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本物のリーダーは「優秀な担ぎ手」を仲間にできる―宇都宮徹壱『異端のチェアマン』


1.危機の連続に立ち向かった「異端の」リーダー

 「危機を救った人物」として賞賛される人は歴史にたくさんいる。だがその多くは目に見えるくらい大衆に知られた「危機」を救った者たちの物語だ。たとえば大規模企業の経営悪化、戦争などだ。

 でも世界には「知られてない危機」や「なかなか表にならない危機」というものがある。

 この本もそういった「世間には埋もれている危機の連続」に立ち向かったリーダーの話だ。

 舞台はサッカーJリーグ。主人公は2014〜2022年までJリーグの長であるチェアマンについていた村井満さんである。

 Jリーグに関心を強く持っている方ならば、村井さんの在任期間に様々な出来事がJリーグに起きて対応に追われたことは知ってるかもしれない。

 しかし一般にJリーグは「なんとなく毎年やってるサッカーの大会」、あるいはそもそも認知されてない程度のものではないだろうか。あのコロナ禍においても「他のエンタメと一緒で中止になったけど、今は普通にやってるよねー」ぐらいの感覚で見られてるかもしれない。

 だが村井さんがチェアマンを務めたのは、本当に危機の8年間だった。

 Jリーグ自体の財政問題、サポーターが差別的な弾幕を掲げた問題、DAZNとの大型放映権契約、Jリーグ職員やクラブ監督によるパワハラ辞任、組織改革、コロナ禍での中心決断、コロナ危機でのクラブ存続に向けての工作など数えていけばいとまがない。

 これらをすべて乗り越えたとまでは言わないが、多くのものは村井体制で改革や決断が行われて効果をもたらした。

 初めて「サッカー界にどっぷり浸かっておらず」、「ビジネスの世界で成功をおさめた」、「(サッカー界にとって)異端の」人物がJリーグの長になった激動の8年間を村井さん本人やその周辺人物たちの証言をもとに、読んでる人が手に汗握るような話が詰まっている。

 Jリーグは一般企業とも違う公益団体である。自らも経営するが、各サッカークラブの経営を制度などでサポートするのも役割だ。サッカーの知識がうすい人にはイメージしにくい点もあるかもしれないが、著者の宇都宮さんはサッカーに詳しくなくても分かるように丁寧に背景を説明している。

 また、村井さんや他の登場人物の振る舞いはどんな環境にいる人間でも学びがあるものなのは間違いない。

2.リーダーに最も必要なのは「神輿のよき担ぎ手」である

 トップに必要なものとしてどんなことが挙げられるだろうか。

 自らが先頭に立つ姿勢、責任を取る覚悟、ビジョンを語れる力、情報をもとにした断固たる決断力、部下のポテンシャルを存分に発揮させるマネジメント力。さまざまな能力が思い浮かぶ。村井さんがこれらを兼ね備えているかはこの本を読んで判断して欲しい。

 僕が本を読んで注目した村井さんの優れた能力は「仲間を集めてチームを作る力」である。

 トップ、この本でいうところのチェアマンはいわば「神輿(みこし)」である。神輿として担がれながら主体的に音頭をとり組織の羅針盤になっていく。これが大きな役目だ。

 大事になるのは実務を担当する神輿の「担ぎ手」にどんな人物がいるかだ。担ぎ手に神輿の意図を理解したり、至らないところをカバーできる優秀な人物がそろっていれば神輿は行きたい方向にどんどん進んでいく。

 もっとも村井さんはリクルートで経験豊富なビジネス経験があるので、細かい実務にも長けていたと推測される。時には自らが神輿兼担ぎ手となる二刀流をやったこともあったかもしれない。

 組織の長になったとき、既に組織には部下がそろっている。その中でいい担ぎ手がいれば、そういう人たちを担ぎ手チームに組み込んで自らを担いでもらえばいい。現にチェアマンに就任して数年は元々Jリーグにいた優秀な担ぎ手が村井さんを支えている。

 問題は既存の担ぎ手だけではカバーしきれない状況が出てきたと感じたときである。そのときトップの人間がすべきことの一つが「優秀な担ぎ手を探し、口説き落としてチームに加えること」である。

 村井体制後期(2018年~2022年で任期は2年ごと)のJリーグには優秀な担ぎ手たちがいた。それが「チームMURAI」である。

 メンバーは原博美さん、木村正明さん(ともに2018~2022年)、米田惠美さん(2018~2020年)、佐伯夕利子さん(2020~2022年)である。4人の経歴は省略するが、村井体制に入るまでそれぞれがまったく違うバックグラウンドを持ちながら、サッカー界やビジネス界などで成果をおさめたり、印象を残してきた。

 このような人たちを村井さんは直接口説き落としてチームに加えていった。そしておのおの得意分野で活躍したのが村井体制後期である。

 特に志半ばで終わりを迎えたような感があり村井さん自身も後悔が残っている米田さんの組織改革における苦闘、東大とゴールドマンサックス出身という経歴を活かして金融機関や官公庁との交渉という特別任務を遂行した木村さんのコロナ対応は、ページをめくる手がとまらない。

 現在、Jリーグのチェアマンは野々村芳和さんがつとめている。元々サッカー選手としてJリーグでプレーしており、引退後は北海道コンサドーレ札幌の社長としてクラブを発展させた実績を持つ。まさに「完全なるサッカー畑」の人である。村井さんとはまた違った毛並みの持ち主だ。

 僕はコンサドーレを応援している。だからはっきり言うが野々村さんには心情的に甘くなるだろう。彼のチェアマンでの仕事ぶりに対して、第三者からみて適当な感想を言えるかはわからない。

 だが、言っておきたいのはコンササポほど野々村さんのリーダーとしてのあり方をずっと観察してきた人間はいない。そういう人間からみるとチェアマン就任以降の野々村さんに対する批判は「本質はそこだろうか」と思うことはある。

 野々村さんは間違いなく村井さん以上に「神輿」である。コンサドーレにおける野々村体制とは「野々村・三上(大勝GM)体制」だったことはコンササポには周知の事実だ。野々村さんというずば抜けた発想を持つ神輿を、三上さんという類まれなる担ぎ手が担ぎ続けたことで発展したのが野々村社長時代のコンサドーレである。

 だとすれば野々村チェアマンの仕事ぶりで本当に観察すべき一番のポイントは「ちゃんと優秀な担ぎ手を探せてる?口説けてる?チームを作れてる?」という点だはないだろうか。

 もちろんコミュニケーション方法やメッセージの出し方など野々村さん個人の発信力や能力に依拠した落ち度はある。でも野々村さんに必要なのはその能力を自分で向上させること以上に、そういう過ちにブレーキをかける担ぎ手を探して仲間に加える力ではないだろうか。

 本書でもコロナのパンデミック直前に野々村さん(当時コンサドーレ社長)が村井さんにリーグ中止を進言した話がでてくる。それを読むと野々村さんは「発想やひらめきの人」なんだろうなと思わされる。そういった個性を用いながら、村井さんが残したものを活かせる体制になることを願うばかりだ。

3.二人の「敗者」の軌跡がJリーグの危機を救った

 この書評では村井さんを「Jリーグのいくつもの危機に立ち向かったリーダー」という軸で話を進めていった。

 この「危機」と「リーダー」という言葉で僕の頭の中に浮かんだ一冊の本がある。沢木耕太郎『危機の宰相』だ。

 1960年代、「所得倍増計画」を提唱し日本を経済成長に導いた池田勇人、下村治、田村敏雄の3人が主人公である。それぞれ首相、エコノミストとして池田のブレーン、池田が所属する派閥(宏池会)の事務局長として所得倍増を推進していく。

 沢木さんは3人を「敗者」とした。敗者だったからこそ、彼らの人生は交わったのだと。

 かつて彼らは大蔵省(現・財務省)のエリート官僚であったが、それぞれの事情で挫折をして野にくだった。そんな敗者たちが日本の未来が明るいものになるために打ち立てたものこそ所得倍増計画なのだ。

 村井さんが新卒でリクルートで入社して5年ほどが経った1988年にリクルート事件が起きる。創業者であり会長の江副浩正が収賄容疑で逮捕されたのだ。

 この事件でリクルートのブランドは地に落ち、大きな危機を迎える。村井さん自身が敗北したわけではないが、所属していたリクルートがある意味「敗者」となったわけだ。そんな中、村井さんは人事として社内の立て直しに尽力する。社員の働きもありリクルートは結果として復活をとげ、現在にいたっている。

 村井さんがチェアマン時代、何か決断するときに必ず立ち返っていたのがJリーグの理念である。最後は「この選択は理念に合っているのか?」という軸で大事な決断をしていたような描写が本書でもうかがえる。

 その理念を形にした中心人物が初代チェアマンの川淵三郎さんだ。彼だけの功績ではないが、本書にあるように彼が若き日にドイツでみたスポーツのあり方の原風景がJリーグの理想や理念のイメージになったのは疑いようもない。

 そんな川淵さんは元々サッカー選手として日本代表で活躍した。引退後、現役時代から所属していた古河電工で社業にのめり込んでいた彼にひとつの転機が訪れる。子会社への出向の内示である。

 彼の著書などから察するに、おそらく古河電工本社での出世を目指して働き続けてたのだろう。社長までとはいわずとも、取締役クラスを狙っていたのかもしれない。そんな彼にとって子会社への出向は自身をサラリーマン人生の「敗北」ととらえられる宣告だったのかもしれない。子会社に出向した川淵さんは社業のかたわらサッカーに強く関わるようになり、それがJリーグ設立に結実する。

 村井さんと川淵さんは本書で明かされるように直接的にも間接的にも強いつながりがあった。直接の方は重要な事実が含まれてるので言及しないが、Jリーグの理念を通して村井さんが川淵さんの思いと間接的に向き合って8年間を過ごしていたように僕には読めた

 こじつけと言われればそこまでだが、Jリーグの危機も『危機の宰相』同様、「敗者」の交わりによって生み出された軌跡によって乗り越えたものかもしれない。

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