15文(約300円)との記録があります。そして、美しく揃った繊細な文字で見やすく、お土産やお歳暮としても喜ばれたそうです。

この暦を作っていたのは河合家で、家伝によれば京都から移住してきた陰陽師の加茂氏(賀茂氏)の家系だそうです。庭には加茂神社をお祭りし天文台を建て、屋内には版木を彫り刷る作業場がありました。現在この館は三島市に寄贈され、暦の歴史や文化に親しめる施設として活用されています。

         邸内の屋敷神である加毛(加茂)神社


三嶋暦は旧暦


今のグレゴリオ暦は、太陽の運行にもとづく太陽暦(新暦)です。一方太陰暦というのは、月の運行にもとづきます。江戸以前の暦は、太陰暦に太陽暦を合わせ作られた太陰太陽暦(旧暦)です。この旧暦は6世紀に中国から日本に伝わったとされます。

旧暦は分かりづらいので、三嶋暦師の館HPから引用します。

〔三嶋暦はムーンカレンダー〕
三嶋暦は、現在の太陽暦と違い、月の満ち欠けに基づき計算された太陰太陽暦(旧暦)です。太陰暦は、新月~満月~新月の29.5日を1か月の単位としていました。0.5は端数なので、1か月の日数を29日(小の月)、30日(大の月)としていました。
1年に12か月に6か月ずつ、小の月・大の月を入れても、1年=354日にしかなりません。しかし、季節は365日で一巡するので、太陰暦では11日ほどずれてしまいます。
その結果、3年間では約1か月の差が生じてしまいます。そこで、3年に1回、1年を13か月にして季節を合わせていました。

〔太陰太陽暦と呼ばれる理由〕
3年に1回、1年を13か月にして季節を合わせてただけでは季節がよくわからないので、二十四節気(冬至、春分、啓蟄など)を暦の中に入れて、農作業に必要な季節の目印を作りました。
月(太陰)の動きを中心に、太陽に対する地球の動き(季節の移動)を暦の中に加味していることから、「太陰太陽暦」と呼ばれています。

三嶋暦師の館HPより


どうも太陰暦がなじめないのは、月の満ち欠けが暦の指標になる所でしょう。今でも三日月などと言い、陰暦の三日目の月を指すのですが… それにしても、三年に一回は一年が13か月になっていたなんて、学校で習いましたっけ…(全く記憶にない!)

ややこしく感じますが、*昔は毎年暦を確認する必要があり、それが版木印刷や浮世絵の発展をもたらしたというのですから、何が幸いするか驚きです。また太陽暦を加味した二十四節気は、農耕や漁労の目安として活用されてきました。また、季節を現す豊かな言葉に、私たちは今でもなじんでいます。

例えば2月1日はまだ大寒ですが、あと少し2月4日からは立春です。以前のnote記事「和食の日 歳時記」でも、二十四節気について書きました。

昔(江戸時代)は大店の粋なお歳暮として趣向を凝らした絵暦が配られたそうです。後から気づいたのですが、今でも年末には商店などでカレンダーが配られます。仮説ですが、これはその頃の名残かもしれませんね。


三嶋茶碗

ところで、茶道では三嶋手のお茶碗が知られています。室町期に朝鮮陶工の茶碗が日本のお茶人の目に触れたのがきっかけだそうです。茶碗の見込みや外側に着けられた繊細なヘラ模様が、三嶋暦の美しく揃った仮名文字に似ていたので、お茶人が「三嶋茶碗」と名付けたと言われています。

               館内の展示/ 開き立てかけた三嶋暦と手前は三島茶碗



現代版 三嶋暦


                                                  令和5年 現代版 三嶋暦の表紙

三嶋暦の会発行の「令和5年 現代版 三嶋暦」です。中を開けると、旧暦や月の形.月の出入り時間など記載されてなかなか興味深いです。三嶋暦師の館で販売しています。(A4判 500円)

                           二月のページ

これを見ると、今日(二月一日)は旧暦では正月十一日で、二十日ほどずれています。けれど、お月様の形で日付が分かるって、面白い仕組みですね。昔の人にとって、月はカレンダーでもあったのです。だから、和歌でも俳句でもよく月が詠われたのでしょう。昨日と同じような今日でも、少しづつ移ろいゆく時を月の満ち欠けから感じ取っていたのかもしれません。


三嶋暦師の館 案内

上記は一部のみのご紹介なので、
見学してもらえれば色々面白いお話が伺えると思います。

場所 三島市大宮町2-5-17
時間 9:30~16:30  定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
料金 無料
アクセス 三嶋大社から徒歩約5分、三島駅から徒歩約20分、駐車場 なし  
問合せ 三嶋暦師の館 055-976-3088





                 加茂神社の由来などの看板

三島暦の会様から、より正確な記述になるようお力を貸していただきました。誠に有難うございました。


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