水原_水原サポ3

札幌サポ、韓国の要塞でACLに出会う

どうして僕は韓国まで行って応援しているわけでもないクラブの試合を見ているのだろう・・・・?

OWL magazineの読者の皆様、はじめまして。ふらいくると申します。主筆の中村慎太郎さんから誘いを受け、OWL magazineの立ち上げメンバーになりました。これまではあまり発信をしてこなかったのですが、今後は記事を執筆する機会が増えると思います。是非、Twitterやnoteのフォローをよろしくお願いします。

Twitter(@nega9_clele
note(https://note.mu/negacle

中村さんとの縁は、2013年に香川県の丸亀陸上競技場にて、カマタマーレ讃岐サポの紹介で出会ったのが最初でした。『サポーターをめぐる冒険』の「第12節 讃岐うどん、運命を懸けた決戦へ」に詳しく書かれています。

当時の僕は神戸に住む大学生です。また、「Tifosi」(ティフォージ)という関西全域対象のサッカー観戦サークルの代表をつとめていました。

Tifosiは、初代代表である僕を含めた数人の大学生によって、2012年に立ち上げられました。個性豊かな多くのメンバーの活躍で、設立1年にして100人規模に届く大きなサークルになりました。

現在もサークルは活発に活動しています。Twitterやブログで活動の様子は確認できるので、是非のぞいてみてください。

Twitter(@tifosi_west
ブログ(https://ameblo.jp/ovest-tifosi29/

執筆にあたり、改めて中村さんとの出会いの部分を読見返しました。文字を追うにつれて、読んでいる僕の顔がどんどん赤くなってきます。本の中の僕は、サークルを立ち上げた思いや理念を熱く語っています。その言葉や熱さには青さを感じ、僕の胸は恥ずかしさでいっぱいです。

今の僕にこれだけ情熱をこめて話せる勢いがあるかは自分で少々疑問です。しかし、あの本に書かれた僕の思いは今も変わりません。詳しくは、お手元の『サポーターをめぐる冒険』を是非ご参照ください。

といいつつも、読んで頂きたい自分と、恥ずかしいから読んで欲しくない自分が頭の中でせめぎ合っています。穴があったら入りたいです。

『サポーターをめぐる冒険』は、僕の登場シーンでは顔を赤くしながらも、全編とても面白く読むことができました。過去に出版されたサッカー本には、なかなかない種類の本だと思います。

僕は、読書が好きで、これまで数多くの本を読んできました。読むジャンルは問わず、様々な本に手を出しているつもりです。ここ数年は、毎月10~20冊ぐらいのペースで読んでいます。OWL magazineでも読書の話を執筆することがあるかもしれません。

特にサッカー本は、新たに出版されたものはできるだけ目を通します。以前、noteには「2018年に出版されたサッカー本からベストイレブンを選ぶ」という記事を書きました。

また、「サッカー本扱いにはされていないけど、本の中にサッカーに関する記述がある」本を対象とした「隠れサッカー本」探しを個人で行っています。まだ本の紹介まで進められていませんが、こちらもOWL magazineとは別に順々に取り組んでいくつもりです。

さて、これから僕が書くサッカー旅は、中村さんとの出会いから1年ほど後の話になります。旅の様子とともに、僕がどのような人間なのか少しでも知っていただけるとうれしいです。

それではスタート!

2015年2月25日夜。僕は、水原ワールドカップスタジアムの席に座って試合開始を待っていました。試合は、水原三星ブルーウィングス(以下、水原三星)vs 浦和レッドダイヤモンズ(以下、浦和レッズ)です。韓国で一番寒い時期が2月です。気温は0℃近くまで下がっています。

僕は浦和レッズのサポーターではありません。北海道コンサドーレ札幌(以下、札幌)サポーターです。

そんな僕がどうして韓国で浦和レッズの試合を見ようとしているのか。

話は、試合の数週間前にさかのぼります。

「海外でサッカー観戦をしてみたい」

実現すればこれが人生最初の海外旅行です。せっかくだからサッカー観戦と組み合わせて旅に出ようと思いました。自分の予定と預金額を確認すると韓国なら行けそうです。

そもそも2月の韓国でサッカーの試合が行われているか調べました。そこで一つの試合が僕の目に止まりました。

水原三星ブルーウィングス vs 浦和レッドダイヤモンズ

ACL(AFCアジアチャンピオンズリーグ)のグループステージ第1節です。水原三星のホームの水原ワールドカップスタジアムで行われます。

ACLとは、アジアで一番強いクラブを決める大会です。前年シーズンのJ1で好成績をおさめた数クラブと、天皇杯で優勝したクラブが日本を代表して出場します。

僕が応援する札幌は、残念ながら一度もACLに出場したことがないです。また、当時の札幌には不名誉な異名がありました。

「エレベータークラブ」

J1に昇格しても、すぐJ2に降格するクラブのことです。天皇杯で優勝できれば話は別ですが、ACLに出るにはまずJ1に昇格して好成績をおさめる必要があります。

2014年の札幌の成績は、J2 10位です。J1で好成績を残す以前に、そもそもJ1昇格もままなりません。ACLは遠い遠い世界で起きている、縁のない大会というのが僕の認識でした。

水原三星は、2014年のKクラシックリーグ(韓国の1部リーグ、現・Kリーグ1)を2位で終え、ACLの出場権を獲得しました。過去に4度のリーグ優勝経験のある名門チームです。

所属選手を調べてみると、2人の選手が気になりました。

一人目は、チョ・ソンジンです。強化費の大幅削減など厳しい環境に立たされた2013年の札幌で、CBのレギュラーとして活躍しました。水原三星に移籍するまでは、J2とJFLでのプレー経験しかなかった選手です。

そんな彼が、水原三星ではCBのレギュラーを取っています。札幌の守備を支えた選手が、韓国に戻りACLに出るような上位クラブで活躍しているのです。ぜひ水原に行って彼の勇姿を見てみようと思いました。

そして、在日朝鮮人のチョン・テセです。韓国と北朝鮮は朝鮮戦争を休戦中で、当然国交もありません。北朝鮮の選手が韓国のクラブでプレーすることは大変珍しいです。

注目する選手が見つかると、水原三星のサッカーがより楽しみになってきました。試合が待ち遠しくなりました。

水原へ向かう前に、まずソウルを散策しました。

ソウルにもスタバがありました。外国で日本にもあるお店を見つけると、なんだかちょっとほっとしますね。

ソウルは、非常にカフェが多い都市でした。

僕は、コーヒーがとても大好きです。毎日3~4杯は必ず飲みます。飲むと気持ちが落ち着いたり、やる気が出てくるのです。コーヒーがあることで僕は、ゆったりとした気持ちで読書ができ、札幌が負けた日でも冷静になってその試合を振り返ることができます。

コーヒーを好きになってから、よくカフェめぐりをするようになりました。自宅の周りはもちろん。アウェイ観戦に行ったときも時間があればカフェを探しに行きます。僕のお気に入りカフェや、好みのカフェに対するこだわり、アウェイ観戦先で訪れたカフェについては、いつか記事を執筆することがあるかもしれません。

コーヒーとカフェ巡りが好きな僕は、この都市と相性がよさそうです。

韓国人は食後に口のにおい消しを兼ねて、よくコーヒーを好んで飲むそうです。僕も韓国人にならって、スンドゥブやキムチを食べた後に、近くのカフェでコーヒーを飲んでみました。

「刺激物には刺激物を」

口の中に残る韓国料理特有の辛みの刺激が、コーヒーの苦みによって中和されます。韓国料理とコーヒーの組み合わせは意外にもマッチしそうです。

僕は、ある物を食べた後に、コーヒーを必ず飲みます。その食べ物とは、カレーです。コーヒーの苦みが、カレー特有のスパイスの強い刺激を緩和してくれます。韓国人もこれと似たような感覚で、刺激の緩和のために、食後のコーヒーを味わっているのではないでしょうか。

ソウル駅から電車に35分程度乗ると、水原駅に到着します。

水原駅のコンビニでサッポロビールの缶を発見しました。

「コンビニに入ると、サッポロビールの製品が置いていないか探す」

韓国でも札幌サポの習性が発揮されました。 

札幌サポの習性とは何か。

札幌サポは、「スポンサーへの忠誠心が高い」と思います。

自分たちのできる範囲で、スポンサーの製品を買ったり、サービスを利用するということを当たり前のように行います。

サッポロビールは、コンサドーレ設立当時からのスポンサーです。

札幌がアウェイの試合日、遠征先のスタジアムや最寄り駅周辺のコンビニからサッポロビールの缶だけよく姿を消します。これは間違いなく札幌サポの仕業です。スタジアム開演前に、アウェイ側の待機列をのぞいてみてください。コンビニに置いてあったであろうサッポロビールの缶を片手に、開演時間を待つ札幌サポの姿が見つかるはずです。

ここまで書いておきながら、僕自身はお酒をほとんど飲めない下戸です。しかし周りの札幌サポの影響からか、ついついコンビニや居酒屋に入るとサッポロビールを探すくせがついてしましました。これを習性と言わずしてなんと言うのでしょうか。

スタジアムに向かう前に、水原華城を観光しました。

城は、僕にとって旅でつい足を運びたくなる場所です。僕は、実物の城を見ることに大して憧れが強いのかもしれません。僕が生まれ育った札幌は、最寄りの城から250km以上も離れており、なかなか城に行く機会に恵まれませんでした。しかし、日本の戦国時代にはまっていたときは、よく全国の城を調べて、行きたい気持ちだけずっと膨らませていた記憶があります。

ちなみに、好きだった戦国大名(勢力)は、信濃の真田氏と紀伊の雑賀衆でした。池波正太郎の『真田太平記』や司馬遼太郎の『尻啖え孫市』を読んでいた小中学生の頃が懐かしいです。

訪れた水原華城は、とにかく広かったです。全長は5.7km、総面積は130ha(東京ドーム約28個分)あり、この広い敷地を城壁や4つの大きな門で取り囲んでいます。

門の上から眺めると景色がきれいです。

これだけ広大な敷地なら、設計者は、城を一つの都市として機能させることを考えていたのではないでしょうか。

後で調べると、この城が作られた時代(李氏朝鮮期)には首都をここ水原華城に移す計画がありました。まさに「都市全体を城壁で取り囲み城とする」アイデアです。

これは、ヨーロッパの都市が敵の襲撃に備えて城壁で都市全体を取り囲む発想と似ています。日本にも似たアイデアはありますが、囲む際に用いるのは城壁ではないです。写真の小田原城のように、堀や土塁を用いて、城を囲む設計を施します。

日本ではなかなか見かけない築城方法を見ることができるのも、海外で城をめぐる面白さではないでしょうか。

「人工的に作られた巨大な異物という点では、サッカーのスタジアムも城と通じるところがあるかもしれない」

そんなことをふと思いました。どちらも近づけば近づくほど「ようこそ戦いの場へ」と言わんばかりの威圧感や圧迫感です。特に、周囲が畑や背の低い建物(住宅など)が並ぶところにぽつんとスタジアムは、それをいっそう感じさせます。

例えば、日産スタジアムです。

新横浜駅から街中を歩いてスタジアムに向かう方が多いでしょうが、一度小机駅からスタジアムに向かってみてください。住宅街を通り抜け、歩道橋を渡ったその先に突如そびえ立つその様は、まるで要塞のようです。

本日の会場である水原ワールドカップスタジアムも、そんな要塞の一つかもしれません。この銀色の大きなスタジアムがぽんと置かれています。日産スタジアムやカシマサッカースタジアムのような威圧感を感じました。

日本語を話すスタッフの案内に従って当日券を購入し、あいてる席に座りました。

僕の目の前に見えるゴール裏スタンドでは、浦和レッズサポの集団が声援を送っています。人数は100~200人いるかいないかです。  

反対側のゴール裏スタンドに目をやると、水原三星サポの塊がいます。数千人以上はいるはずです。その様子は、まるでスタンドが青い大きな塊に覆われているように思えました。

冬のサッカー観戦は、寒さが敵です。

キックオフの笛を待つ僕の足先は、冬物のブーツを履いているにも関わらず冷え切っていました。手先はカイロや温かい飲み物で温めることができても、足先はその場でどうにもできないです。足踏みする度に足がじんじんします。

「いくら海外でサッカーが見たかったとはいえ、2月を選んだのは失敗だったかな」

この時期にサッカー観戦することを思い立った数週間前の自分を恨めしげに思いながら、キックオフの笛が鳴り響くのを聞きました。

浦和レッズを率いる監督は、ミハイロ・ペトロビッチです。ミシャの愛称で日本では親しまれています。彼のチームのサッカーは、とにかく攻撃重視です。守備のバランスを崩してでも、相手陣内に選手とボールを送り込みます。

この試合でも、例外なく浦和レッズは序盤から攻勢に出ます。水原三星にとっては、我慢の時間です。札幌にいたチョ・ソンジンはスタメンとして起用され、体を張った守備でDFラインを支えています。

チョン・テセもFWとしてスタメンでした。守備ではあまり動かずパスコースを切るだけに専念し、虎視眈々とカウンターの機会を狙っていました。

前半終了間際に、浦和レッズがゴールを決めます。CBの森脇良太でした。流れの中でのゴールにもかかわらず、決めたのがCBという点に、後ろの選手に攻撃参加を強く要求するミシャの哲学が反映されています。

後半に入ると、水原三星がブラジル人のカイオを起点に鋭いカウンターをしかけるシーンが増えました。一つ残念なのは、水原三星にいい流れがきたときには既にチョン・テセはベンチに退いていたことです。

水原三星のオ・ボムソクが、右サイドからふんわりとクロスをあげます。なんとそれがそのままゴールに吸い込まれていきました。これで1-1の同点です。浦和レッズとしては少し苦しい展開になっていきました。

座っている席から大きく周りを見渡すと、観客の多くは韓国人です。目の前で浦和レッズサポが、大きな声で日本語のチャントを歌っています。しかし数百人規模の浦和レッズサポに対して、水原三星サポは数千人以上です。韓国語の声援が、日本語をかき消すようにより大きく聞こえてきました。

「これが日本人が海外のアウェイを戦う空間なのか」

ここは日本ではない。そんな空間で日本人が一人さみしく座っていると、少し心細くなります。

浦和レッズは、日本のサッカーに大きく貢献しているクラブです。その点に異論はありません。ただ、僕が応援してるのは浦和レッズではなく札幌です。

そもそもこの試合だって浦和レッズよりも水原三星に興味があり観戦を決めました。浦和レッズのゴール裏に行かず、水原三星サポがいるメインスタンドに座っているのもそれが理由でした。

ところが、浦和レッズサポのチャントや声援を聞いていると、不思議と少し親近感を覚えてしまいます。日本語だからでしょうか。海外で日本のクラブが戦っていると、普段応援していないクラブに対してもこういう気持ちになるのでしょうか。

そのときの浦和レッズは、まるで日本を代表して戦っているように思えました。

日本を代表して戦うといえば、まず思い浮かぶのは日本代表です。僕が今見ている浦和レッズのように、国際大会で戦う日本のクラブも日本を代表して大会に出場しています。

同じように日本を代表しているように思えても、日本代表とクラブではちょっと違うところがあります。

日本代表は日本という国家を背負い、日本を代表しています。しかしクラブは違います。クラブは地域(ホームタウン)を背負い、日本を代表して戦っています。

つまり、ACLでの浦和レッズは「浦和という地域を背負うことで、日本を代表して戦っている」と思うのです。

僕は、浦和レッズがうらやましかった。

自分の愛する地域の名前を背負い、日本を代表して戦うその様が。そんな晴れ舞台に立てるクラブが、応援できるサポが、うらやましい。そう心から思いました。

後半終了間際、試合が動きました。

水原三星が2点目を決めたのです。そのまま試合終了の笛は鳴りました。2-1で水原三星の勝ちです。

チョ・ソンジンは、90分間水原三星の守備を支え続けました。それは堂々たる姿でした。

でも僕にはもう試合の内容も結果も関係ありません。ただただ浦和サポがうらやましい。その気持ちでいっぱいでした。

スタジアム近くのバス停で水原駅行きのバスを待っていると、2人の日本人大学生と出会いました。一人は、浦和サポです。韓国には福岡から船でやってきました。

もう一人は、セレッソ大阪(以下、セレッソ)サポでした。札幌サポがここにいることも端から見ると不思議ですが、セレッソサポがいることも不思議です。

事情を聞くと友人と韓国旅行中で、この試合だけは一人で水原まで観戦しにきたそうです。

セレッソもACLに出場したことがあります。直接聞いてはいませんが、今日出会った彼もどこかでセレッソが日本を代表してACLで戦う姿を見たことがあるのでしょう。

ソウル駅で彼らと別れ、ホテルに向かって夜道を一人歩いていました。

夢。

水原での観戦を経て、僕の中であのときの浦和は憧れへ、ACLは縁のない世界の話から夢の舞台へ変わりました。

「いつかこの目で、北海道を背負ったコンサドーレが日本を代表してACLを戦う姿を見れる日がくるだろうか」

それは、その当時の札幌の状況からすれば、遠く遠く果てしない道の先にあるような夢でした。10年先、20年先、50年先・・・いったいどれくらいまで待てば実現する夢か分かりません。僕が生きている間に叶うのでしょうか。J2 10位のクラブを応援する身には、実現不可能な夢に思えてきます。

札幌の未来は、明るいのか暗いのか。思わす吐いたため息は真っ白でした。そんな気持ちにおかまいなく、照明によって明るく照らされてたソウルの景色とともに、僕が韓国で過ごす最後の夜は更けていきました。

2019年3月。僕は、韓国で撮った写真を見返しながらこの記事を書いています。

4年前の旅の記憶をどうにか思い出して書くことができたのも、写真が残っていたおかげです。

この記事の執筆を通して、いつも行く先々で写真を撮り忘れる僕も、写真に残すことがいかに重要か身にしみました。

面白いことに、4年前に撮った写真を今見返すと、当時は思いもしなかったであろうことが頭に浮かんでくることもあります。

例えば、古びたポスターを撮ったこの写真です。これは、ソウルを歩いているときに見つけた撮りました。当時の僕が、何を思って写真を撮ったか今となっては思い出せません。

韓国初代大統領、李承晩。写真左のポスターに載っている人物です。

サッカーと絡めて話をすると、彼が大統領だった1954年に初めてサッカーの日韓戦が開催されます。

この開催に関して、李承晩は一悶着も二悶着も起こします。詳しく書くと、日韓戦誕生の歴史でおそらく一つ記事ができるボリュームになるので書きません。

写真からそのことを思い出して、改めて読みたくなったのが「日韓キックオフ伝説」(大島裕史)という本です。1954年のサッカー日韓戦実現に向けたドラマが克明に書かれています。

また、「知られざる日韓サッカー激闘史」(康 奉雄)という本は、日韓戦の歴史がコンパクトにまとまった良書です。

「旅で撮った一枚の写真から想起される本を紹介する」というのもある種の旅記事かもしれません。

李承晩から日韓戦を想起するのは、こじつけに近いですが大目にみてください。あまりにサッカーが好きすぎると、このように連想が飛躍することもきっとあるはずです。

僕は、旅の経験が少ないです。

少なくとも「旅とサッカー」を掲げるマガジンの書き手としては、心もとない経験値だと思います。他のOWL magazineのメンバーと比較しても、経験の量も質も歴然です。ひょっとすると、今この記事を読んでいる皆さんより少ないかもしれません。

旅の経験とは、短期間で差を埋めることは難しいです。毎週のように何か予定を作って、旅をすればいいかもしれませんが、そこまでの余力も僕にはありません。

そこで、発想を変えてみました。

「旅」を絡めながら、「本」について文章を書く。

いわばOWL magazineの読書担当でしょうか。僕でなくても、本が好きなら誰でもできることかもしれません。でも、誰もやらないことだと僕は思います。「旅とサッカーのマガジン」に書くなら、本の話を書くより、旅の話のほうがみんな書きたいでしょう。

旅と本は、絡めて語ることができると僕は思います。特に僕のような読書好きならなおさらです。

旅の行き先や、移動時間によって、旅のお供に持っていく本は違うのではないでしょうか。

旅をした後に、その旅先が舞台の本を読むと、旅する前より話が身近に感じられませんか。

本を読むことで、旅をしたい土地がどんどん増えることもあるでしょう。

OWL magazineの主役である旅をより引き立たせる、より面白くする、そんな本の数々をこれから紹介していきます。

もちろん旅の話も書きます。

いつか札幌がACLに出場した暁には、その話をOWL magazineに書いてみたいです。

水原を訪れたとき、ACLは「遠く遠く果てしない道の先にあるような夢」と僕は思っていました。

あれから4年が経ち、その夢はどこまで近づいたのでしょうか。

2017年12月。一人の男が札幌の監督に就任しました。

彼に率いられた札幌は、J1 4位で2018シーズンを終えます。

あと一つ順位が上であれば、ACLに挑むことができました。
(正確には、本戦出場プレーオフ)

2019シーズン、札幌の選手達は「ACL出場」を目標に掲げています。遠い遠い夢だったものが、今や実現可能な目標に変わりつつあるのかもしれません。

昨年、チームをJ1 4位に導いた男は、今年も札幌の指揮をとります。

彼の名は、ミハイロ・ペトロビッチ。愛称は、ミシャ。

あのとき水原で僕にACLの夢を見せた監督が、今年は札幌で僕の夢を叶えてくれるかもしれない。

------------------------
本編は、ここまでです。読んでいただきありがとうございました。

この先は、おまけ部分で有料記事です。今回は、「はじめての記事を書く際にアドバイスされたこと」をテーマに書きます。

この記事を書く際に、僕は何度も何度も一から書き直しをしています。正直、「自分はOWL magazieで記事を書くには向いていないのでは」と思ったこともありました。

僕が、どんなアドバイスを受け、記事を書きあげることができたのかそんな話を少し書きます。

『OWL magazine』の購読申込をしていただくと、月額700円(税抜)でこの有料記事を含め、『OWL magazine』に掲載されている記事全文がご覧いただけます。ただし、申込月以前の有料記事は対象外になりますのでご注意下さい。

また、OWL magazineの記事をSNSなどでシェアして頂けることも大変ありがたいです。noteマガジンや、SNSのフォローも是非よろしくお願い致します。noteマガジンは、無課金でもフォローしているだけで無料記事などの更新情報が届きます

noteマガジン
Twitter
Facebook

------------------------

ここから先は

1,567字

¥ 300